3.出征―3『レッドカード-1』
「深雪……」
多分、ほんの数分のできごとにすぎなかったのだ。
そそくさと役場職員の男が帰っていくと、背後から母親が呼びかけてきた。
わずかに声が震えている。
無理もなかった。
未だ公式発表こそ無いものの、戦争がはじまったことは、
それも、いきなり甚大な損害をこうむった負け戦として、である。
召集令状を受け取った娘のことを母親が心配するのは当然だった。
深呼吸をして、深雪はゆっくりと振り返った。
意識して顔に笑みをうかべてみせる。
「大丈夫よ、母さん。兵隊に行くったって、どうせ最寄りの練兵団で再訓練の上、自警団行きとか、軌道港の雑役船に乗るとか、その程度に決まってるわ。だって、わたし、学校の教練以外で練兵教育なんて受けたことないもの」
兵隊として使い物にならないわよ。――ことさらに明るい口調でそう言うと、着替えてくるねと言って、深雪は自分の部屋へ引っ込んだ。
背中でドアを閉めると、手にしたままの召集令状をあらためて見る。
――レッドカード。
呼び名の通り、全面が真っ赤な葉書サイズの樹脂製カード。
その内部には電子回路が組み込まれてある多機能カードだ。
今その表面には、『至急!』、『通達内容を確認せよ』、『本令状の表面に触れること』といった文言が、明滅しながら繰り返し表示されている。
応召者である深雪が受領の証として触れたことで、自動的にスイッチが入ったのだろう。
指示に従い、深雪は再びカードの表面に手を当てた。
すると、再びピッと電子音がして、カードから少し離れた空間に文字の羅列が浮かび上がった。
――ホログラムだ。
召集令状の通達文が、深雪の目の前に立体投影で表示されたのだった。
『田仲深雪。
『宇宙軍第二甲種補充兵一等兵。
『右充員召集ヲ令セラル依テ下記日時到著地ニ参着シ、此ノ礼状ヲ以テ当該召集事務所ニ届出ヅベシ』
お役所に特有の四角張った文語調の言いまわしだった。
要は、お前を兵隊として召集するから、この令状を持って、指示された日時までに指定された場所へ行けと言っていた。
御上からのお達しとあって、何とも上から目線な文章だったが、それはさておき、告げられた内容には一つ、どうにもおかしな点があった。
言葉遣いではない。
レッドカードが――ということは宇宙軍が、深雪に与えた軍隊内での階級の部分だ。
何故か、深雪の肩書きが一等兵になっている。
軍隊についての知識がほとんど皆無の深雪は気がつかなかったが、本来、召集したばかりの新兵に、そんな位はありえない。――そこだった。
それまで一度も軍務に服したことのない人間――そんな彼、もしくは彼女が、最初に軍隊内部で与えられる身分は、(他のどのような組織でもそうであるように)当然ではあるが最下級のものだ。
――二等兵である。
二等兵とは、軍人であって軍人ではない者。
一般人が私服から軍服に着替えただけの素人であり、言うなればナンチャッテ軍人にすぎない。
見習いであり、研修生なのだと言い換えても良い。
いずれにしても軍人としての教育が未了の者がほとんどだから、そのままの状態では危なっかしくて、とてもではないが実戦部隊になど配置できたものではない。
地上世界であればまだしも、人類の生存を徹底的に拒む宇宙空間を活動の場とする宇宙軍にあっては、そんな人事決定をするのは無理無茶無謀の極みで不可能だ。
まずは宇宙空間で生きていく為のノウハウを骨の髄まで染み込む程に叩き込み、そうして築いた土台の上に軍人としての教育訓練を施してゆく。
宇宙軍の軍人は、軍人である以前に
軍が自らの予算の一部を割いてでも、宙免取得に便宜をはかる奨学制度を提供しているのもその為である。
少なくとも宇宙空間での身の処し方を一通り身につけている人間ならば、召集した後の手間が半分で済むからだ。志願者増も期待できるし、宇宙で働く人間の数を増やしておけば、徴募対象者の選定にも困らないという人材確保の裾野をひろげるための戦略と言える。
また、助成金を提供することによる民間人の宇宙軍への認知度アップ、好感度アップといった宣伝効果も無視できない。
長い目で見れば組織拡充の面からも、損して得取れではないが、こうした支出は、むしろ積極的にやっておくべきことなのだった。
とまれ、
召集令状を受け取ったばかりの新兵というのは、おおよそにおいて、そうした存在なのである。
俗に『
――足手まといの役立たず、だ。
そんな半人前以前の人間に、いきなり、『先輩の兵と同じようにせよ』などと簡単気楽に命令できるわけがない。
なにせ基本ができていないのだから、命じたところで、ただただ右往左往して途惑うばかり。へまをしでかし、周囲の足を引っ張るだけの結果となるのは目に見えている。
無茶振りの結果、あたら新兵が事故死する悲劇を招きかねないのはもちろんの事、最悪、高価貴重な軍の装備や機材、施設、艦艇にまで被害がおよぶ危険性すらある。
だから、本来、召集令状を受け取り、徴募されたばかりの新兵たちは、最寄りの練兵団でみっちり教育を受けることとなる。
