第3話 1582年10月15日

 暦の話をしようと思う。


 現代社会で広く使われている「グレゴリオ暦」だが、これだって当然始まりがある。

 1582年、時のローマ教皇グレゴリウス十三世が長期間の使用の間に誤差が蓄積したユリウス暦を修正するために公布し、ユリウス暦1582年10月4日(木)の翌日をグレゴリオ暦1582年10月15日(金)としたのが始まりとなっている。つまり「グレゴリオ暦」の名称はローマ教皇の名前にちなんでいる。


 じゃあそれ以降はみんなグレゴリオ暦なんだ!と話がそう簡単だったら良かったのだが、残念ながらここからが本筋。


 この改暦に即座に追従したのがイタリア諸邦とスペイン、ポルトガル、ポーランド。やや遅れてフランスが1582年12月20日からグレゴリオ暦を施行。続いてベルギー、オランダが1583年1月1日から施行した。

 勘の良い方は気づいたかも知れないが、カトリック教国である。

 世界史を思い出していただければ、16世紀の欧州といえば宗教改革真っ只中。カトリックの腐敗に対してプロテスタントが勃興し、世界を股にかけて激しい争いを繰り広げていた時分。そんな時代にカトリックの総本山たるローマ教皇庁が公布した暦である。プロテスタントがそう簡単にを採用するわけもない。(そもそもグレゴリオ暦が対抗宗教改革の一環である)

 プロテスタント諸国でのグレゴリオ暦の正式採用はなんと18世紀になってからで、英国が1752年9月14日、スウェーデンが1753年3月1日と、150年以上後になる。中には神聖ローマ帝国のようにカトリック邦とプロテスタント邦でグレゴリオ暦の施行年が違うなんて国まである。

 一つの国の中で異なる暦法が通用するとか、混乱しなかったのだろうか? いや、欧州全体で見れば充分に混乱しているわけだが……。


 プロテスタントですらこの様子なのだから東方教会はもっと遅いわけで、ロシアにおいてグレゴリオ暦が施行されたのはロシア革命後の1918年2月14日、ギリシャでは1923年3月1日と20世紀に入っている。なんと非キリスト教国である日本より後だ。

 しかも正教会は今でも教会暦としてユリウス暦を使っているため、宗教行事に関してはユリウス暦に基づいている。ロシア正教でのクリスマスがグレゴリオ暦の翌年1月7日に行われるのはそのためだったりする。


 同じ〝キリスト教〟ですらこの有り様なのだから、キリスト教以外の国では……と思うのが当然だろう。日本が1872年に施行したのは先述の通りだが、この際、紀年法(年号)は独自のもの(所謂〝皇紀〟)に差し替えて採用している。同様に中国(中華民国)は1912年1月1日にグレゴリオ暦を採用したが、紀年法を民国紀元に差し替えている。この民国紀元は現在も台湾で使われている。タイ王国は1941年1月1日からグレゴリオ暦を施行したが、紀年法は仏滅紀元を使用している。

 暦法にはキリスト教由来のものを使っても、紀年法にはキリスト教を採用しない、という折衷案である。


 イスラム教には「ヒジュラ暦」という独自の暦があり、宗教行事はこのヒジュラ暦に従っている。イスラム教が国教となっている国ではヒジュラ暦が公式の暦とされる国も見られる。

 そのイスラム教国であるサウジアラビアが政府内において2016年12月17日にグレゴリオ暦を採用したというニュースが驚きをもって受け止められたのは当然だろう。ただし、宗教行事では相変わらずヒジュラ暦を使うので、国内で二つの暦が並行している状態。


 現代日本社会で生活していると、世界ではグレゴリオ暦だけが通用しているように思えるかも知れないが、実のところ近代国際社会がキリスト教、それも西方教会系諸国の主導で発展してきたに根ざしている。従って不可避的に宗教問題が絡むため、実情はこのように大変面倒くさいのである。

 暦は本当に面倒くさい。

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