4.出征―4『レッドカード-2』
「深雪……、お茶を
あまりと言えば、あんまりなレッドカードの告知を読んで、床の上にへたりこんでしまった深雪だったが、そこに届いた
かぶりを数回、勢いよく振る。
(……しっかりしろ、深雪!)
両方の頬をピシャンとはたいて気合いを入れた。
わらいそうになる膝に、グッと力をいれて立ち上がる。
(時間がないんだ。四日しかないんだ。泣いたり、自分を哀れんでみたり、メソメソしていられる余裕なんかない。モタモタしてるヒマはないんだ――しっかりしろ!)
呪文のようにそう繰り返し、目許を乱暴に拭うと念のため、鏡の前で自分の
「ちょっと待ってて。いま行く~!」と、声の震えを悟られないよう注意しながらドアの向こうの母親にこたえる。
先にも触れたが、大倭皇国連邦の国民にとり、宇宙軍から召集される――兵隊に行くということは、たいへん名誉なこととされている。
なぜなら女皇――ひいては銃後の国民すべてを護る
大倭皇国連邦は小国――他国を侵す程の力を有さぬささやかな国。
従って、宇宙軍の将兵が血を流すのは、ひとえに祖国を護るため。
だからこそ、お国からお呼びがかかったのにもかかわらず、それを拒否して『兵隊さんにはなりたくない』などと公言すれば、まさしくとんでもないことになる。
兵役逃れは重罪と、法にハッキリ定められ、禁固もしくは罰金(あるいは、その両方)が科されるのはもちろんのこと、最悪、公民権までもを剥奪されかねない。
公民権が無ければ、まともに進学就職ができないのは当然として、保険医療をはじめとする一切の公共サービスを受ける権利が消失する。
更に、その上にかぶさってくるのが、社会的な制裁である。
人の口には戸がたてられぬもの。――『令状が手許に届けられたのにもかかわらず、
挨拶しても無視される。非難中傷いやがらせの類は日常茶飯事。買い物に行っても商品を売ってもらえなかったり、学校や職場では
そして、そうした応召者本人の周囲までもを巻き込んだ村八分そのものな生活が、その先、応召者が生きていく上で際限なしに続くのだ。
将来が思いやられるどころの段ではないではないか。
深雪の場合で言うなら、深雪が、もしも今、手にしたばかりのレッドカードを拒否すれば、それを理由に、深雪はこれまで努力してきた陸上競技に関わる一切から除名、除籍処分を受けるのだろうし、家族は家業の商取引が契約先から打ち切られかねない――そういう事だ。
……もちろん、絶対に、ではない。
法律、条例等、明文化されてある
が、
あくまで可能性の域にとどまるといっても、当然、楽観などはできないし、安閑となどもしていられない。
世間はひろく、人は雑多だ。
状況が悪く転べば、徴兵を拒否した応召者本人のみならず、家族や縁者までもを的にかけた
なんともゾッとするしかない未来ではないか。
ある意味、法律に則った制裁よりも、私的で、感情にまかせたそれの方が、制御できないぶん、よけいに厄介で怖いのだった。
事ほど
だから、深雪は歯を食いしばった。
(チクショウ……!)とは思いながらも、涙をこらえた。
ひとかどの陸上選手として好成績をおさめ、みごと栄誉を手にする、もしくは酪農を営む実家の跡を継ぎ、収益を改善させして、もっと経営を安定させる。
深雪が、ちいさな子供の頃から考え、努力し、準備してきた将来設計はそれだった。
その、自分の夢も計画も、レッドカードの無茶振りを満足できなかったばかりに水の泡にしてしまう。――そんな無体を我慢できよう筈がなかったからだ。
だから、
精一杯に虚勢を張り、不自然な態度にならないように細心の注意を払いながら、リビングで母親とお茶を楽しんだ。――そういう風を装いながら、なんでもない顔の裏側で、深雪はレッドカードが告げる目的地までのルートを頭の中でひたすら検討しつづけたのだった。
そして、
ふたたび自室に戻って、ふと思いつき、机の上に置いたレッドカードを手に取った。
表面に触れ、ディスプレイパネルがオンになってから確認をすると、やっぱりあった。
トップ画面の中程に、『メニュー』と書かれた部分があった。
早速、深雪はその部分にタッチしてみる。
すると、もうお馴染みとなった電子音がピッと鳴り、レッドカードからすこし離れた空間に、『メニュー』表示の一覧がズラリと投影表示されてきた。
同時にレッドカードのディスプレイパネル表示も切り替わり、こちらは検索したい項目を指示するタッチボタンがズラリと並んだ電卓のような画面となった。
「学校で習った通りね。『万が一、宇宙軍から召集を受けて、わからないことがあったり迷ったり――困った時には、とにかく召集令状を頼りなさい』って」
そう呟きながら、深雪はズラリと並んだ『メニュー』一覧に目を走らせると、項目のはじめの方に表示されている『入営まで』とタイトルされたものを選んだ。
