十節、天の島(一)

 ≫チリン、リンッ≪

 室内の白光が木漏れ日の様に揺れると同時に薄い氷が割れるのに似た音が響く。 入室希望を伝える合図だ。

 異なる光色や鳴り方で通話希望や指定時間の知らせ等、様々に利用されている部屋設置型の高級魔術具に依るもので、部屋の主は輝く白銀の長髪を揺らし振り返ると許可の合図を返して入室者を見遣った。

 男は緊張に強張った面を伏せて数歩進み、片膝を突く。 利き手を上に両手を重ね合わせて上げた甲に下げる額を当てるのは主に下位の者が上に礼儀を示す為、或いは誰かへの感謝を伝える際に使用される所作だ。 膝を突くのはそれを最上級に表している。

「失礼致します。 ウルシェラージオ様、アルフェネリア様についてご報告申し上げます。 テオルドフィーが逃げ込んだ地下道は隈無く捜索させましたが発見できず、引続き‥」「……よい」「‥は?」

 報告を遮られて思わず面を上げた男の視界に入ったウルシェラージオは何処か遠くを眺めていた。 その横顔は宛ら彫刻の如く、一分の隙無く整っており息を呑む程美しい。 そして、人で無いモノを相手している気を起こさせ恐怖する。

「島を探しても無駄だ」

 テオルドフィーは知らぬ事だったが、島と繋がり、島を人が住める環境に守る結界を維持する張本人であるウルシェラージオには結界を通過する全ての存在が把握されていた。

「な……っまさかあの女……!」

 男が気付き怒りに顔を歪めるのを、ウルシェラージオは冷ややかで感情の伴わない宝石で見下ろす。 ≫コツ≪ ‥とその長く白い指で座る椅子の肘掛けを叩く、その小さな音一つで男が黙るには十分だった。

「……申し訳御座いません。 口が過ぎました」

「優秀な“猟犬”を二、三放て。 追跡と監視だけで良い。 最優先とする」

 これもテオルドフィーは知らぬ事だが、ウルシェラージオには表舞台の陰で手足となり働く少数精鋭の部隊が居る。 始めから手段を選ばず此方を動かしていればテオルドフィーも島外へ逃げるなど叶わなかったであろう実力者揃い。 しかしだからこそ“捕獲”を命じないのは何故かと男は疑惑の目で見上げた。

「そう急ぐ必要はあるまい。 儚い夢だ」

「しかし、アルフェネリア様に万一の事があっては……」

「“あれ”が付いていれば問題はない」

「…………は」

 男は不服の念を呑み込んで承諾を伝える。

「迎えは私が直接赴く。 ‥忙しいので私の都合が付くまで緊急の用件以外、報告は百日に一度上げるように」

「!?? っ……畏まり‥ました」

 この驚愕をどの様に伝えたら佳いだろう。 今までウルシェラージオが島を離れた事は無い。 それ処か単に能力の無い一般人とは違ってウルシェラージオに限らず歴代の長達は全員、島から離れることを禁じられていると言って差し支えない。

 何故なら彼ら複数人の長と巫女が文字通り“島を支えている”。 況してウルシェラージオはその中でも要の長。 その彼が例え一時でも島を離れる意味を、当然“忙しい”彼が解っていない筈も無い。


 ーーこのような事、口に出すだけでも前代未聞だ。 ウルシェラージオ様は一体何を考えておられるのか、私にはまるで理解できん。


「解ったなら下がれ」

「失礼致しました」

 ≫パタン≪

 一礼して男が退室し部屋に静寂が戻る。 ウルシェラージオはこの部屋で唯一外界と繋がっている高い天上に設置された、小さな天窓を見上げた。 アーチを描く窓からは夕暮れて間も無く星が輝き始める紫の空が見える。

「ルディ……」

 ぽつりと溢される小さな声を拾う者は誰も居ない。 初めて自分の前に連れて来られ呆然と見上げる中、背後に跪いた両親に引き倒されても尚目を離さず、一体何が好かったのかほにゃりと笑んだ当時僅か十二歳の痩せっぽちだった少女。 彼女ほど真っ直ぐに目を見詰めてきた挙げ句視線を逸らさない存在など初めてで、衝撃的だった。

 この時ウルシェラージオは十八歳。 十六で成人して以来ずっと子を儲けることを島中の人間から熱望されながらも、様々な理由から相手が見付からずやっと候補に挙げられたのが、未だ子供のテオルドフィーだった。


 ーーそう言えばあの時もこの位の時間だったか。


 頭は良いが何処か抜けていておっちょこちょいで、色々な事に一生懸命だった彼女は現在いま何を想っているのだろう。

「ルディ」

 何も言わず、置き手紙の一つも残さなかったのはある意味で真面目な彼女らしい。


 ーー言い訳も謝罪もしないと言う、身勝手な我を通した彼女なりの意地と誠意なのだろう。


 それでも一言くらい‥と願ってしまうのが人情だが、ウルシェラージオも同じく“人”であると思い至る人間が果たして一人でも居るのか。 テオルドフィーとて責められ怒られる想像しかして居まい。

“リア”や“フィー”の様に長い名の最後を呼ぶのは広く一般的に親しい間柄で交わされる愛称。 ウルシェラージオの場合、長仲間だけが彼を“ジオ”と呼ぶ。

 そして間を取って呼ぶのは夫婦だけに許された誓いの言葉。 娘のアルフェネリアでもその名で呼ぶ事は許されない、テオルドフィーだけが呼べる名。

『もう一度俺の名を呼べ、ルディ』

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