32.裏宇宙航法―10『航路計画―2』

 艦橋の天井直下に立体投影された巨大な星図。

 宇宙の暗黒そのものな、か黒い領域を背景として、そこに白い点群――星々が無数にちりばめられた立体星図は、〈ホロカ=ウェル〉銀河系の渦状肢の一つを映したものだった。

 銀河天球図――その部分拡大表示である。

 大きさこそ違え、レッドカードを受け取った深雪が〈あやせ〉――その艦長室に出頭した際、難波副長に見せられたのと同じものだ。

 あらかじめ設定されていたのだろう、星図の中央部分には〈あやせ〉を示す赤い輝点、そして、そこから伸びる、予定航路の青いラインが最初から表示をされている。

「本艦予定航路についてですが、先の会議で説明した通り、かなり実験的な要素を含んでいます。正直に言えば、多分に危険さえはらんだものです。これは司令部より達せられた『可及的すみやかに〈砂痒〉星系に到達、進入のうえ、当該星系状況を精査せよ』との命令を満足させるべく、移動にかかる所要時間の短縮を至上の命題として航路を策定したためです。もちろん、航行規定に定められてある安全係数をおおきく割り込むほどリスキーなものではありませんが、同様に本艦乗員心身両面への影響をナシとも断言できず、これが当航路を進むにあたっての懸念材料となっています。

「具体的には、いま述べた〈砂痒〉星系までの航程を最短時間で踏破するため、超光速航行中にベクトル変化――針路変更ターンを複数回おこなうことがそれです」と、一息にそこまでを言って、埴生航法長は説明の言葉をわずかに切った。

恒星間航宙学アストロナビゲーションを学んだ人間ならば周知の通り、航宙船が超光速航行状態にある時、その進路に任意の変更をくわえることは出来ないものとされています。通常の宇宙――物理法則系から切り離されてしまうため、超光速航行に移行する遷移開始時点の艦位のまま、一種の慣性航行状態に強制的に置かれるからです。

「一時的にではあれ操船不能となってしまうわけですが、しかし、同様に、そうして超光速航行を実施した航宙船のほとんどに、遷移前と後とで、ほんの数度というごく狭い範囲ではあれ、進路に変位が観測されているのも、またよく知られている事実です。

「この奇妙な不一致は何故生じているのか? 自律的なものでなければ、原因は他動的なものに求めるしかない。つまり、遷移途中に航宙船がなんらかの外乱を受け、その結果、針路に摂動が生じたのではないか。――だとすれば、通常航行時における操船手段が無効だからといって、それが即ち遷移途中での進路変更が不可能であることを必ずしも意味しないのでは?

「司令部よりの命令を必達すべく航法科わたしたちが発案し、実行しようとしている超光速航行中のターンは、だから、この推測をもとに組み立てたものです。

「このうち物理的側面の成否については、先に開示し、参照してもらった算式の通りで、さいわい私たちの下した可能性評価を妥当なものと、各位には同意をしてもらえました。――『トリッキーであり、まやかしくさえ思えるが、最終的に可能と同意せざるを得ない』……でしたか、まぁ、言い得て妙といった但し書き付きではありましたけれども」

 埴生航法長は微苦笑した。

 すぐに表情を引き締める。

「しかし、一方、物理的側面と同等以上に重要な情報生理面については、私たちは明確な解を示せませんでした。人間の精神というものが定量化しにくい構造体モノであるため、いまだ確たる数値モデルが存在しない故のことですが、結果、妥当な算式を組むことができず、正答を導き出せない片手落ちな現状となってしまっています。問題を解決するには、実験を繰り返し、観測結果を集約、経験則を積み上げて、試行錯誤を重ねていくより他に術がないからです。

「つまり、現在の私たちにとり、この問題について満足のいく解は得ようが無い。〈トランキライザー〉を最大強度で作動させる。既知既存の防護措置をすべからく講じる。――それら対処を徹底してさえ乗員の保護が確信できるレベルで担保されないと結論するしかないということになります。

「このような試みが本艦に先がけて実行された例がほぼ皆無である。事実上ぶっつけ本番であるというのが、予定航路に対する不安を払拭できない要因となっているわけです。

「本艦の舵をあずかる身としては、当然、この問題を放置し、無為無策のまま乗員の身命を危険にさらすわけにはいきません。命令事項を達成するため努力をはらうのは当然ですが、だからといって自らを人柱に捧げなければならない道理はないからです。任務の遂行と自己保全の――GoかNoGoか。境界線を見きわめなければなりません。

