二四節、二人の事情
「獣から逃げ落ちた後、私が体調を崩してしまったせいで昨夜遅くまで、そして今朝になってからも、ずっと私とこの
頭を下げるテオルドフィーに、アダンは余りに丁寧な物言いにギョッとしつつ「顔を上げてください」と手を振る。 そして大きな手をぼすんとリックスの肩後ろに置き、小突く勢いで自分と一緒に頭を下げさせた。
「コイツが役に立ったのなら何よりです」
「ええそうですよ! もしも恩人を見捨てていたなら、きつく引っ叩いてました。 その後、お加減は?」
バネッサもリックスの腰の辺りをパンッと軽く
「たたいた、め、しゅよ」
「大丈夫よ、お嬢さん。 リックはちゃんと義理を果たしたから、本気で叩いたりしないわ。 ……おいくつ?」
バネッサはにこやかに屈んで目線を合わせた状態から見上げる
「りあ、しゃんしゃい!」
「まあ、偉いわね。 リアちゃん、自分で答えられるの? 私はリックスの母親の、バネッサよ。 あっちの顔の怖いおじさんが父親のアダン」
「りっくのおかーしゃま。 ぉじ……おとーしゃま?」
「俺はまだ、おじさんて歳じゃねぇぞ……」
ぼそっと呟く声は笑顔で妻に無視された。
名前が長いせいか、普段呼ばれることが少ないせいなのか、愛称で己を示すアルフェネリアに苦笑してテオルドフィーも簡単に自己紹介する。
「名乗るのが遅れました。私はテオルドフィーと申します。 どうぞフィーと呼んで下さいませ。 この
「宜しくね、リアちゃん、フィーさん。 大したおもてなしは出来ませんが、今夜はぜひ我が家にお泊まりください。 無作法ですみませんけど、何日でもどうぞ、遠慮無く」
「よぉしくおねがいしましゅ」
「え? あ‥っ」
「事情は、無理には訊きません。 俺らで力になれることがあれば言ってください」
トントン拍子に話が進んでいく事におろおろ戸惑うテオルドフィーだったが、あのリックスの両親であり、こうして直接見て話した二人は如何にも善良な人間だと思える。 「村一番の世話焼き」と評したリックスの言葉が脳裏に甦って、その願っても無い有り難い申し出に、擽ったい胸の温かさを感じながらはにかんで頷いた。
「私達はリックと出逢えて幸運でした。 ……ご面倒をお掛けしますが、お世話になります」
そこから村への道行きは、様々な話をしていたらあっと言う間だった。
「この山に居た理由は、お訊きしていいのかしら?」
「詳しい事情はお話し出来ませんが、私達はこの山の上の隠れ里で暮らして居たのです。 ですが事情があって、逃げ出して……、偶然助けを求めるリックと行き当たりました」
里の所在に意識が逸れたアダンだったが、追及すべき事では無いと思い直して出掛かった言葉を呑み込む。 ちなみにアルフェネリアはその、アダンの肩の上だ。 生まれて初めての肩車と高くなった視界に興奮して、周りの会話は聞こえていない。 アダンは代わりに浮かんだ疑問を口にした。
「お二人は……姉妹で?」
「‥いいえ、リアは私の、血の繋がった娘です。 …………見えませんよね?」
少し考えたバネッサはリックスに先導するよう告げて松明を渡し、少しその背を前に押した。 こうした時は大人だけで内緒の話があるのだと弁えて居るリックスは、素直に速足で距離をとる。
「その、言いたくなかったらいいのだけど……フィーさんの年齢はおいくつ? 私は十九でリックスを授かって、あの子は今年で七歳なの。 今二六よ。 アダンは一つ下の二五」
この世界では生まれてから十四歳迄を親の庇護下にある子供として扱い、十五歳の一年間は神の元で試練が与えられるとされ、それを乗り越えた十六歳から自立した一人前の大人として認められる。 結婚は成人しなければ認められないので、出産は早い人であっても大概が生活が安定してくる十七歳以降となるのが一般的だ。
つまり、普通ならば三歳の娘が居るテオルドフィーはどんなに若くても二十歳以上と考えられるけれども、どう見ても十代にしか見えない。
本当の事を言うべきか、童顔なのだと言って誤魔化すか。 テオルドフィーが沈黙したのは一瞬で、直ぐにーー嘘は吐きたくない、という心に従って小さく口を開いた。
「私は今、十七です。 里の事情で、十四でアルフェネリアを産みました」
「何と言うことだ……。 子供に惨いことを……」
アダンは非人道的としか言えない悲痛な事実に顔を歪め、握り絞めた拳を震わせる。 バネッサは冷えて見えるテオルドフィーの頼り無気な肩を、しっかりと抱いて温めた。
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