39.Collateral Damage Report―1『被害者が深雪の場合―1』

「てい!」

 そんな声と同時にガツンと頭頂部に衝撃がはしり、思わず深雪は「きゃん?!」と悲鳴をあげていた。

 誰か……、自分のすぐ目の前に立つ誰かに頭のてっぺんをチョップされたのだ。

「あ、わ……、お、大庭大尉殿……ッ?!」

 反射的に旋毛つむじのあたりを両手でおさえながら、深雪は眼前に立つ加害者の名前を口にする。

「正気に戻った? まったくもぉ。真っ昼間(?)からいい若いモンがそんな呆けて、一体なにをやってンの?」

 誰か――大庭機関長は、両手を腰に、首をかしげて、すこし呆れた顔で溜め息をついた。

 その様子からして茶目っ気――イタズラ心をだして深雪をからかってやろうと不意打ちを食らわせたとか、そういうことではないようだ。

「大丈夫? 痛くなかった? ゴメンね、深雪ちゃんのことぶっちゃって。何度も声をかけたのよ? でも、全然気づいてくれなかったから……」

 大庭機関長のすぐ隣に並んで立っていた埴生航法長が、両手を拝むかたちにしながら深雪に言った。

 つまりは、そういうことであるのだろう。

 すぐ目の前にまで近寄った。声もかけてみたのに深雪はいっかな気づいた風もない。だから、ついには業を煮やしてしまった――そういうことだ。

 そういえば、何度か名前を呼ばれたような気もするのだ。

『……ゆき……ゃん?』、『たな……か……っとう……へい?』――そんな声たちが自分に向けられ、どこか遠くの方から『お~い、お~い』と呼ばれたような……。

 自分の名前な気もしたが、その時は(今も?)なんだか頭がボンヤリしていて、どうにも意識が定まらず無視……というか、スルーしていた深雪だったのである。

 そこにいきなり頭をチョップされ、強制的にへ引き戻されたのだった。


「――で? どうしてあんなにボーッとしていたの?」

 大庭機関長が深雪にそう言った。

「もしかして、まだ裏宇宙酔いが残ってるのかしら?」

 すこし心配そうに埴生航法長も。

「い、いえ、それは……、その……」

 腰ほどの高さのバーカウンターテーブルを間にはさみ、目上の人間ふたりと向き合いながら、深雪はもじもじ口ごもった。

〈あやせ〉〈懇話室デイルーム〉の中、壁際に設けられてある喫食給仕所――現在の深雪の定位置に立ってのことである。

 主計科科員として司厨を担当している(させられている?)深雪の職場のひとつがそこだからであった。

 この部屋を飲食その他でつかう人間は、基本的にそれら行為をセルフでまかなうこととされてはいるが、利用者のみではかなえられない各種の希望やトラブルその他に対応するため、管理者として配置をされているのである。

 常に多忙なわけではないが、同時にけしてヒマではない――ヒマではいけない、いられない立場だ。

 人間が長持ちするギリギリの範囲で将兵をこき使うすべにたけた宇宙軍は、そんなに甘く優しい組織ではない。

 深雪は、この部屋にいる間はずっと、バーカウンター内部に設けられてあるコンソールで各種主計業務をこなすのが常だった。

 そうしなければ、ノルマをこなせないからである。

 燃料をはじめの推進剤、酸素をはじめの生命維持剤――それら消費財使用量の予測値と実測値のズレを記録し、各科からの機材備品補充の依頼をとりまとめ、艦乗員から出されるありとあらゆる(軍務以外の)要望を集計し、その他、次回補給計画の策定、士気を保つためのイベント企画等々々を考え、処理しなければならない。

 その事について問われた時、すぐに答えられるようにしておかなければならないからである。

 まともな睡眠時間をあてがわれているのがまだしもだが、それさえ、課業に十全な状態であたれるようにする為なのだから何をかいわんや。

 事ほど然様さように『常在戦場』なのが宇宙軍戦闘航宙艦勤務であって、世に『月々火水木金々』と唄われているのは決して大袈裟な盛り表現などではないのだ。

 その職場にあって、勤務時間中であるにもかかわらず、深雪は大庭機関長から一撃あたまにもらうまで、ただただぼ~~ッと突っ立っていたのである。

(ど、どど、どうしよう、どうしよう。なんて言おう。なんて答えたらいい? 仕事中なのにすぐ傍に人が来ても、声をかけられてもわからないままで、ぼけ~~ッとしてたなんて、わたしバカ? 大マヌケだよね。社会人として……ううん、兵隊として、なってないよね。あ~、もうホント、なんて言おう……)

