31.裏宇宙航法―9『航路計画―1』

「というわけで、そろそろかしらね。ねぇ、難波ちゃん?」

「何が『というわけで』なのかは存じませんが質問はしませんええそうですね自分もそう思います艦長」

 例によって例の如くと言うか、いつも通りにモグモグくぐもった呼びかけと、熱意も誠意も感じられない応答が、〈あやせ〉の艦橋内部で交わされる。

 言うまでもなく、村雨艦長と難波副長の二人であった。

 主に劣勢な戦闘状況下において実行される空域離脱のための超光速航行対処訓練――緊急遷移訓練が、無事、かつ満足な結果で終わった直後である。

 艦内の誰もが〈連帯機〉の拘束から解放されて、ほっと一息ついている時間であった。

 が、しかし、ここ――艦橋内部では、他の部署とは少し様子が異なっている。

 村雨艦長はいつも通りなのだが、一方の難波副長が、いかにも憮然としているのである。

 有り体にいえばご機嫌ななめ――すこぶるつきで機嫌が悪い。

 それは謹厳でならす難波副長らしくもない――棒読み口調で単語を区切ることもなく、だらだらと垂れ流すような返事の仕方からも明白だった。

「なぁによぉ」

 モグモグやっていた頬をぷぅっと膨らませると、村雨艦長は、おおきく息を吹き出し、噛んでいたガムで風船を作りあげた。

「ノリが悪いわねぇ、巨乳のくせに。……もしかして不感症?」

 相手の機嫌が悪いのに、委細構わずぜんぜん空気を読まない発言をする。

 難波副長のこめかみが、微かにではあるが、ピキッと確かに引きつった。

「ノリの良し悪しとバストサイズは関係ないと思います。ましてや不感症との因果関係を論じるのは、論拠が不明であるとしか申し上げようがありません」

 理路整然と言い返しながらも、明らかにそういう言葉の温度が一段と下がった。

 艦長が口にした巨乳云々についてはコメントしない。見ればわかることだし、そもそも〈連帯機〉で繋がった人間相手には無意味だからだ。

 だから、そこについてはサラリと(?)流して、

「だいたいですね」と、難波副長は言葉を継いだ。

「だいたいですね、こうした各種訓練の開始と終了、それから結果に対する講評をするのは艦長のお役目ではありませんか」

 ちゃんと仕事をしてくださいと文句を言う。

 まぁ、もとより彼女の機嫌が悪いのも、それが原因だから当然ではある。

 フネ全体のイベントとして、全乗員参加で実施された訓練であるのに、その結果発表を代表者がおこなわずして部下に丸投げとは何事か、というわけだ。

 褒めるにしても叱るにしても、こういうことはトップの人間がやってこそ意味がある。

 組織の序列についてマトモな感覚のある人間ならば、誰しもがそう考えて、難波副長の意見に同意するに違いない。

 が、

 ここ〈あやせ〉にあっては、そうは思わない人間がトップの座についているのが、余の者たちにとっての不幸なのだった。

 現に、

「え~、いいじゃんいいじゃん。そんな堅ッ苦しいこと言わなくっても。難波ちゃんだって、ゆくゆくは艦長になる身なんだからサ、遠慮なんかいらないから、練習と思って一発、ど~んとやっちゃってよ」

 悪びれもせずに、ひらひら手を振り、村雨艦長はそう言うのである。

 あまつさえ、

「ね~ッ、みんなもそう思うよね~?」と、反省するどころか、他の部下たちに同意を求める始末なのだ。

 自分たちの眼前(のディスプレイ内部)で繰り広げられている艦長と副長のやりとりに、ひたすら首をすくめる思いでいた艦橋要員たちは、深くあきらめの息をつくしかない。

 万が一にも、自分たちにとばっちりなどきませんようにと祈っていたのに、やっぱり、それは無駄だったからだ。

 勘弁して、と心底思う。

 ここでうっかり、『イエス/ノー』など口にして、結果、艦長か副長のどちらかに睨まれる危険など心の底から願い下げだった。

「コホン……」

 そんな、どよんと淀んだ空気の中、いかにも温和そうな一人の女性士官が咳払いをして発言の許可をもとめた。

 軍人と言うより学者と呼んだ方がしっくりくるような、知的で落ち着いた雰囲気の女性である。

 〈あやせ〉の艦橋要員たちの中では(村雨艦長を除いて)、もっとも年かさの大庭機関長だった。

「先ほどの緊急遷移訓練について機関科より報告をさせていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

 村雨艦長にとも難波副長にともとれる口調でそう言うと、しかし、返事は待たずに報告をはじめる。〈あやせ〉全乗員の最高位に位置する二人の危険なじゃれあいを他に累が及ぶ前に中断させようという発言意図が明白だった。

、機関部の風巻特機長より報告があがってきました。

「緊急遷移訓練における〈常軌機関〉の臨界応答速度レスポンスは、コンマ〇〇三のマイナスで誤差許容範囲内――問題なしとのことです。〈〉の作動も異常なし。強度測定も規定値を示度一二〇パーセントにてクリア。〈幌筵〉星系への寄港時間を利用してA査定下限にあった部品を過早交換しましたが、それにともなうシステム全体での不具合は確認されませんでした。主機についても同様で、全力噴射、また咄嗟とっさ加速についても問題なしとの報告を嘉村主機長より受けております。

