八節、内緒の話

 テオルドフィーが実を口に含んだのを見届けてから、リックスも一粒口に放り込んだ。 アニュが入った袋は元通りに紐で巻いてテオルドフィーのポケットへ戻す。

「! あまい……!」

 今のところ痺れは感じないものの、例え痺れがあっても吐き出すなんてそんな勿体ないこと出来ない、と内心反発を覚える程、普段これ程の甘味を食べる機会がないリックスは興奮した。 ちゅくちゅくコロコロと珍しい味を堪能しながらアニュをしゃぶり、溢れる甘露を慌ててごくり、ごくりと飲み干していく。

 この小さな実の中に収まっていたとは到底考えられない水分量。 味は甘いだけでなく少しの酸味もあるので思いの外爽やかな喉越しで、幾らでも飲めるような気になる。

「アニュには、魔力と栄養が‥豊富に含まれているの。 食べ過ぎは‥毒だけれど、一粒食べれば……私達なら、これだけでも一日を過ごせるので、重宝されているのよ。 見掛けより‥日保ちもするから」

 テオルドフィーは少しずつ動くようになってきた手を地面に突いて、ずりずりと緩慢な動きで上体を引き起こしていく。 それに気付いたリックスも手伝って、崖に寄り掛かって座る体勢になった。

「そんなスゴいの、もらってよかったんですか?」

 動いた事でぐずるアルフェネリアを膝に抱き上げ、背中をとんとんと慰める。

「ええ、勿論よ。 私達の為にお家へ帰れなかったのだし。 リックでも、一食分にはなると思うわ」

 いきなり地上へ魔力の保護なく放り出されることになったので気温や重力の差が心配だったのだが、島とそれ程大きく違わなかった事が解って安堵した。 吐き気も無い。


 ーー少し体が重たくて、怠い感じがする位かしら。


 リックスは殆ど実から水分が滲まなくなったところで恐る恐る実を噛んでみた。 すると、プチッと弾ける食感とこりこりした歯応えが楽しめ、初めての体験の連続に夢中で小さな実を咀嚼する。

 食べ終える頃にはテオルドフィーの言う通り、先程までの飢えがすっかり跡形もなく消えており、名残惜しさと幸福感だけが残されている。

「スゴくおいしかったです! フィーさん、ごちそうさまでした」

「お口に合って、良かったわ。 ……私達は、この山のずっと上‥雲の向こうの‥空に浮かぶ島で暮らしていたの。 私達‥天上人は、体内に魔力を溜められる器官があって……そのエネルギーを糧に‥生きているから、地上人と同じ程は、食事を必要としないのよ。 ……これは、リックと私達だけの内緒‥ね」

 テオルドフィーは伸ばした人差し指を自分の唇に重ね、それからちょんとリックスの唇に当ててにっこり笑った。 体に掛かっていた葉が腕の動きに合わせてはらりと滑り落ちる。

 リックスからすると、これまで見たことも聞いたこともないまるで夢物語の説明は早々信じられるものではなかったが、先程見たばかりの不思議な月光石や、村の人達とまるで違った空気を纏うテオルドフィーとアルフェネリアの存在その者に漠然と、子供相手の誤魔化しではなく真実を教えてくれているのだと感じて、難しい事はよく分からないままに頷いた。


 ーーそれに、二人はそらからおちてきたし。


「まだ、夜明けまで随分あるわ。 私も、もう少ししたら動けるようになるから……リックは横になって、休んでちょうだい。 遅くまで有難う」

 もう色々と限界だったリックスは、もう一度こっくり頷いて素直にテオルドフィーの言葉に甘えることにした。 先程も緊張しながら短い時間を気絶しただけでその後も崖登りなどをしたため、気の抜けた今となっては実は起きているのが非常に辛かったのだ。

「はい。 おねがいします」

 ちょいちょい、とリックスを手招いてアルフェネリアを寝かせた隣を示す。

「こちらへどうぞ。 リアを抱いて寝たら、温かいと思うわ」

「えっと……おじゃま、します」

 リックスは最後にもう一度だけ焚き火に薪を足しに行ってから招きに従ってアルフェネリアのすぐ脇に腰を下ろし、体を横たえた。

 その体の上に、テオルドフィーが枝葉を被せる。

「ふふ、これで良いのかしら。 後は少し‥お呪い。 気休め程度だけれど」

「おまじない?」

 何だろう、とリックスは興味津々でテオルドフィーを見上げる。

「生き物の視覚や嗅覚、聴覚を狂わせて、身の回りから避ける効果があるの。 ‥と言っても、些細な錯覚を起こす程度よ。ものの位置が実際とほんの少しずれて見えたり、目の前の話し声が後ろから聞こえたり。 そういう悪戯みたいなものね」

「スゴいです! フィーさんは色んなことができるんですね」

 リックスの純粋な尊敬の眼差しが新鮮でくすぐったい。 テオルドフィーは左のポケットから出した袋から一枚の葉を摘まんで小さく折り畳み、手の平に乗せて呪文を呟いた。

『イルド』

「わ‥!」

 葉がポンッと軽い音を立てて灰紫煙に変わり、辺りへ広がっていく。

「さあ、リック。 お休みなさい。 良い夢を‥」

「おやすみなさい、フィーさん」

 リックスはウトウトと微睡みながら煙が広がって消えていくのを眺め、気付かぬ内に深い眠りへと落ちていった。

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