第2節-D
清田は時間も飛ばさずに絵の練習を続けていたが、気がつけば授業が終わり生徒は教室から出て行っていて、わざわざ自分のいる教室にまで茜が迎えに来てくれた事でようやく清田は今日の授業が終わった事を認識したのだった。だがその間にはホームルームもあったのだから、ひょっとすると一向に上手くならない絵に嫌気が差して無意識に時間を飛ばしてしまったのかもしれない。そう思いつつ帰路に就くと、茜は描いていた落書きを見せて欲しい、と頼んできた。これがどうでも良い他人であればすぐに断るところだが、恋人が相手では断りようも無い。
「で、清田君はずっと落書きしてたの?」
「ああ。ちょっと腕がなまってる感じがあったから」
「ふーん。私が絵を描いても、そのなまってる落書きより下手なのになあ」
茜が束ねた黒髪をいじりながら、自分の描いた落書きを見つめる。するとやはり茜もその絵が下手だと思ったのか、少し困った様な表情になる。それから落書きが描かれたノートを清田に返すと、歯を見せて笑った。
「大丈夫だよ! 絵が描けなくたって清田君は清田君だし、練習してればまた上手くなるって! それよりさ、授業ちゃんと聴かなくて大丈夫なの?」
「駄目かもしれない」
その気弱な返答に茜はため息をつきながらノートを手渡した。そのノートには当然落書き一つ無く、整った字体で丁寧に黒板と教師の言葉、問題集に書かれていたであろう解き方が書かれており、重要そうな言葉はきちんと赤ペンで強調されている模範的な学習用ノートであった。
「ほら、またノート貸すから復習しといた方が良いよ。確かに今こそ清田君の成績はまずまずだけど、勉強しとかないとすぐに点数は落ちちゃうからね」
はい、と情けない返事をしながら清田はノートを見返す。実際このノートに載っている事は全て清田自身覚えているし、幾度となく見返した内容である。話の流れこそ違えど、このノートは彼女から最後に貸してもらった物である事には変わりないのだ。元々彼は塾に行っていても学校では居眠りする方だったから、学内の一部で授業をまともに聴いていない問題児として扱われていたのである。それは清田自身重々承知している所だった。だから時たまこうして彼女からノートを貸してもらっていなかったら教師のさらっと言った重要発言を聞き逃す事になり、学校の成績も落ちていた可能性は充分に考えられる。
「でも今日は私も居眠り、しちゃったんだけどね。それでさ、嫌な夢見たんだ」
清田は慌てて見慣れたノートから視線を外し、茜に目を向けた。彼の記憶では、茜は居眠りなどする人間では無かったはずなのである。確かに清田が知らないだけで一度か二度はあるかもしれないが、だからと言ってそれを恥じもせずに他人に言うタイプの人間では無い。動揺する清田に気づかないまま、茜は前を向いて話し続ける。
「私が電車に轢かれて死んじゃう夢。普段夢なんか絶対見ないのに、いきなりそんな夢を見ちゃったせいで思わず飛び起きちゃった」
清田の動揺は焦燥になり、混乱と化してしまう。確かに明日茜は死ぬのだ。だが、それは過去を生きる彼女が夢としてでも知っていて良い内容では無い。これを単なる偶然であると処理するのはあまりにも乱暴に思えたし、そもそも過去の人間が自分の記憶通りに動かないという事はすでにこの過去は大きく変わり始めている。おそらく北山の語っていたカオス・モーメントとやらにすでに両足を突っ込んでしまっているのかもしれない。
彼の動揺を見透かしてか、突然彼の脳に東雲の声が乱入する。
「おい、清田! 聞こえているか!」
茜は何かを喋っていたが、その内容を遮る様に西野が清田の脳に通信を入れる。ようやく冷静さを取り戻した清田は、西野にこの状況を説明した。
「なるほど。だがな、茜さんが死ぬ事に関してはこのまま行けば確定事項のままであると思う。彼女が予知夢らしき物を見てもそれで過去が改変される事は無い。しかしそれよりも大変な事が起きた」
気がつくと清田と茜は、明日茜が死ぬ踏切にさしかかっていた。赤い電灯の点滅と警告音が残響する中、茜は一人何かを喋り続けている。それは彼女が何か悲痛な訴えを清田に向けて発している様に見えた。だが、清田には西野が新たに入れた通信の方が重大な事件の前兆を感じさせる物であった。
「君のいるカオス・モーメントに一人、違法接続者が存在している。おそらく敵は東雲が個人的に所有しているアーエロンから覚醒した人員だ。明日午後四時頃、つまり茜さんが死ぬ前後に何か事を起こそうとしている。急ぎ現場に向かってくれ。正体が分かり次第情報を送る」
その言葉を認識した瞬間清田は目を瞑り、ページをめくって明日に向かった。電車の通過する轟音は一瞬にして消失し、目を開くと授業の終わった教室が現れる。
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