そうして練成過程を経た後に、卒業証書代わりに一等兵へと昇進。実戦部隊へ配置される段取りと、手順が定められているのである。
ところが、深雪の場合はそれが無視されている。
はじめから一等兵として召集することで、練兵団にての練成課程を経る権利を剥奪されてしまっている。
深雪は気付いていないが、そうなのだ。
まるで特例か、もしくは事務手続き上のミスのようなかたちで、一足飛びに昇進させられた代償が、実はそれなのである。
深雪が既に宙免二種のプロライセンス保持者であることを根拠の判断なのかも知れなかったが、踏むべき手順を抜かし、飛ばしている事実は変わらない。
そして、
自身の身分を一等兵と定められてある召集令状を受領してしまった以上、深雪は、それがどのような任務、配属先を命じ、指定していようと拒絶できない。
何故なら、一等兵は一人前の軍人なのであり、であるならば、
軍が深雪を一等兵に任じたというのは、要するにそういうことなのだ。
なんとも詐欺まがいのやり口なのだが、それだけに切羽詰まって、なりふり構っていられないといった焦りが、そこからは垣間見えてくる。
つまりは、巷で噂されている通り、大倭皇国連邦を取り巻く状況が、それだけ逼迫している――危機的であることが、そうした一事からでも容易に予想されるのだった。
現に、
「……本気なの、コレ?」
上から下へ、自動的にスクロールしていく投影表示――通達文を読み進むにつれ、思わずそんな呻きが深雪の口をついて出ている。
それまでも決して良いとは言えなかった顔色が、今ではすっかり血の気を失い、まるで紙のようにまっしろなものになっていた。
案の定と言うべきか、それとも予想以上と言うべきか、
深雪が手にしているレッドカードの文面には、その任地として間もなくここ――惑星〈幌後〉にやって来る戦闘航宙艦が指定をされてあったのだ。
意表を突かれたどころの騒ぎではない――まさしく度肝を抜かれる成り行きに、深雪が呆然となるのは当然だった。
まったくもって常識外れにも程があるというもの。
召集令状を紐解いてみれば、予想していた訓練もナシ、猶予もナシに、初手から実戦部隊への配属命令。
それも、まだ安全だろう支援施設などではなく第一線で戦う戦闘航宙艦行き。
後方勤務者としてではなしに、完全に戦闘要員としての役割を命じるものだったのだ。
軍隊だなんてドラマで見知った範囲内でしか知識とてなく、右も左もわからないというのに、いきなり最前線送りである。
きわめて限られた知見の中から、宇宙軍兵士の新兵教育・訓練施設たる練兵団か、星系防衛部隊の軌道港駐屯地に行くものだとばかり考えていた深雪は真っ青になった。
彼女が母親に語った予想は、相手を安心させる為だけでなく、自身そう信じていたものだったから尚更だ。
宇宙軍との関わりといえば、宙免取得時のそれを除けば、
しかも、指定されている出頭日時がまた無茶だった。
「ナニコレ、たったの四日しか猶予がないじゃない!」
四日後には、件の戦闘航宙艦に乗り組むため、惑星〈幌後〉の静止軌道をめぐる宇宙港に到着していなければならない。
遅刻は許されないし、万一たどりつけなければ、最悪、犯罪者扱いだ。
今の今まで自分とは無縁と、気にしたこともなかった兵役拒否という罪名が、深雪の頭上にのしかかる。
……出征するにあたって壮行会をしてほしいなどとは思わない。
しかし、出頭期日がこの日程では、誰に別れを告げる
「メチャクチャだよ……」
読めば読むほど、イジメか何かとしか思えないレッドカードの通達に、深雪は目の前が真っ暗になった。
確固としていた筈の大地が、自分の足許からガラガラと崩れ、奈落の底に無限に沈んでいくかのようだ。
もっとも、深雪が通達をその細則に到るまでキチンと目を通していたなら、期日までに出頭できない場合の連絡先その他の記載があることに気づいたはずだ。突然の召集に、すっかり動転してしまったがための見落とし、早合点であった。
まぁ一八歳になったばかり――成人年齢に達したばかりの、なりたてほやほやの大人であるから仕方がないと言えば仕方がない。
いずれにしても、思わず膝からカクンと力が抜けて、深雪はヘナヘナとその場に坐り込んでしまった。
「どうして……?」
そんな呟きの声が思わず漏れる。
頭の中は大嵐。
もはや出場することのかなわぬ競技大会、今まで積んだ研鑽の日々、思い描いていた将来の夢、家族や友人たちの顔、顔、顔……。そうした事どもが走馬燈のように頭の中に浮かんでは消え浮かんでは消え……、
更にはそこに、戦場で銃を片手に震えている自分、攻撃を受けて負傷し血反吐を吐いて苦悶する自分――ドラマで観ていた役者の姿が自分自身に置き換えられて、グルグルグルグル……、際限もなしに渦を巻く。
もう、そのまま気を失ってしまいそうだった。
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