30.裏宇宙航法―8『深雪の日々、或いははじめての×○×○―2』

「えッ……?」

 思わず深雪は、そう声をあげていた。

 つい今の今まで暗闇の中、一人用の座席に腰をおろしていた筈だった。

 それが突然、隣に誰かいる。――そんな感覚におそわれたのだ。

 しかも、

(や、ヤだ! わたし、裸?! 裸になってる! な、なんで……?!)

 いつの間にか船内服はおろか、下着まで脱いだ、生まれたままの姿に深雪はなっていたのである。

 もちろん自分が素っ裸なことは、じかに目で見て確認したわけではない。

 それは脈絡もなく突然湧いて出た正体不明の隣人についても同様である。

 でもわかる。

 素肌からつたわってくる感覚がそう告げている。――自分が今は裸で、すぐ隣に誰かがいる、と。

……いずれにしても深雪が気分を落ち着け、冷静さを取り戻せるような猶予はなかった。

 何故なら自分が一糸まとわぬ、あられもない格好になっていると感じて悲鳴をあげ、反射的に我が身を隠そう、かばおうともがいた矢先、

 体温を感じる程の近さの誰かが、やわらかな肢体をむぎゅ~っと押しつけ、一分の隙間もないくらいにぺったり抱きついてきたからだ。

 深雪は動転した。

「わッ?! きゃッ! ちょ……、や、ヤだッ!」

 締めつけてくる圧力、つたわってくる体温、しっとりとした人肌――女性のものでしかありえない皮膚感覚にジタバタもがく。そのせいだろう、いつからかヘルメット内部に頭蓋を共鳴振動させるようなともハウリングともつかぬくぐもった音が響いていることに、深雪はまったく気づかなかった。

 そして、

『総員、本艦はこれより遷移にはいる。一〇、九、八、七……』

 そうこうするうち、難波副長の声が再び響く。

 一〇秒後に緊急遷移を実行する旨告げてきた。

「わ……、た、大変! や、やめて……! そんなくっつかないで……! もう遷移? が始まっちゃう。み、ったら……!」

 カウントダウンが刻まれるなか、焦る深雪は、無意識のうちに同室している先輩の名を口にしていた。

 直後にハッと我にかえるが、どうしてわたしは先輩の名を? などと冷静に理由を考える間など無い。

『……ゼロ』

 機械のように正確な秒読みを続行していた難波副長の声がそう告知してきて……、

 そして、すべては終わったのだ。

「え? えッ……?」

 音もなくヘルメットが頭の上から取り払われて視界がもどり、リクライニングも元に戻った座席の上で、だから深雪は呆然となっている。

 自分の身体のあちこちを見て、焦ってぺたぺたその手で触ってみても、もちろん何も変わったところはない。隣に誰がいるわけでもなく、座席の上で裸身をさらしているわけでもない。主計科室の自分の席に座った時と変わらぬ自分がいるだけだ。

 当然だった。

 あらためて主計科室の内部を見まわしてみるまでもなく、部屋の中には自分と御宅曹長の二人しかいない。

 その御宅曹長も自分の席に腰掛けていて、今しもヘルメットが元の通りに座席の背面へ収納されているところだ。席から立って深雪にセクハラまがいのイタズラをし、再び自分の席に戻って素知らぬ振りを決めこむことなど出来そうになかった。

 着ている服についてもそうだ。

 まさかアブクで出来ているわけでもあるまいし、着ている服が、下着までひっくるめて溶けて無くなってしまうような不思議がある筈もない。百歩譲ってあり得たとしても、だとしたら、いま身につけている着衣は全てがいったん溶けて、再びもとに復したことになる。いくらなんでもそんな魔法のような現象が、ごく短時間の内に起こったなどとは信じる方がおかしかった。

 が、

 しかし……、

 では、あの感覚は一体……?

「は~い、オ・シ・マ・イ。お疲れさ~ん♪」

 すっかり混乱してしまった深雪に、御宅曹長が、ウン! と、おおきく伸びをしながら声をかけてきた。

 深雪もそうだが、彼女もまた、今回の緊急遷移が訓練だろうと考えていたらしい。

 宇宙生活も軍歴も深雪よりも長いのだから、当然といえば当然ではある。

 やはりと言うか案の定、予想通りであったので、訓練が無事終了した今、後輩みゆきにねぎらいの言葉をかけてきたと、そういうことであるらしかった。

 そして、

「今のはぜぇ~んぶ、電子的な外挿刺激によって強制された錯覚よ」

 当の後輩がなにやら首を傾げてばかりの様子であったから、してやったりの満面の笑みを浮かべて、手品の種明かしめいた解説を一席ぶちはじめる。

「アタシらが着てる船内服には、保温、保湿、増力、感覚制御他の機能があって、首には生体情報を送信するトランスポンダを巻きつけてるだろ? それに加えてヘルメットに組み込まれてあるHMD、インカム類は、実は使用周波数の帯域変更が可能でサブリミナルレベルでの出力をおこなう能力がある。

「こうした個人個人の入出力装置をネットワークで連結し、トータルで管理をしてやると、ちょっとした手品が実行できるようになんの。実際にはそこに存在しない人間を、あたかも隣にいるかのように錯覚させること――そうした感覚を〈連帯機〉にリンクしている人間の肌に生じせしめることが可能となんのよ。

「なんなら電子的な催眠術と言ってもいいけど、とにかく、それが〈連帯機〉――人間の感覚情報入出力を電子的に編集統合して、システムにリンクしている人間に疑似体験インストールさせるコミュニケーションデバイス。機械が繋いだ個人同士の肉体感覚情報を互いに共有させる装置ってワケ。

