五節、夜の山

 辺りはすっかり暗闇に包まれている。

 リックスは微かな月明かりと焚き火の灯りを頼りに、殆ど手探り状態で持てるだけの枝を片っ端から拾い集めていく。

 時折ザサッと葉の擦れる音が立つ度、自分達以外の生き物の気配を感じて緊張に手を止め、耳を澄ませた。

 折角集めた枝を落とさないよう慎重に焚き火の傍へと戻り、火が消えない内に薪をべて大きくしていく。

 これだけでは足りないと再び枝を拾いに立ったリックスは、これまで利口にしていたアルフェネリアの居場所を確認しなかった。


 遠くから獣の遠吠えが響き渡って、アルフェネリアはハッと夢中になっていた顔を上げる。 一度音が気になれば、昼間なら気付かない小さな虫の歩く音まで妙に際立って感じられる程の静寂が却って耳に痛い。

 トットットットッと知らず鼓動が速まり、アルフェネリアは集めた葉を胸にぎゅっと握り締めて後ろを振り返る。

「おかあしゃま?」

 小さな焚き火は鬱蒼とした木々に遮られて、どの方角にも見えなくなっていた。 じっと暗闇に目を凝らしていると近くの木から鳥が飛び立ち、その羽音にビクンッと体を揺らす。


 ーーひとり


 あっと言う間に視界が滲み、見る見る輪郭がぼやけていく。


 ーーだれもいない


 恐怖を自覚した時には盛り上がった涙は我先に溢れ落ち、ひくっと華奢な喉が震えて、赤く染まっていく顔をくしゃくしゃに歪めた。

「ぉ‥おにいしゃまぁぁ~~!」

 拾い集めた枝で腕がいっぱいになり、さあ戻ろうかと腰を伸ばした瞬間、アルフェネリアの悲鳴のような泣き声を聞き付けたリックスは血相を変えてテオルドフィーの元へ帰り、初めてアルフェネリアの姿が見えない事に気付いた。


 ーーいつ、いつからいなかった? わからない。 見てなかった。


 リックスはバラバラと抱えていた枝を取り落とした。 アルフェネリアを探し、慌てて駆け出す。

「どこだリアっ?!」

「ひぁあ~~っあっんっ、うぇえ~っ」

 声を頼りに必死に走る。

 ≫ガサッ≪

「リアっ!!」

「ぁあぁああ~っんぐぅっひっぅあぁぁ! りっ‥に~しゃ‥あぁ~ん、っ」

 リックスに気付いたアルフェネリアの泣き声は益々大きくなる。 ぽてぽてとリックスの声が聞こえる方へ歩み寄るアルフェネリアの小さな体をリックスはどさっと跪いてぎゅううっと抱き締めた。

 周りに獣の姿は見えないし、アルフェネリアに怪我がないことも確認して安堵しつつも、後悔に胸が潰れそうになる。 自分だって怖いのだ。 この小さな小さな女の子の涙の理由が分からない筈が無かった。

「ごめんリア! ひとりにしてごめん! こわかったな」

 アルフェネリアはぎゅうぎゅうとリックスの胸に頭突きする勢いでしがみついた。

「ひぅっ! ひんっ、うぅぅ~っ」

 ぐずくずしゃくり上げるアルフェネリアの目からはまだ大粒の滴が溢れ落ちている。

 リックスは肩が涙で濡れるのを感じながら、よいしょ、と踏ん張って抱き上げた。


 ーーこいつはこんなにちっこくて、母さんがあんななのに、平気なわけない。 目をはなしちゃダメだった。


 焚き火の傍らに戻って座り込みながら体温の高い体をとんとん、と慰めるように叩く。

「もういっしょだから。 だいじょうふだからな」

「ぁぃ……」

 まだすんすんと鼻を啜っているが、アルフェネリアは少し落ち着きを取り戻してきたようだ。

「リア、おんぶしてやる」

「おんぶ……?」

 リックスはそっと抱き締めていた腕を解き、アルフェネリアに背を向けてしゃがみ込んで、後ろに広げた両腕をパタパタと振って見せた。

「兄ちゃんのせなかにのっかれ」

「せなか?」

 おんぶを知らないアルフェネリアは涙で潤んだ目を瞬き、首を傾げながらも今まで握り締めたままだった落ち葉をその場に置いて、リックスに言われるまま目の前の背中に覆い被さる。

「ちゃんとしがみついてるんだよ? おっこっちゃうから」

 リックスは正直なところもうへとへとだし、今すぐにでも寝転がって休みたかったが、この幼い妹分を安心させたくて少し見栄を張ったのだった。

「あい」

 頷くと頬にさわりと擦れるリックスの短い癖毛がくすぐったい。 アルフェネリアはリックスの肩から前に腕を回し、きゅっと服を握り締めた。

 リックスはうっかりひっくり返らないよう、足場に気を付けながら歯を喰いしばって立ち上がり、背負った体を一旦揺すり上げて良いポジションに直す。 そして中腰のまま右手でアルフェネリアのお尻を支えて、利き腕の左手では散らばった枝を拾い、その内の幾つかは焚き火に投入していった。

 先程までの小さな火と違って十分に大きくなった焚き火は、徐々に冷え始めていた辺りの空気を暖める。

 歩く振動と体温が心地好かったのか、泣き疲れたのか、いつの間にかアルフェネリアはすー‥と寝息を立ててふっくら膨らんだ柔らかな頬を肩に押し付けて眠っていた。

 それに気付いたリックスはテオルドフィーの元へ行き、そっと背中から降ろしたアルフェネリアを横たえる。

「んぅ……すー」

 テオルドフィーの腕の中に抱かさる様にし、涙の跡が残る滑らかな頬を撫で、もう一度薪を拾いに出る事にした。

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