「そこで、まずは超光速航行実施の初回にて、負荷の度合いを見定めようと考え、そのためのプランを策定しました。

「実際面としては――」

 そう言いながら、埴生航法長は、自分の座席――アームレスト上に設けられた小さなコンソールに指をすべらせた。

 天井直下の銀河天球図が、自艦を中心として、更にいっそうズームアップする。

 星群がこちらに向かって押し寄せてくるように膨れあがり、見る者に、自分が暗黒の宇宙のなかを突き進んでいっているような感覚をもたらした。

 縮尺の変化にともない青いラインが、その線幅を増してゆく。

 瞬くうちに描画が変化し、青いラインが、その始点から終点までを示している自艦航路の概要図から、星々が密集し形成されている渦状肢――その中にあって例外的にぽかりと穴があいたように空疎な領域、〈幌筵〉星系近傍の詳細星図となった。

 見れば、ライン上の、とある一点が明滅している。

「実際面としては、本艦現在位置より約二〇〇光年先のこの宙域までを超光速航行中のターン、その実証テストに用います」

 埴生航法長の手がまた動く。

「比較用として通常基準に則り策定した航路をこれに重ねます」

 星図上に〈幌筵〉星系を起点とするラインがもう一本あらわれた。

 短い直線が連続した折線――大局的には緩やかな曲線が連続したようなかたちに見えるラインである。今や『面』と言ってよいほど肉太となった青いラインと較べるとはるかに細い。

 星図上、針路上にある恒星を避けているのか、右に左に、蛇がうねるように細かく蛇行し、主線である青いラインに付かず離れず、まとわりつくようにして伸びている。

 青いラインが最大公約数的、概要的とするならば、部分拡大、詳細説明のように感じられるラインであった。辿りつく先は、青いライン上で明滅している――埴生航法長が言うところの〈幌筵〉星系より約二〇〇光年先だという宙域。

「そして、これが実際に進もうとしている航路」

 星図の上に更に一本、新たなラインが描かれる。

 L字型をしたライン。

 空き地のように寂しい〈幌筵〉星系に同じく端を発して、星のまばらな領域を辿り繋いでいった結果そうなったという感じの軌跡。

 通常基準に則ったという先のラインと異なり、まったく異質な……、アストロナビゲーションの知識がある者からすると異常としか思えない軌跡を描くラインだ。

 それはいったん青いラインとは全く異なる向きへどんどん離れていった後、巨大な回帰軌道ブーメランを描いて、ほぼ直角にちかい角度で進行方向を変え、約二〇〇光年先で瞬く輝点の位置で先のラインと交叉している。

「ただ一回の遷移で、この距離の移動をこなします」

 そのラインを指し、埴生航法長が言うと、思わず、といった感じで要員たちのもらした感嘆とも呻きともつかない声が艦橋内に満ちた。

 通常の基準により策定された――常識的な航路ラインの方は、折線の複数の頂点がすべて輝点となって瞬いている。

 が、

 L字型のラインの方の輝点は、始点と終点の二箇所だけ。――屈曲部には輝点は無い。

 埴生航法長の今の言からすると、それら輝点はフネが超光速航行状態に入り、また脱することを意味している――頂点の数だけ遷移を繰り返しているということなのだろう。つまり、同じ目的地、同一の距離を進むのであれば、どちらの航路が効率的であるか、考えるまでもないこととなる。

 提示を先にされていた航路案を前に、あらためて艦橋要員たちが息を呑んだのは、自分たちが冒さなければならない危険と天秤にかけても試すだけの価値はある――そう思わずにはいられない、それは結果だからであった。

 非常識としか思えない航路案だが、自分たちがその試練テストに挑戦し、見事成し遂げ、やがては他の艦にまで普遍化するほどその新方式が利用されるようになったなら……、

 掛け値なしに裏宇宙航法をもちいた超光速航行……、いや、〈ホロカ=ウェル〉銀河系に革命がおきる――そう理解ができたからである。

 現在、従事している作戦行動にはなしを限ってみても、不足した要員を補充するため寄り道をした――それによって生じた遅れを取り戻すどころか、逆に早まる可能性すらあった。

〈幌筵〉星系に立ち寄らず、要員を足りないままで作戦を強行した場合よりもっと目的地に早く到達できそうだったのだ。

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