「皮膚感覚として隣人の存在を確信させるというその性質上、〈連帯機〉にリンクした人間は、まず自分が素っ裸になったかのような錯覚におちいることになるってのが、ま、欠点と言えば欠点かしらね?」

 だから、すこし恥ずかしいかもしれないけどって言っといたでしょ? と言いながら、くつくつと笑った。

 意味ありげな目付きで〈纏輪機〉の画面越しに見つめられ、深雪の頬が赤くなる。

「……衣服を着用している感覚が残っていると、隔靴掻痒かっかそうようと言うか、ダイレクト感に欠けて、催眠術のかかりが悪くなるからですか?」

 すこしなんてじゃない。――そう思いながら、精一杯の虚勢を張った。

 深雪の推察が的確なことに驚いたのか、少し目をまるくして、御宅曹長は頷いてみせる。

「ウン、ご明察。下着までもをわざわざ官給品にして、船内服の裏地と素材を統一するくらいに手間暇かけてるのはそういうワケ。バカ婕布マテリアルでつくった下着を支給し、その着用を義務づけるほど、お偉いさんたちは〈連帯機〉接続時の着衣のに気をつかってる。

「ま、にはない独自の超光速航法を安全無事にしこなす為だから、ぜったい必要な投資なワケだし、我と我が身をまもるため甘受すべき恥辱ではある。何よりおかげで今日はイイ目をみさしてもらったことだしね」と、そこで深雪の肢体を上から下まで舐めまわすように見て、

「いや~、さすがにティーンエイジャー。若い若い♡。お肌といいお肉といい――ピチピチ弾けるみたいで実に味わい深い感触だったよ。青い果実たぁ、まったくもって言い得て妙だと実感したね。今日のアタシはツいてるってか、訓練スケジュールの巡り合わせに感謝感激雨霰ってところだな。まったくもって、目の正月(?)たぁ、このことだ。

「……でも、やっぱ、アタシとしちゃあもチッとばかし、ふっくらモチモチしている方が好みかな?」

 イッヒッヒッヒ……と御宅曹長はオッサンめいた目つきで笑った。

「あ、アスリートですから節制をして身体を絞り込むのは当然です! っていうか、セクハラですよ、それ!」

 食い入るように見つめられ、ワキワキいやらしい素振りで手をうごめかしてみせる相手から、かばうように我が身を抱くと、深雪は口をとがらせ抗議した。

「あっはははは……。ごめんごめん。でも、まぁこれで、〈連帯機〉が通称〈メロメロ〉――『ハグ&キス』って呼ばれる理由もわかったんじゃない?」

「う……。そ、それは……、まぁ……」

 指摘をされて渋々うなずく。

 たった今し方の経験で、一人掛けの座席であるにもかかわらず自分の隣に現れた、あの幻の女性――は、とても幻覚だとは思えないほど生々しかった。

 本人が名のったわけでもないのに、自分に触れてきたのが御宅曹長だと、何故だか深雪はそう思い込んでいた。……いや、もちろん自分と同室していたのは御宅曹長だけだったのだけれど、その前提を抜きにしてなお、そう確信しきっていた。

 あまつさえ、深雪にはそっちのなどまったく無いのに、悲鳴をあげかねない程うろたえながらも、なんだかその存在にホッと安心する心持ちになっていた。

 突き放して逃げるどころか、このままでいい――思わず、そう身をゆだねたくなってしまって、お互い裸で抱き合っているのに、忌避感いやらしさなんて、まったく感じもしなかった。

 確かに御宅曹長が言うとおり、〈連帯機〉が通称、『』と呼ばれているのもむべなるかな、な経験だったのだ。

「でもってサ――今回は訓練だったからこれでオシマイなんだけど、それはそれとして、大倭皇国連邦わがくににおいて、外宇宙へ出張る航宙船ふな乗りたちが、ほとんど女性で占められてる理由も、これでおおよそわかったっしょ?」

 意味ありげにウィンクなどして御宅曹長が、そう訊いてくる。

「え? ええ、そうですね」

 不意をつかれ、とまどいながらも深雪は頷いた。と、同時になんとも形容しがたい……、どちらかと言うと苦めの表情になった。

 イヤな想像をしてしまったからだ。

 ……たった今、自分が経験したばかりのあの感覚。

 何故、あれが不可欠なのかはわからない。

 わからないが、たとえ光を超える速さで宇宙を渡っていくため必要なのにせよ、女同士ならともかく、男同士でのああいう場面は、正直、想像したくもない。

 それを御宅曹長の質問によって、つい脳裡に思い描いてしまった。――渋面はその結果であった。

 この世の中にいるのは見目麗しい男性ばかりではないからである。

 飛行科の人外でぶっちょどもが、はなから論外なのはもちろんのこと、むさいオッサン同士のからみなど、お金をやると言われたって見物するのは絶対にゴメン。

 そして、そんな思いは、当の男性たち自身もまったく同感なのに違いない。

(なるほどなぁ。宇宙軍の男女比が二対八だなんてことになるのも当然よねぇ……)

 しみじみ納得してしまう深雪であった。そんな深雪の様子を御宅曹長が、どこか残念そうな表情で眺めている理由は不明だったが、

 とまれ、


『緊急遷移訓練終了。緊急遷移訓練終了。艦長より、総員、よくやったとのお褒めの言葉をいただいた。今回の訓練における欠格者はゼロ。以上だ』

 ちょうどその時、難波副長のアナウンスが艦内に響いて、訓練は終わった。

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