閏2話 慶応四年九月八日
暦の話をもう少し。
今年は明治一五〇年だそうで、様々な催事が企画・開催されている。
慶応四年は西暦では大凡1868年だが、例によって例の如く、閏四月があったりして完全には一致しない。
さて、この年は明治天皇が即位礼を行った年なわけだが、明治天皇の前の天皇は孝明天皇。孝明天皇が崩御したのは慶応二年の年の暮れ、十二月二五日のこと。この駄作を頭から読んできた人には大体見当が付いていると思われるが、そう、グレゴリオ暦では既に翌年になっており、1867年1月30日であった。
かくして明治天皇の即位期間を表す場合、和暦と西暦では微妙に違った表記になってしまったりする。
天皇は先帝の崩御により自動的に践祚するが、それはそれとして、即位の儀式は後に行う。今上天皇の即位礼が平成二年に行われたことを憶えておられる方も少なくないことだろう。
〝明治〟もこの即位の礼に際して改められた元号である。
その日は天保暦で慶応四年九月八日。グレゴリオ暦ならば1868年10月23日である。では、一体何月何日を一五〇年で祝うのが良いのか?となると、前話(*1)で書いたように「諸祭典等旧暦月日ヲ新暦月日ニ相当シ施行可致事」というあの法律に基づき、9月8日に行えば良い……と思うのだが、豈図らんや、10月23日に催事が行われている。
何故だ⁉
さらにもう一つ問題がある。
実は明治改元は、「その年の年頭に遡って改元」ということになっている。つまり、慶応四年九月八日だと思っていた日が明治元年九月八日になったばかりか、一月一日から九月七日までの過去の日付も全部明治元年になってしまったのである。
現代のように瞬時に情報を行き渡る時代でもなく、恐らくずっと慶応四年だと思ってたら突如今年は明治になったと言われるわけである。カレンダー屋さんは大迷惑、システム屋さんは時空の不連続と対峙する羽目になったことだろう。当時情報通信システムがなくて幸いであった。
当たり前だが改元の詔を出したからといって突如世界から「慶応四年」と書かれた文献が消え去るわけもなく、かくして明治元年と慶応四年は重なりあって存在するという量子力学的な存在となっているわけである。
改元というイベントは、現在ではもはや日本でしか体験できない貴重な歴史的遺物である。そのため、近代的な諸制度、諸機構とは整合しきれない不合理な面もあるのだが、世界で最後に残った慣習だと思えば、巻き起こる諸問題を楽しむくらいの余裕が心に必要なのかもしれない。
なお、文字コードを扱う国際団体・Unicodeコンソシアムでは「㍾」「㍽」「㍼」「㍻」に続く〝次の元号〟の合字のための符号位置だけを確保し、元号発表の後速やかにマイナーバージョンアップで対応するそうである。(*3)
*1 https://kakuyomu.jp/works/1177354054886223897/episodes/1177354054887001652
*2 https://ja.wikisource.org/wiki/%E4%BB%8A%E5%BE%8C%E5%B9%B4%E8%99%9F%E3%83%8F%E5%BE%A1%E4%B8%80%E4%BB%A3%E4%B8%80%E8%99%9F%E3%83%8B%E5%AE%9A%E3%83%A1%E6%85%B6%E6%87%89%E5%9B%9B%E5%B9%B4%E3%83%B2%E6%94%B9%E3%83%86%E6%98%8E%E6%B2%BB%E5%85%83%E5%B9%B4%E3%83%88%E7%88%B2%E3%82%B9%E5%8F%8A%E8%A9%94%E6%9B%B8
*3 http://blog.unicode.org/2018/09/new-japanese-era.html
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