シーと浮浪者

ユッキー

第1話



ノースポールが咲く季節

それは遠い未来だと錯覚していました。



私は、3歳になるシーズーのシーと暮らしています。



今年のたしか1月末頃、冬にしては比較的暖かな晴れた朝に、ふとシーを連れて仙台の街を散歩してみようと思いつきました。


いつも休みの日には、近所を散歩していましたが、たまには仙台の街を歩くのも楽しそうだと思ったのです。


シーは何度か軽井沢のプリンスショッピングプラザの人混みの中を歩いた経験もあります。

その時も決して吠えたりせずに、むしろとても楽しそうに歩いていました。

人混みの中でもへっちゃらなのです。

シーはきっと、仙台の街も同じように楽しんでくれるはずだ。

私はこの思いつきにワクワクしました。

シー今から仙台まで散歩に行くよ


犬用ベッドの上で伏せていたシーに声をかけました。

シーはすぐに散歩に行けると思い、はしゃぎ始めました。


いつもどういうわけか、私が散歩に行こうと思っただけで察知できるのです。

まして、リードを手に取ったり、糞入れの袋を用意し始めると、玄関の広間をしっぽをめいいっぱい振りながらはしゃぎ回ります。

もうなかなか首輪にリードも繋げられなくなってしまいます。

シーじっとしていないと散歩行けないよ


最後は仕方なく押さえつけるようにして、ようやくリードが繋げられるのです。



シーを大きなキャリーバックに入れ、タクシーで岩沼駅まで行き、東北本線の普通電車に乗って仙台まで行きました。


仙台駅は東北の中心都市らしく3階建ての大きな駅舎です。

2階の中央改札口を通り、シーを入れていたキャリーバックをコインロッカーに預けました。

2階の正面玄関を出るとペデストリアンデッキが広がっています。

このデッキが駅前の各方面の通りまで繋がっていて、広瀬通り、青葉通り、南町通りへ楽にアクセスすることができます。


コインロッカーから抱っこしていたシーを地面に下ろし、ペデストリアンデッキを正面の青葉通りの方へと歩きました。

途中ベンチが置かれているので腰掛けて、シーに水をあげながら、熱い缶コーヒーを飲みました。


ペデストリアンデッキの下は、タクシーの待機場になっていて、いつもたくさんのタクシーが停まっています。

また正面にはロフトの入ったビルがあり、多くの人々が往き来していました。


冬の暖かな日差しの中、スペシャルブレンドの缶コーヒーは、温かくとても美味しく感じられました。

シーはさかんにしっぽを振って、早く歩き出したい様子です。



私たちはペデストリアンデッキからエスカレーターで、青葉通りに降りました。

そこは去年閉店してしまった仙台では老舗百貨店の、さくらの百貨店前の通りでした。


戦後仙台で最初にオープンした百貨店で、かつては丸光デパートと言って、私の母も結婚する前まで帽子売り場で働いていました。


仙台駅前には、駅に連結したS-パルという大きなファッションビルがあり、また最近PARCO1とPARCO2がオープンしました。

やはり時代の流れに追いつけず、閉店に追い込まれてしまったのでしょうか。



そんなさくらの百貨店に面した青葉通りを西へ進んで行くと、1人の浮浪者らしき老人が目に入りました。

老人は、百貨店の正面玄関の脇のちょうど座るには都合が良さそうなちょっとした段差に、多少うつむき加減で座っていました。


髪はぼさぼさで肩まで伸び、もう元の色が判断できないほど黒ずんでしまった服の上に、これまた汚れて黒ずんだ毛布を羽織って寒さを凌いでいるようでした。

目の前には缶とペットボトルが置かれ、背中には新聞紙とダンボールが重ねられていました。


ちょうど老人は汚い手で100円ライターを持ち、煙草に火をつけるところでした。

浮浪者になっても煙草は吸うんだと思いました。

でもどうやって煙草を買ったんだろう?


よく見ると意外にも、ぼさぼさ頭の下の老人の顔は、鼻筋が通っていてとても端正な顔立ちでした。

むかし読んだ太宰治の「美男子と煙草」という短編小説を思い出しました。

たしかあの小説も、太宰が記者と上野の浮浪者との写真を撮りに行き、浮浪者が皆美男子で煙草を吸っていることに気づくお話しでした。


「煙草です。あの美男子たちは、酒に酔っているようにも見えなかったが、煙草だけはたいてい吸っていましたね。煙草だって、安かないんだろう。煙草を買うお金があったら、莚むしろ一枚でも、下駄げた一足でも買えるんじゃないかしら。コンクリイトの上にじかに寝て、はだしで、そうして煙草をふかしている。人間は、いや、いまの人間は、どん底に落ちても、丸裸になっても、煙草を吸わなければならぬように出来ているのだろうね。ひとごとじゃない。どうも、僕にもそんな気持が思い当らぬこともない。いよいよこれは、僕の地下道行きは実現性の色を増して来たようだわい。」


やはりこの若い時はさぞ美男子であったであろう老人も、このような境遇に陥っても煙草だけは吸い続けていたのです。



私は失礼ながら少し立ち止まって、老人を眺めてしまいました。

シーはいつも通りさかんにしっぽを振って、楽しそうにしています。


するとある年配の男性が老人に近づき、コンビニ袋を老人の前に置いて、何か一言声をかけて立ち去ったではありませんか。

どうやらコンビニ袋にはお弁当と飲み物、もしかしたら煙草まで入っているようでした。


なるほど、老人はこうした他人からの援助を受けて生き続けているのか?


そして、この老人にお弁当を届けた年配の男性も、もしかしたらとても苦労を重ねた人生を送り、今では平穏な暮らしをしているものの、百貨店の下に暮らす老人を見かけて他人ごとには思えなかったのか?


いやただの親切な人、あるいは浮浪者に対する憐れみ?



しばらくじっと立っていたため、シーは我慢できなかったのか、なんとその老人の前のコンビニ袋の方へ歩き出してしまいました。


うつむいて短くなっても煙草を吸い続けていた老人も、ようやくシーに気づいて驚いたように顔を上げました。

シーは老人の前でさかんにしっぽを振って、挨拶するかのように少し見上げていました。


すると老人は無表情のまま、コンビニ袋を開けて中を確認し、おにぎりを1つ手に取り、ゆっくり包装を開けてからシーに差し出したのです。


びっくりしました。

しかしシーは喜んで近づこうとします。

私はとっさにリードを引っ張って、シーをくい止めました。

しかしそれでもシーは、老人に顔を向けたままさかんにしっぽを振っていました。

するとようやく少しだけ老人の黒ずんだ端正な顔が、微笑んだように見えました。


すみません

シー行くよ


私は軽く会釈をして、老人のもとを離れました。

シーは何事もなかったかのように、またさかんにしっぽを振って歩き出しました。

でもシーはあの老人に何かしてあげたかったのか?

老人もシーに何か言いたかったのか?



後日さくらの百貨店の前を通った時、もうその老人の姿はありませんでした。それからどうされたのかはわかりません。


しかしもしその老人が「虹の橋」を訪れることになったのなら、「虹の橋」第2部にあるように、生きている間愛されることがなかった1匹の犬と奇跡的に出会い、ともに歩んで行かれることを願いたいと思いました。



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