第二章
第7話 クロウ① 【オウルの誕生】
その日。
明け方の、まだ仄暗い時間に電話が鳴り響いた。
それは、
「お義母さんですか。今生まれました。女の子です」
「名前は、ふくろうだね」
「フクロウ?それは鳥のなまえですよ」
「知ってるよ。でも今、祝福を受けたから」
二枚の絵が完成したのはちょうどオウルの生まれた日だった。
烏貴子は前日に熱中症で倒れて寝込んでしまい、娘が入院した知らせを聞いても、病院まで行ってやることができなかった。だから夜な夜な、完成間近の絵に手を入れながら孫の誕生を心待ちにしていたのだ。
フクロウなんて名前はもちろんすぐに却下された。
けれど烏貴子の娘、つまり、赤ん坊を産んだ美樹は「フクロウ」を案外気に入って、夜と朝のあいだに生まれたわが子に、黒く輝く二つの夜、「
二玖は祖母の烏貴子と、母親の美樹に、オウルと呼ばれた。
オウルはその名の通り、ちょっと哲学者風の落ち着いた顔立ちをしていた。赤ん坊のかわいらしさももちろんあったけれど、ベビーピンクのおくるみよりは、断然、雨に濡れたようなグレイに包まれている方がしっくりきた。
オウルは賢い子だった。まだ言葉も話さない頃、探し物をしている烏貴子に、静かに人差し指で探し物の在りかを示した。
「この子は正真正銘の賢人だね。知ってるかい、美樹。フクロウはギリシャ神話で、知恵の女神の象徴なんだよ」
「でも母さん、ここ日本じゃ、ふくろうってあんまりいい扱いをされてないのよ。ほんとか知らないけど、成長したら、親鳥を食べるから、
「この子にはいい意味だけ当て嵌めたらいいじゃないか。この子は賢人オウルだよ。意味なんて、付けたもん勝ちだよ」
実際、烏貴子は、幼い孫、オウルにほとんど困らされることなどなかった。オウルが生まれた時、とうに還暦を過ぎていた烏貴子にとって、孫の世話は酷だろうと思われていたが、烏貴子がしんどい時、オウルは何時間でも絵本を見て楽しそうに過ごした。逆にちょっと散歩でも、という元気があるときは黙って手を繋がれて、黙々とついてきた。そしてふたり共が文句なしに集中するのは絵を描く時だった。烏貴子がイーゼルを立掛ける横で、オウルも床に寝そべり、まねして絵を描いた。
「この子は画家になるかな」
そういう想像をするのは楽しいものだ。この子は何になるかな。そこには「いい意味」しか存在しない。たとえ不幸な想像が頭をよぎっても、それでさえ、「いい運び」となる将来だ。
自分でもわかっている。
恐らく、「オウルの未来」がそれなりに形になる頃、烏貴子はこの世に存在しないだろう。
(だからわたしは、オウルのすばらしい未来しか、知りようがない)
烏貴子はオウルが生まれる以前から、しばしば気分の不安定さや、記憶の欠落に悩まされた。
時々頭の中に立ち込める、深い霧。もがいてももがいても、何も見えない。恐ろしいのは「自分」でさえ、いなくなること。その霧の中で、烏貴子はただ、「迷える何者か」でしかない。
自分の異変に気が付いたところで、湧き上がるのはただ、恐怖と不安だった。しかし、まだ正気が大部分を占めていたから、その間に、今できることをするしかないと、烏貴子は絵を描き続けた。
絵は、かつてここに住んでいた異国人に教わった。
彼からは様々なことを教わった。ちょうど、この考え方、「今、ここでできることをするしかない。」ということも。
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