閏5話 クリスマス・イヴ

 暦の話をもう少し。


 前回(*1)、江戸時代の一般社会では、夜明けが一日の区切りと認識されていたと書いた。これは飽くまで一般社会での認識の話であって、暦の作成では現代と同じくしょうが一日の区切りとされていた。

 現代では昼夜逆転の生活を送る人もいるだろうが、やはり多くの人間の活動時間は太陽が出ている日中であって、日付の区切りが生活時間帯の中に入っているのは不便だからだろう。逆に天体観測のように昼夜逆転が常である世界では「天文時」といって正午を区切りとする時制が(かつては)使われていたりする。第10話(*2)で紹介しているユリウス通日などがまさにそれで、実用的な制度だった。

 正確な時計が普及していない時代では、生活上の時間は日の出や南中(正午)(*3)、日の入りなどを目安にするのが手軽であったし、また実用的であったことだろう。


 日の出を一日の始まりとする江戸時代の名残は現代でもあって、日本人は1月1日の日の出、即ち「初日の出」を新年の始まりと看做し、その後最初に寝た時に見た夢、すなわち1月2日の朝起きた時に憶えていた夢を「初夢」としているなど、習俗の中に見え隠れする。


 さて、日本のように日の出を区切りとするのに対して、日没を区切りとする文化も当然存在する。

 ユダヤ教などの所謂「アブラハムの宗教」においては、一日は日没から次の日没までとされ(*4)、現在でも宗教的な行事はこのカレンダーに従って行われている。ユダヤ教の安息日は金曜日の日没から土曜日の日没までだし、イスラム教のラマダーン(断食月)だって月末の日没で終了する。

 そしてキリスト教も、やはり宗教上は日没で日付が変わる。

 12月24日の日没をもって宗教上のカレンダーは翌日となり、25日、即ちクリスマスとなる。当然25日の日没までがクリスマスだ。イヴのお祝いは別に前夜祭というわけではなく、宗教的に翌日になったから祝っているのだ。


 我々が日常当たり前のように感じている「一日」という単位は、地球の自転運動に起因している。しかし自転運動自体は回転運動であり始点も終点もあるわけではない。そこに「一日」という区切りを付けるためには、人間が「ここ!」と区切りを決めなければならない。現代では正子を区切りとしているが、これだって国で法律を決めたり、世界各国で協定を結んだりして決めている。

 そこには、暦と同じく、政治や権力といったものが絡んでくるのだ。


 24日に始まるクリスマス・イブのお祝いは、今は失われたキリスト教の権力の残滓なのである。


*1

https://kakuyomu.jp/works/1177354054886223897/episodes/1177354054887872525


*2

https://kakuyomu.jp/works/1177354054886223897/episodes/1177354054886290499


*3

均時差の関係で、南中が必ず正午になるわけではない。


*4

「神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。第一日である。」(創世記第一章)


*5

なお、東京での2018年12月24日の日没は16時33分ころ。この文書の公開はその時間に予約してある。

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