レッドカードの画面上にある該当するボタンにタッチした。
まずは宇宙軍が告げる公式手順を参照しよう。
レッドカードを受け取った応召者が、指定された場所に出頭するまでの流れをガイダンスを読んで把握しよう。――そう思ったのだ。
以前に学校の授業で、召集令状には初めて宇宙軍に入隊する応召者のため、入営作業を円滑にすすめる工夫が盛り込まれてあると習ったことを思い出したからである。
「持って行ける私物は、重量一〇キログラムまで。でもって電子機器、通信機器類は持ち込み不可、か……」
案の定、深雪が気付いていなかった注意事項が、そこには幾つも書かれてあった。
持ち込む私物に重量制限や禁止対象があるのは、宇宙船にはシビアな重量規制があるためと、それから軍隊ならではと言うべき機密保持のためだろう。
とはいえ、その他ほとんどの点は、さして目新しいものもなく、深雪はレッドカードが告げる内容を確認しながらも、下着や身の回り品を中心に、テキパキ用意をととのえていった。
このあたり有望株の陸上選手として、これまであちらこちらへ合宿、遠征その他で出かけた時の経験が大いに役立っている。
自室のキャビネットから取り出した旅行カバンに、机やクローゼットから引っ張り出した荷物を次から次へと手際よく深雪は詰め込んでいく。
作業の進み具合は順調で、完了するまでに大して時間もかからなかった。
だから、何より問題なのは、ただ一つ――たった四日間という出頭期日の方だった。
最終的な出頭場所が、〈幌後〉へやって来るという戦闘航宙艦なのだから、深雪はそのフネが入港する宇宙港に行かねばならない。
つまり、ルートとしては、
自宅を出て、まずは最寄りの駅から
そこから赤道行きの線に乗って、ロケット発射場である
そして、
ざっと考えただけでも、中間地点である中央空港へ辿り着くだけでも惑星表面をほぼ半周移動する必要があった。
が、
惑星表面を半周してなお、ようやく経路の半分程度をこなしたにすぎない。――シャトルに乗って宇宙港までの道程(高度にして約三六〇〇〇キロ)が、依然、まるまる残っているというだけでない。
最大の難点は、そのシャトルの席が確保できるか? という一点なのだった。
これが低軌道を周回している衛星群を目指す便なら問題ない。
それくらいなら、そもそも中央空港になど行く必要すらない。
近所の気圏飛行場から衛星低軌道まで上がれる
それで済むなら、深雪は家族や友人たちに壮行会でもひらいてもらって、もっとゆっくり出来ただろう。
しかし、〈幌後〉と他の惑星、他の恒星系を結ぶ国際宇宙港は、そうした軌道の遙か上――宇宙観光や低重力医療、また工場、農場衛星といった衛星群がひしめく低軌道よりもずっと遠くの静止軌道に位置している。
惑星表面からほんの二〇〇〇キロ内外、薄皮一枚隔てた程度の低軌道――亜宇宙に較べて、そこまで
〈幌筵〉星系において人類可住惑星として〈幌後〉の内側軌道を公転している〈
〈幌後〉も〈幌前〉も、そのどちらもが生物資源を主要産業としている惑星であったから、どっちもどっち、〈前〉でも〈後〉でも大して何が変わるわけでない――代わり映えがしないというのが理由の一つ。
そして、公用、社用を除き、個人が更に遠く――〈幌筵〉星系から外に出かけるのには、その費用の捻出に困難を感じる程には住民たちは貧乏であるというのがもう一つ。
さしたる必要性もなく、娯楽に費やすのには手許が不如意――つまりはそういうことなのだった。
惑星経済が、それで何とかまわってしまうのだから、当然と言えば当然なのだが、しかし、
現状がそうとあっては、庶民にとって『国際便』など一生に一度と言うもおろかな程しか需要がない。
新婚旅行で大盤振る舞い――『
乗り継ぎがうまくいってもギリギリなのは間違いないのに、その乗り継ぎ自体が無理、難しいとなると、深雪にとってはそこで終わる。
実際、自室の端末から宇宙港までの切符を一括手配してみたところ、シャトルのチケット購入の部分で、『予約不可/キャンセル待ち』と出てしまった。
しみじみ、故郷がド田舎であることが恨めしくなる。
「それでも、とにかく行けるとこまで行くしかないよね」
無情な回答を表示している自分の部屋のネット端末ディスプレイ、
そして、キチンと片付けた室内、
荷造りを終え、持って行くばかりにととのえたカバン、
それから、レッドカードを順に見つめて深雪は、溜め息まじりに呟いた。
レッドカードの表面には、出頭先――深雪がこれから乗り組むことになる戦闘航宙艦の名前が表示されている。
「巡洋艦〈あやせ〉、か……」
ぽつり……と、ふたたび美雪の唇から呟きがもれた。
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