第3節-C

 太陽の光は目をつぶっていようと眩しく感じる物だが、その光がこんなにも苛烈であったとは彼自身思ってもいなかった。先刻までじめじめしていて灯りも少なかった地下空間に居続けていたせいか、ほんの少しの太陽光でも眩しくて仕方が無い。


 (……清田君……聞こえる?……)


 もちろん茜の幻聴は聞こえたままだった。記憶の最後に残された注射針の痛みと薬で寝かされた時特有の妙な気だるさが伴うせいで、極めて不快である。しかし眠っている間からずっと太陽の光を浴びているうちに、いくらか平生の自分の様に腹が減ってくるのを感じ始めていた。時計を見れば三月二十一日、午前九時四十分。彼自身時計をよく確認していなかったのでどれだけ眠っていたのかはわからないが、半日はぐっすりと眠っていた様な感がある。


 ひとまず清田は湯を沸かし、部屋に残ったカップラーメンを包むビニールを取ってフタを半分剥がし、ちゃぶ台の上に置いた。その時、ちゃぶ台の上に置かれた見慣れぬメモ書きと一枚のキャッシュカード、通帳に気がつく。彼が書いた物では無い走り書きは、おそらく西野が書き残した物であろうと容易に見当がついた。


「清田へ。

 我々としても木村という存在はイレギュラーだった。そして、まさか彼が茜を殺害するとは思ってもいなかった。この点に関しては完全な想定外であり、我々も君から救援を要請されるまで戦闘の全容を把握仕切れていなかった。本当に申し訳ない。

 そして君自身あの戦闘で初めて本物のF細胞を破壊し、他者を初めて殺したのだ。精神的な動揺があって当然だし、それも鑑みずに地下に閉じ込めておいたのは惨い行為だったと反省している。

 だから君がこれ以上過去に干渉する事を望まないならば、この戦線から離脱しても良い。木村という人間は現代でも死んでいるだろうが、現実世界で殺害しておらず我々以外に過去に遷移する技術を持つ存在が現状フューションにしか無い以上この事件を殺人として立件するのは不可能だ。警察のお世話になる事は無い。

 もし戦線から離脱するなら君は今後過去に一切干渉しない事、そして食糧と金銭の調達を除いてなるべく外に出ない事、我々の存在を他者に喋らない事、この三つを徹底して欲しい。この事件が解決され次第我々がそのキャッシュカードと通帳を回収し、マスターF細胞の機能を停止して従来の人間に戻す。それまではこの家で静かに過ごしてもらいたい。

 そしてこれはとても不躾だし、情けない頼みだが、もしも君がそれでもなお我々に協力してくれるならば是非助力をもらいたい。戦線に復帰してくれるなら、最大限の報酬をこちらも支払おう。

                             以上」


 小さなメモ用紙の裏面にまで続く手紙を読んでいる内に、ヤカンから湯気が立ち上ってきていた。清田は急ぎ火を止め、カップ麺に熱湯を注ぐ。それからカップ麺の上に時計を乗せ、また待ち始める。

 清田自身、もう一度戦線に戻る気など毛頭無かった。メモ自体は他者に見られると面倒になりそうだから貴重品をしまっている小さなダイヤル式金庫に入れておいたが、もしそんな事情が無ければ破り捨てている所だ。地上に戻れたのにまた死ぬか生きるかの修羅場に戻るかと言われたら戻りたくない。当然のことである。


 テレビをつければアーエロンスペースの復旧目処が立っていない事、そしてアーエロンという革新的であるらしい機械の特集をどこの局でも行っていた。喋っている事などどこも同じであり、誰もが変えたい過去があるか、過去を変えた際のリスクがどうか、そして誰がテスターとして既に過去を変えているのかという事で持ちきりである。チャンネルを回す内に三分経っていたのでカップ麺のフタを開き、今度はインターネットを見るとその書き込まれた内容もまた冷笑的な意見と大喜利ばかりであったので、すぐにブラウザを閉じてしまった。

 彼が見たどの意見も実際に過去に戻っていない分面白おかしく語っているか、過去を変える事を楽観視した懸念しかない。過去を変えたら自分のアイデンティティがどうとか、苦痛を取り除いても良い事ばかりは残らないとか、本当に過去にも戻っていないくせに何を分かった風な面をしているのか。ある意味ではそれが当たっている事もまた余計に腹立たしくなってきていた。清田はインターネットを見るにしても当分は映像配信サイトで動画でも見ているくらいしかする事が無いな、とため息をつく。

 カップ麺を食べ終えた清田は立ち上がり、着替えもせずにリュックだけ持ってアパートを出ようと考えた。外出の目的は当面の金を引き出す事、食材を買う事、そして当分の暇を潰せる古本を買い込む事である。鍵を持ち、軋む扉を開いた。


 「清田敦さんですね?」


 扉の先にはどこか既視感のある白人の女性が立っていた。彼は驚き一歩後退するが、彼女はそのまま彼の室内に入っていく。その最中、女性はあの手法で清田に語りかけていた。


 (私はオリヴィア・フィラー。あなたに話があって来た)

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