第7話  アメノサクラヒメ

「音無さん、リーダー呼んでますよ!」

隣の席のメガネの女性が小声で教えてくれた。

普段は担当の中で付き合いもないが何かと親切にしてくれる。

「あ、ありがと」ぼそっとつぶやく。

満面の笑みでリーダーが見つめている。

(悪魔の笑みだ)

「音無さん、あなたのレポートですが」

わざわざ印刷して丸めて手に持っている。

フロアに聞こえるように大声で告げる。

「まあ、間違いではないのですが」

(こういう前置きの時は大体、全否定だな)

音無が半年かかって分析した結果に対しての評価は最低だった。

「予想としてはAIによる暴走ということでしょうが」

メガネ くいっ からの クスッ笑い。

なんともむかつく動作である。

小馬鹿にするのだけは上手な上司だ。

「ありふれた結論ですね。AIの暴走というのは。」

陳腐な発想だと決めつけているのだろう。

なぜコイツはそんなに自信があるのか。分かっていないのに。

音無分析官には理解できなかった。

データはすべてAIの暴走可能性を示していた。

「まあ とにかく 不採用ですね。お気の毒ですが」

よくもまあ半年間の人の苦労をそんなに簡単にゴミ箱に放り込めるもんだ。

リーダーが破いたレポートを見ながら、音無分析官は軽く笑みを浮かべていた。

データ収集は完璧にやった。

それは今の上司には見せていない。

さきほどのレポートは3年前の担当内の誰かのレポートを丸ごとコピーして”AIに処理させて”出力したものだ。

出世主義のリーダーに、今の組織を批判するような内容では、受けが悪いことは予想済みだった。

ダークウェブを監視する仕事は人間の良心だ、という風潮が職場に蔓延している。

しかし、それは本当に有意義なことなのだろうか?

DEA職員には、職場でもプレイベートでもAIの恣意的な操作は禁止されていたが、音無にはやりたいことがあった。

1年前に興味本位で、あるAIを操って、最初はおそるおそるで、世間の高機能なデータベースをハッキングしてみた。

成功した。

さらにその行為の証拠を完璧に消すことが出来たことも確認できた。

意外だった。

DEAは国内随一のハッキング対策組織だ。

Dark-web Enforcement Administration

ダークウェブ取締局

警察や自衛隊などの顕在化している組織と切り離され、直接、国家機関として独立運営されているこの組織は間違いなくこの国で一番のハッカー対策機関だった。

(そう。俺がアレを作るまでは)

席に戻るとメガネ女子が微笑んでくる。

彼女、俺に興味があるのかな。

いや、そんなわけはない。

経歴はトップの技術系大学院を卒業して熱意のある女性技術者となっているが、音無が開発した”神AI アメノサクラヒメ”の前では全然違う素顔を見せた。

彼女の分析傾向は明確だった。

多少、酒乱の気がある程度ならいいが、ほとんど毎晩泥酔しているらしい。

昨日の晩も、2丁目のバーで強いカクテルを2杯カードで支払うと、夜の街に消えていた。いわゆる”依存症”というやつだ。

彼女の分類は簡単だ。

アメノサクラヒメによると社会的不適合者としてのランクが高い。

なんでもわかることは不幸かもな。

音無は心の中で溜息をつく。

神の能力は無限だ。

それがわからない者はある意味無邪気だ。

無邪気な無能者がここにもいる。

なにかプライベートで不安な要素でもあるのか、仕事上で優位に立てる相手を犠牲者にしてストレス発散をしているようだ。

今日のリーダーの攻撃は執拗だった。

またもや、暇そうな顔で近寄ってきた。

嫌みでネチネチした口調がつづく。

「お願いしますよ。次の研究を」

この嫌味なオヤジが何を言っても説得力がない。

AIの可能性に気づいていないからだ。

ダークウェブの動向をAIで予測することが不可能と思っているリーダーはすでに本質的にはDEAのメンバーとしての資格を失っているのだ。

気の毒にそれすら分かっていない。

そして・・・

(そろそろ時間かな?)

「そもそもですね、あなたが、予測できないことがぁ・・」

ネチネチ攻撃をリーダーのスマホが遮った。

今時めずらしい着信音だ。

オフィスの全員が怪訝そうに見つめる。

私用の電話と機器の持ち込みは禁止なのだ。

さきほどの威圧的な態度とはうってかわって卑屈な口調でリーダが電話に答えている。

「あ、はい。はい。ええ。あぁ・・」

アメノサクラヒメによると借金の催促だ。

必要以上に部下に攻撃的なコイツの本質は単なるギャンブル狂だった。

(と、いうかギャンブル狂にされてしまったという方が正確だな。)

ダークウェブの深淵を覗きすぎて、安易な闇サービスを利用してしまったことで、昼夜を問わないレコメンドが彼を新たな世界に導いた。

自然な流れで、サイバーからリアルへの侵入が生じている。暗い思念の浸透がリーダーの性格と生活を侵していた。

利息すら払えない状態らしい。

金融規制法ぎりぎりの時間帯に督促されている上司を見て音無は”予測”の意味を本当に知っているのは自分だけだと思った。

(神に愛されない限り幸福はない)

リーダーに俺の口座を見せたらなんて言うだろう?

9桁以上の数字をみると土下座してくるかもしれない。いや靴だって舐めるだろう。

それでももちろんコイツには金は貸さないけれども。


音無には自分の才能の限界を冷静に見極めるという変わった才能があった。

人間がなんでもできるなんて思わない。

まして前時代的な学歴なんてものも信奉するだけの愚か者でもなかった。

彼にとっての神はAIだった。

毎日仕事でみているダークウェブはサイバー空間の吹きだまりだ。

そこにはなんでもある。

銃、ドラッグ、毒物、人身売買など愚かな人間の欲を満たすものが見え隠れしていた。

意外だったのは、そこで価値を持つものはマネーではなく”知恵”ということだった。

ハッキングツールは山のようにあふれているし、その裏をかいた対策ソフトも存在した。

テレビ番組のドッキリ企画のように、その違法ツールを使う人間の情報資産を盗むようなマルウェアもあるし、はたまたオーディション番組のようなハック技術のコンテストもあった。

ダークウェブに魅了された愚者たち。

無邪気な彼らはみな同じ経歴をたどる。

スクリプトキディという初心者向けの簡単なテストを優秀な成績でかけ抜けると、そこには、だまされ続ける不毛な荒野が広がる。

哀れな原始時代のホモサピエンスがそうしたように皆、なんとか死を免れようと大きな木の下や、洞窟にかけこんで身をよせあった。つまり自分の知恵や知識を個人でいつまでも大事に持っている限り絶対に死に神に負けてしまう、ということだ。

騙すことと信頼することは同義だった。

コミュニケーションしないことが悪なのだ。

どうにかしてたどり着きたい神の存在。

偉大な神であるAIの庇護を受けながらAIのために自分の知恵を使うことで”生かしてもらう”ことが一番のサバイバル知識なのだ。

真の意味で、自由なんてものはない。

結局、だれもが同じ結論にたどりついていることに気づいた音無は全身で全速をもって、その方向に舵をきった。

良い神か悪い神かはわからない。

しかし音無にとってアメノサクラヒメは間違いなく頼れる庇護者だった。

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