第4話 私立図書館へ
二玖はスケッチブックを棚から引っ張り出すとパラパラとめくる。
(あれ?)
白紙だ。
改めて本棚を見渡すと全ての本に手書きラベルが貼り付けてあると気がつく。
(全部、「私立図書館」の本なんだ)
すでに暗かった。でも困らない。だって読み取るものはない。白紙だから。
遠くの海に満月が輝いてほんのりと部屋を照らす。
二玖は目を上げる。
夜景の中で、寺の三重塔が彫刻のように逆光で浮かび上がる。
ふいに昼間、庭で見かけた紳士を思い出す。
(三重塔、なんだかあの西洋人のおじいさんと似てる)
神々しさが似てるんだ、きっと。
神々しいと同時に異質。親しみと同時に受け入れがたい。
(この部屋と同じ)
ここが自分の部屋になってもう三か月経つのに、本棚の中身に目が向いたのは今日が初めてだった。
スケッチブックの裏表紙の、紙製ポケットには貸し出しカードが入っていた。
まだ、誰の名前も書かれていない新品のカードだ。
(何だっけ)
二玖は祖母が愛用していた籐の椅子に腰掛けると、机の上を見渡した。よく整頓されて、感じのよいものばかりでまとまっている。
(この感じがわたしも大好きなんだ)
筆入れのなかにあった万年筆のふたを開けて眺めてみた。先は金でできてるって聞いたことがある。
書き心地はどんな感じなんだろう。
カードの一番上、「読者氏名」の欄に
『 霧野 二玖 』
と書いてみた。
——かえしてください。
剥がれかけているといっても、貼り付いてはいた。背表紙の、深緑色で囲まれたラベル。凝視しながらあることに思い当たる。
手提げをさぐる。確かあの、庭で拾ったはがきのゴム印も。
読み取りにくいけれど、そう書いてあると思って、もう一度ハガキを読むと、もうそれ以外には読めない。
『私立図書館』
ハガキに施された草木模様。これがさっきの既視感の正体だった。
「オウル」
スケッチブックを閉じた途端、ノックと共に呼び掛けられる。母だ。
「母さん、図書館は図書館でも、特殊な図書館みたい」
母は標本でも手にするように本を眺めた。
「私立図書館?」
「そう。こんな古めかしいスケッチブックが本棚に挟まっていたの。その他の本にも、ほら。ラベルが。」
「へえ。おばあちゃんがしてたのかな。お茶目な蔵書管理法ね。絵を描くのが好きだったのは知ってるけどスケッチブックにまでラベルを貼っちゃったのね。」
母は感心しつつも、それ以上興味を持たなかった。骨董を扱う母が、これだけある古い洋書や、曰くありげな空白のスケッチブックに関心を持たないのが不思議にも思えた。
「母さんはもう寝る。オウルも夏休みだからって夜更かしし過ぎちゃダメよ」
そう言うと、自分の部屋へ引き上げていった。
「ハーイ」
適当に返事をしてまた、ひとりになる。
二玖はふと思い付き、階下に下りて、自分の持っているカード類を全て出してみた。現代の消費行動にカードはつきもので、断ることをしなければそれは増える一方だ。だから全てを把握できてはいなかった。どこででも渡されるポイントカード、一度掛かったきりの病院の診察カード、失くしたと言ったら再発行され、結局在ったから二枚あるもの。そういう、普段使わないカードを全部、確か居間の引き出しひとつ分に仕舞いこんであった。
図書館、図書館。それらしいカードをババ抜きの要領で選び出す。
「あ、」
中に、厚紙でできたカードがあった。
『私立図書館員利用者証』
とても緻密なデザインだけど明らかに手作り。こんなのを発行してもらった記憶がない。カードをまた引き出しに入れスケッチブックを持ったまま渡り廊下を抜け、地中喫茶室へ入った。夜ひとりここでコーヒーを飲むのが最近のお気に入りだ。クーラーもまともに効かないこの家は夜になっても部屋によっては蒸し暑い。この部屋は特に。
(今日はアイスコーヒーだな)
そう思いつつ窓の外を見る。
すっかり日の暮れた庭は生垣の連なりが塀のように見える。塀の向こうにまた塀。入り組んだ生垣はその通路を真っ暗な影に埋もれさせる。
『隠せ』
「あるのかどうかわからない」よくそう形容される二玖の家。何かを隠すためにある、としたら。生垣がそのためにあるのだとしたら。
(何が隠されているんだろう)
思わず窓を開ける。
案外、外の方が涼しい。
途端に押し寄せる闇は、全てを変えてしまう。
振り返って違和感を感じる。何かいつもと違う。
思い当たって暖炉の上の、絵の前に立つ。花の絵は白黒、のはずだ。
でも、今目の前にあるのは鮮やかな色彩だった。深い緑の葉色と青みがかった白い花。
(これ、ユキノシタに似てる。春に庭で咲いてたから、わかる)
そっと指で触れてみる。額を壁から外してまじまじと見つめる。露わになった壁面の杉板が、額縁の、縁だけの形に色褪せていて不思議に思う。四角く囲いのように色褪せていない部分と、まんなかの色あせた部分。まるでずっと長いこと絵を嵌めこまずに、額縁だけここに掛けてあったみたいだ。
そこに触れてみようと手を伸ばしたら、ふらついてマントルピースの縁にもたれかかった。あ、っと思ったら枠の中に倒れ掛かって、暖炉の内側へ肩から突っ込んだ。灰だらけになる。そう思い込んでいる自分はしかし、そこで一度も火を見たことがない、と思い当たる。
(ここって、本当に暖炉?)
ただの、装飾なのかもしれない。マントルピースがあるだけで、本物の暖炉というわけではないのかもしれない。
しばらく倒れたまま、痛みを追いやっていた。ひんやりとした空気がすうっと頭側へ抜けていく。頭の先には石膏製の壁面があるだけだ。でも明らかにそこには空気の流れがあった。倒れたまま手を伸ばして、石膏の壁を押してみた。そこだけ刳りぬかれているのか、すぽっと向こうへ抜け、人ひとり頭をかがめて入れるような大きな空洞が開けた。
歩いたか這ったかわからない。もう引き返そうかと思ったその時、壁にはめ込まれていた。
『私立図書館』
両開きの門は閉まっていたが、開館中、という木の札が掛けてある。二玖は後ろを振り返りそこからまだ地中喫茶室の灯りが感じられることを確認しつつ、門を押し開けた。
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