第1節-D


 予想外だった。西野は既にセキュリティの装甲を一つ叩き潰し、それを機能停止に追い込んでいる。残り二人となったセキュリティの動きはやや当惑した様に互いを見つめ合い……そして改めて西野の側に向き直った。


 「正体不明エネミー、捕捉。これより応戦する」


 二人はやや時間差を持って西野へ飛びかかる。セキュリティ達が今扱っている超能力は明らかに先ほどまで一般人に向けていた物とは別物であり、西野という存在を脅威として捉えている事は明白であった。二つの装甲がアスファルトをめくり上げ、二枚の岩盤で遠距離より西野を圧死させんと動作させる。もしも彼が常人であるならばこの攻撃のみで既にどうしようも無くなっているのだが、西野は無言で跳躍し、右方より飛来する岩盤に着地する。人の踏み荒らして来た岩盤を蹴り上げて岩と岩の間を脱出すると、そのまま片方の装甲頭部に左手をつけた。


 「まずアーエロンを使用している存在は、アーエロンの創り出すF細胞という特殊な脳細胞で全ての時間軸の自分を管理している。つまり今こいつの心臓をナイフで一突きしても、別の自分にメインコントロールを移されて終わりだ。だからまずは脳幹をハッキングし、F細胞を統括するマスターF細胞を探せ」


 捕獲されていないセキュリティは生殺与奪を握られた同胞を助け出そうと今一度攻勢に出る。この騒ぎを聞きつけやってきたパトカーを振り回し、中にいる警官ごと西野を殺害しようと試みたのだ。だが西野はその方向を見る事もせず、右手をパトカーに向ける。すると車体は瞬く間に潰れ、内部から救出された警官は腰を抜かした状態で駐車場に降ろされる。


 「マスターF細胞は思考を過去世界に遷移させるトリガーにして、連中や私の使っている超能力の源泉であり、また心臓でもある。だからもしこれを脳から全て消してやると人体機能が全て停止し、死に至る。逆に言えば、私達もF細胞を通してマスターF細胞に干渉されたら死ぬ。忘れるな」


 ばちん、と強く木板を弾いた様な音と共に装甲は動かなくなった。一人残されたセキュリティはこの現場から逃げだそうと踵を返し、装甲の幾つかを外して軽量化を図りつつ逃走を開始する。だがもう彼が西野に背を向けた時、誰もいないはずの背後には西野の左手が現れていた。セキュリティに見えた一瞬の隙は、そのまま西野の細胞ハックによって無へと変貌する事となる。


 「清田、これからお前には過去でF細胞の扱いを学んでもらう。そして、その力で現代が消滅する危機に私達と共に立ち向かって欲しい。全てが突然ですまないが、これはお前にしか出来ない事だ。もう時間も無い、三十分後より本格的な学習とこの戦いの理由の説明に入ろう。では、また後で」


 これらの言葉を西野は口も動かさず、テレパシーらしき技巧で直接清田の脳にコミュニケーションを送っていた。目の前で起きている事象は全てゲームの中の出来事であるかの様に解決されていき、紙くずの様に丸められたアスファルトは元通りに、全ての存在は何も無かったかの様に動き出す。そして西野の姿はもうそこになかった。

 初めこそ、この現象は不気味に思われた。だが少し考えるとF細胞なる存在を使えば自在に過去に戻れるし、F細胞を持っていない人間の脳の内部を書き換えれば記憶は存在していない事になる。すると眼前で突然これまであった事がすべて無かったかの様にされても全く不思議では無いのかもしれない。そう一人納得していると、隣から茜の声が届く。


 「ねえ、何で手を繋いで警察署の方に行ってるの?」


 「さっきまでセキュリティとかいう連中に……いや、何でもない。ごめんな、元の道に戻ろうか」


 清田は握った手を離して元の帰路に戻ろうとした。しかし、一度離した手はもう一度強く握られる。そして少女は、少々恥じらいながら口を開く。


 「もう少し手を繋いで帰ろう。良いでしょ」


 「何だよ。突然手を繋いだ俺も悪かっただろ」


 「そんな事無い! それに……それに……何か忘れちゃったけど、清田君に助けられた気がする」


 清田は動揺した。先ほどまでの戦闘の痕跡は恐らく西野が全て入念に消していたはずだった。現に景観は騒動の起こる前のままだし、警官は不思議そうな顔をして戻っていき、対向車の中で沈黙していた身体は生命を取り戻しまた制限速度を若干超えた速度で運転を始めていて、足下に絡んでいた長く伸びた雑草はまた元の草に戻っている。なのに彼女だけは先ほどまでの記憶の残滓をかすかにでも持ち合わせている。西野が記憶の改竄に失敗したのか?それとも茜の世迷い言か? だがこの言葉で清田の表情が強張ったり、疑りの目を向けるよりも先に顔を赤くする事しか出来なかった。


 「何かよく分からないけど、ありがとう。私も何でこんな事言ってるのか分からないけど……」

 「そりゃ気のせいだろ。気のせい! ほら、さっさと帰るぞ!」


 結局その後二人は踏切まで互いの顔もまともに見られずに手を繋いで歩き、別々の帰路となるT字路で手を離しても離す事が思い当たらないまま二人してじゃあね、とだけ言ってすぐ別々の家へと歩き出した。彼の視界には現代ではもうほとんどシャッターが閉じてしまっている商店街、時代遅れのガラケー、数年前まで放送されていた番組とタイアップしている広告……全てが懐かしい記憶の中の出来事の様であったが、この時はこれが現代であり、最も先端を行く未来であったのだ。だが、実は手を繋いだことが彼女が存命の過去では無かったのである。そう考えると些細な事ではあるが、この過去すらもまた最も新しい未来であるのかもしれない。あの細い指先をつけた小柄で柔らかい手を握った感触を過去の清田は知らないが、今を生きている過去の清田は知っている。そう考えてみるといささか複雑な関係になってしまい、元より新しい知識を詰め込まれて混乱している彼の脳内が余計に混乱してくる。


 気がつくと自宅の目の前に到着していた。安く手狭なアパートであったがこの頃の母は優しかったし、まだ自室には当時好きだったバンドのポスターや全然使わなかったピカピカの参考書、今では生産が終わりプレミアのついたゲーム機や昔読んでいた雑誌が残っていると思うとそれなりに心が躍る様な気がしないでもなかった。

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