 当たり前だが、やらかしてしまったポカに深雪の頭のなかは大嵐である。

 どうして、そうした一種の自失状態におちいっていたのか――自分のなかで理由はハッキリしているものの、どうにもそれを言葉にしては言いづらい。

 が、

 問いに対する答は必須。――特に、その問いかけが目上の人間からのものであるなら絶対に。階級社会、体育会系の最たる軍隊ならば、そこに許容や例外などは無いのだ。

(でも……、でもサ……、だからって、あんな……、あんなこと、人に言わなきゃなんないの……?)

 じわりと目許がうるみそう。

 乙女の羞恥と報告の義務――自分の失態をめぐるアンビバレンツにさいなまれ、頭のなかが沸きかえる。

 だから、

 逃げもきかず、ごまかしもならず、黙秘も許されそうにない今の状況に、自分をまっすぐ見つめている埴生航法長、大庭機関長と目をあわせることも出来ず、深雪は視線をうろうろ泳がせるばかり。意を決し、失態の理由をしようとしても、唇があうあう動く程度で、どうしても、そこから意味ある言葉を発するまでには至らなかった。

 実際は、ポカと言っても、そう大したものでもないのだから、そこまでパニくることもないのだが、なまじ子供の頃から優等生で通してきたため、どうにも叱られ慣れてない。

 そこに生真面目な性格と社会経験の少なさが加味され、深雪の狼狽は留めようもなく、おさまるところを知らなかった。

 そうして……、

 しかし、部屋のそちこちに彷徨さまよいつづける深雪の目の眼差まなざす先が、時間の経過につれ、とある方角に絞られていくことに大庭機関長がやがて気づく――気づかれてしまう。

 大庭機関長は、深雪の視線の行きつく先を目で追いかけて、

「ははん」

 納得顔でそう言ったのだ。

「なるほど」

 自分たちの背中越しに走る深雪の眼差しの先へ、おなじくこうべをめぐらせてみた埴生航法長もまた似た表情となる。

 事情はすべて飲み込めた――そういう顔。

 深雪がどこか切なげに、落ち着かなげに見やっていた先――〈デイルーム〉の一角。その壁の向こう側は、医務室になっていた筈と了解できたからだった。

 深雪が落ち着かないのは、そうした艦内施設の区画割りもさることながら、その部屋との間を隔てている壁が、もしかすると今にも開いて、医務室と〈デイルーム〉とが素通しの一部屋に変じてしまうかも……、などと考えているためでもあろうか。

 三、四〇人ほどの人間をゆったり収容できる広さの〈デイルーム〉は、食堂、休憩室、アスレチック室、集会所その他の用途に供される多目的ホールであり、非常時には臨時の傷病者収容室ともなるよう設計されている。

 したがって、ふたつの部屋を隔てる壁は可動式、収納可能となっており、折しも現在、今この時は、埴生航法長、大庭機関長ふたりが立案、実施したばかりの新機軸の遷移の(悪)影響の程度の調査検討がおこなわれている真っ最中。――〈あやせ〉全乗員を対象として、その心身健常度をはかる健診が完了した直後でもあった。

 収集されたデータの解析は、今がたけなわという頃であろう。

 つまりは、隣の部屋には(当たり前だが)船医がいる。

 司厨を担当している深雪が主計科室の他に〈デイルーム〉をホームベースとしているように、医務室を任地としている船医が、そこに当然、在室している筈なのだ。

 深雪がどこか切なげなのは、壁一枚へだててすぐ傍にいるその船医に会いたい……、でも、実際そうなったなら、どうしていいかわからない――そんな惑いをどうしようもできずにいるからだろう。

 案の定、

「後藤主計長、か……」

 つぶやくように漏れた航法長の声に、深雪の肩がぴくりと震えた。

「……『べろちゅー事件』を気にしてたのね……」

 吐息のように、埴生航法長、大庭機関長――どちらからともなくそんな言葉が漏れ、二人ながらに同情的に見つめるその前で、深雪は首筋までもを真っ赤に染めて、ついに一言もないままうつむいてしまったのだった。

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