「いずれも、電算模擬稼働シミュレーション主体で、実機稼働は暖機試験アイドルテストまでではありますが、主電算機は確度九八・三パーセントと評定結果についての信頼度を算出しました。試験結果に信頼を置いて構わないものと判断します」

「また、本艦航行予定は――」と言葉を続ける途中で、ちらと視線を脇にながす。

 すると、ほとんど間髪入れずに、大庭機関長の報告を埴生航法長が引き継いだ。

 すこしウェーブのかかった栗色の髪を短めのボブにまとめた女性である。

 大庭機関長とおなじく穏やかそうで落ち着いた印象の士官だ。

「続いて、航法科より報告させていただきます」と前置きすると、

「恒星系内予定航路消化の進捗ですが、訓練を兼ねての高加速航行実施により、不足要員を新規徴用することにともなう遅れは、その半分ほどを取り戻すことができました。本艦は、明日中には〈幌筵〉星系恒星圏ヘリオスフィアを抜け、深宇宙領域ディープスペースに入るものと予測されます。

深宇ギャラ宙航クシー天案ウェザ内配ーリ信情報ポートの最新版は、本艦、当星系進入時点受信のものと数値変動ありませんでした。遷移可能領域に到達次第、予定通りの裏宇宙移行が可能であると判断いたします」

 つらつらと述べて言葉を紡ぐ。

 事前に示し合わせていたわけでもなかろうに、機関長と見事に呼吸が合っていた。

「……燃料は?」

 難波副長が質問する。

 すこし機嫌が直ったのか、眉間みけんに刻まれていた危険な溝が、わずかに浅くなっていた。

「はい。これについては狩屋飛行長と後藤主計長が良い仕事をしてくれました」

 埴生航法長は、そう言いながら、いま自分が名前をあげた二人の士官の方へちらりと目をはしらせて微笑んでみせる。

「現在の本艦燃料積載量は当初予定の一一四パーセント。彼女たちが余分に入手してくれた鏡化燃料アンチマターのおかげで、予定外の全力噴射をおこなうこともでき、主機担当も事前に点検ができたと喜んでいます」

「そう」

 難波副長は頷いた。

〈幌筵〉星系に渡る直前に起きた脱走騒ぎアクシデントで、はからずも乗組員が二名減ってしまった。

 世話係たる主計科要員の方は何とか手配できたが、さすがに艦載機搭乗員の方はそうもいかず、(と言うか、いなくなったのをむしろもっけの幸いと喜んでいたので)結果、乗り手のない機体が一機できてしまった。

 そこで、補給担当の後藤中尉と航空機材担当の狩屋中尉は相談をし、この際とばかり、あまり調子の良くなかった機体を処分してしまうことに決めたのだ。

 使えそうな部品だけを外して、あとは全部、〈幌筵〉星系警備府と取引の上、員数外の補給物資と交換というかたちで事実上売り払ってしまったのである。

〈あやせ〉は、これから危険宙域に乗り込もうとしていたから、死荷重デッドウェイトは一キログラムでも減らしておきたかったし、その旨の上申は、だから村雨艦長も難波副長も即決でこれを許可した。それがさっそく役に立ったということらしかった。

「遷移可能領域への到達予想時刻は?」

「空間常軌圧の減少傾向から推測して、ディープスペースに完全進入と計測確認されて後、およそ八時間後かと思われます」

「最短で二日後というわけか……」と埴生航法長の返答を聞いて、難波副長。

「念の為、も一度予定を確かめといた方が良いんじゃな~い?」

 そんな考え込む様子の難波副長に、ノンビリとした声が掛けられる。

 村雨艦長の口から発せられた言葉だ。

 珍しく(口調と態度を除けば)まっとうと評価して良い提案である。

 が、

 その声を耳にした途端、難波副長のこめかみがピキリと引きつったのは、ほとんど条件反射と言うか、それとも緊急遷移の訓練中、〈連帯機〉で要員同士つながっている時に何かあったのか……。

 いずれ、村雨艦長が過去に犯した積悪故なのは間違いあるまい。

シーリングスクリーンを使ってもよろしいですか?」

 副長の様子に、若干あわてた口調で埴生航法長が許可を求める。

「い~よ~」

 村雨艦長がOKを出すのとほぼ同時に、艦橋要員たちの頭上――天井直下部分に星図が立体投影されて映しだされた。

 再び雲行きが怪しくなる事などないように。――そう願ってやまぬ部下たちの間髪入れない対応なのは言うまでもない。発言者である埴生航法長にしてからが、データを表示するのに各個人の〈纏輪機〉や艦橋前面の大型ディスプレイでなく、天井部のそれを指定した理由がそれだったのだから、まず間違いはないだろう。

 何故なら、シーリングスクリーンを使うともなれば、機械が自動的に艦橋要員各員の座席をリクライニングさせ、着座者の視線が仰向くように調整をする――天を向いて寝そべる姿勢をとらせるからであり、そのような格好であれば、おのずとケンカもしにくい筈だからであった。多分……。

「本艦予定航路についてですが――」

 徐々に角度を変え、移動してゆく視野が完全に固定されるのを待って、埴生航法長は説明の言葉を口にしはじめた。

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