住みます。

 「管理人室は一階にございます。」宮本が歩き始める。

目の前には、きちんと外の世界が広がっていた。見慣れぬ景色ではあるが、どこにでもある普通の景色だ。少なくとも煮えたぎる釜や延々と続く針の山は見えない。

民家が立ち並び、前方の公園では小学校低学年くらいの子供達が楽しそうに駆け回っている。遠くの空には青い山脈が小さく連なっていた。

「あのう..宮本さん...。」

「はい。」

「この世界には、僕以外の人間も住んでいるのでしょうか?」

「ええ、もちろんでございます。108階建ての当マンションでは現在500名近くの人間が生活をしております。」

「ひ、ひゃくはち....ほ、本当ですか.....?。」

「ええ、当マンションの居住者様は全員余命を宣告された者達です。残り寿命の長さにより階が変動いたします。残り寿命が10日減るごとに、1階ずつ下ってゆくのです。」

僕の部屋は現在3階、右から二番目の部屋であることを確認したから、さながら302号室と言ったところか。

「奥田さんの寿命は残り1ヶ月なので3階ですね。108階中の3階です。いかに残りの時間が少ないのか分かりますね?」宮本が言う。

「は、はい。」

僕の頭上には105階分の人々の寿命が乗っかっているのか。

「じゃあ、あそこで走り回っている子供達も余命を...。」

「奥田さん。あの緑色の帽子を被った男の子が見えますか?」

「ええ、はい。」

「高野翔太くんと言います。」

「え、えぇ。それで…?」

「一階です。彼の部屋は。」

「え………。」


「1階を終える...要するに現実世界で死んでしまった場合はどうなるんですか?」

「当マンションは退去していただきます。」

退去した後の世界がどうなっているのか、僕には聞く勇気がなかった。


 やがて管理人室と呼ばれる部屋にたどり着いた。1階の角部屋、101号室。外観は僕の部屋とまるで変わらない。

「どうぞ。」

無言で入室した僕だったが、部屋の内情を見渡して声をあげずにはいられなかった。

「い、いやあ...。」

部屋の3分の1ほどを占める、まるで社長のような立派なデスクには大量の書類が平積みにされている。足元にも乱雑に散らばっている程だ。部屋の両脇にはガラス戸のショーケースがあり、僕もよく知らない女キャラクターの際どいフィギュア達が整然と規則正しく並んでいる。

雑念と整然の対比がつき過ぎているその部屋は、宮本が何を大切にしているのか一目瞭然であったが、僕はやっと人間らしい一面が見れたような気がして少し安堵した。


「驚きましたか?」

「いや、まあ、ある意味...。」それはもう。顔には出さないようにしておこう。

「そちらの椅子をお使いください。」彼が指差す方角には、この部屋の差し色であるかの様にピンク色の可愛いウッドチェアーが佇んでいる。

絶妙に小さいそのプリティに窮屈に腰をおろした途端、宮本はニヤニヤと話し始めた。

「いやあ、ふふふ...なんだか友達が家に遊びに来たかのようで、ワクワクしますねえ...。」

「はあ...。」

「まあ、それはともかく改めまして、私、当マンション『夢見が丘ワンダーランド』の管理人を務めております、宮本幸太郎と申します。住民の皆様には、おばけ、亡霊、死神、だなんて呼ばれております。ニックネームで呼ばれるなんて、友達みたいで嬉しいですよねえ...ひひひ...。」

「いや、親しみは込められて...。」言いかけたが僕はやめた。

この男はどう考えてもヤバイ。普段は大人しいがキレると何をするのか分からないタイプの人間だろう。実際僕は小学生の頃、普段は仏そのものである慈悲深い岡本くんの地雷を4回ほど踏んでしまい、後頭部を6針縫う大怪我を被ったのだ。同じ匂いを感じる。

「そ、そうですね...。」僕は素敵な笑顔で渾身の愛想笑いをする。

「それで、居住手続きというのは何をするのでしょうか?」

「ええ、ええ、手続きとは言いましても1枚の契約書にサインをいただいた後、この世界の説明をざっくりさせて頂くだけでございます。」

雑に積み上げられた紙々の中から、1枚だけを器用に引き抜き僕に差し出す。

部屋が汚い人間に限って、大事なものの場所だけはきちんと把握しているのだ、僕は同僚の坂本を思い出した。


契約書


私、_________________は、夢見が丘ワンダーランドに居住するにあたり、当世界にて経験すること一切について、これを現実世界にて口外しないことを約束いたします。

万が一、現実世界の言動や行動の結果、当マンションに何らかの損失を与える結果になった場合、私の身を以て償うことを約束し、ここに署名します。


                  年 月 日  氏名_____________________ 印



A4サイズの紙に、目が醒めるほど余白の多い契約書だ。

「宮本さん...これ......。」

「ええ、当然みなさん最初はその様な顔をいたしますね。」

「身を以て償う、とは具体的にどういうことなのでしょうか?」

「それは...今申し上げることはできません。」

「ただ、まあ、そこまで悪くはないと思いますよ。」

宮本は笑っていない。それどころか少し寂しそうな気配を感じた。


もともと失うものなど無い身なのだ。僕は手渡されたペンで軽く署名した後、拇印を押した。

「ありがとうございます。」

再びニヤニヤと笑っている。

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