First Bullet-3-
――車内にて
「どうだね、今の気持ちは」
「……今から人を殺すんですから、いい気持ちなわけがないでしょう」
三浦が運転する車の後部座席で、流れていく景色を見ながらぶっきらぼうに僕は答えた。
さっき三浦から渡された拳銃がポケットの中で車の揺れに合わせて揺れる度に僕は何かがずっしりと伸し掛るかのような圧迫感に苛まれていた。
「別に、殺したくなければ殺さなくてもいいのだよ?
その場合、君の記憶は二度と戻らないけどね」そう言って三浦はクツクツと独特な笑いをした。
「ここまで来て今更ですよ。
……それより、まだつかないんですか」
「ん〜まぁもうちょっと。せっかちだねぇ……。もう暫くドライブを楽しんでくれたまえ」
こんな精神状態で楽しめるわけないだろ。
と、その言葉は飲み込んで、だんだん建物が少なくなってきた景色をただボーッと眺めていた。
「……そう言えば」
「なんだね?」
「今から行く廃倉庫についての説明がありませんでした。今して頂けませんか」
「あぁ……いいよ。
今向かっている廃倉庫は随分昔、とある企業が使っていたものでね。その企業はずっと前に倒産して潰れてしまったのだけど、倉庫だけが残ったのだよ。
そしてその倉庫は今、この街に置いて幾つかある、一般人が近づいてはいけない場所に分類されているのさ。
最近、その廃倉庫には妙な噂が流れている。
とある殺人鬼がそこを根城に住み着いてしまった――近づいたものは皆、すぐに殺されてしまう――とね。
事実、最近そこで血塗れの肉塊と化した遺体が相次いで発見されている。そこで私はこの噂の殺人鬼が篠崎昴であると睨んで君に殺すようにお願いしているのだよ。
……ああ、あともう一つ、話し忘れてしまったかもしれないけど、この街は普通の街ではないからね」
「どういうことですか?」
「君はおかしいと思わんかったのかね?
普通、殺人鬼がひとつの街に5人も潜んでいるわけがないだろう?
ここはそういう街で、悪が支配する街だ。ここはこの国に残された唯一の無法地帯と言い換えてもいいだろうね。……街の裏ではいつも誰かが死んでいる。この街で平穏に暮らそうと思うのなら路地裏を覗かないこと、なんて言われてるくらいだ。例の倉庫は、この街においての路地裏と同じなのさ。怖いもの見たさに近づけば、必ず闇に飲み込まれて殺される、そんな街だ」
「ここじゃ犯罪行為は珍しくない、という事ですか」
「まぁうん、そうなるね。
何せこの街のトップは政府ではない、日本に唯一あるマフィアなのだから」
「マフィア……?」
「それについての説明は今関係ないから省くけど、まぁそういう事だ。
君一人が人をいくら殺そうと、逆に君が死のうと、警察は見向きもしない。麻痺してるんだよ、感覚が」
そう言って三浦はニヤリと笑って、そこからは何も喋らなかった。
「着いたよ」
眠気が襲ってきて、うつらうつらとしていた時に三浦はそう言って車を止めた。
その車の止め方が何とも雑で、僕は頭を前の座席にぶつけてしまい、目が覚めた。
「お目覚めの気分はどうかね?」
この上なく最悪だ。
打ち付けた頭がめちゃくちゃ痛い。
キッと睨みつけると三浦は気持ち悪いくらいニヤニヤしていて、荒っぽく停車したのはもしかしてわざとなのかもしれないと思った。つくづく癇に障る奴だ。
「目的地に着いたことだし、後は勝手にやってくれ。私はついていかないし、ここで君が無事生還するのをのんびりと待っているよ」
「チッ、あんたはここで静観ってことか。ご立派な身分だな」
「君寝起きが悪いのかい?いつもより口が悪いよ」
「煩いな。……ここに僕を置き去りにして帰ったりしたら、5人よりも先に三浦さん、貴方を殺しますから」
「そんな事しないさ。……健闘を祈ってるよ」
そして三浦はこちらを見ず、ヒラヒラと手を振った。
その言葉に何も返事せず、ドアを開けて車を降り、思いっきりドアを叩きつけてめ閉めてやった。
車から降りて、改めて周りを見回すとそこは街はずれにあるだけあって街灯などの人工的な光は存在せず、レンガ造りの今にも崩れそうな倉庫、林と倉庫周りの土地を分けるように設置された有刺鉄線が微かな青い月明かりを反射して不気味にそこに佇んでいた。
ホー、ホー、とどこからか鳥の鳴き声がして、その場の不気味な雰囲気をさらに助長していた。
ほうっ、と息を吐いて気持ちを引き締める。
今から僕は人を殺す。
自分の記憶の為に。
「……よし」
そうして1歩、倉庫の方に踏み出した。
ざり、ざりと小石が靴の下で鳴る。
フィールドの状態はあまり良くない。
倉庫が立ち並んでいるおかげで死角が多く、そこから出てこられたり、奇襲をかけられれば間違いなく不利だった。
また、手持ちの拳銃以外に武器になるようなものも見当たらない。
いつどこから出てくるかわからない――用心しながら歩を進めていた時だった。
「……んだァ?まだ居たのか?」
ぬっ、と倉庫の影からそいつは現れた。
例の写真通りのボサボサの金髪に、左右で色が違う三白眼に、大きな頬傷の男。
――篠崎昴―――
紛れもなく、報告書通りだった。
一つ写真と違うのは、顔も服も、拳も、ありとあらゆる所が血塗れだと言うこと。
そして篠崎の足元――最初は倉庫の影に隠れて見えなかったが――にはそいつと同じように血に塗れた何かが転がっていたのだ。
「……それ」
「あ?」
「……足元のそれは、何だ」
すると彼はフッ、と馬鹿にするように嗤って、「これは人だぜ。まだ暖かい。……言わなくても分かるだろ?」と返した。
嘘だろ、と言いたかった。
周りには一切、人の殺害に使える様なものなんて無くて、だけど何かはしっかりと、たしかに死んで潰れて飛び散っていて、目を背けたくなるような殺害現場が出来上がっていて、しかも目の前の奴は血塗れで、そこから弾き出される推測なんてひとつしかなくて。
「素手で殺したのか、その人を」
すると篠崎は僕の方を振り返って、
「あぁ。そう、この手でなァ。
こいつは警官だとよ。オレのことを捕まえに来たんだとさ。へへっ、歯応えのない奴だったぜ」と言いながら警官のものであると思われる拳銃を握り潰した。
それよりアンタ、と声を掛けてきた。
「……何だ」
「何やら物騒なモン引っさげて来たみてぇだけど、オレに何の用なんだ?」
そう言って篠崎は真意の掴めない笑みで僕の目を見た。
僕は静かにポケットから拳銃を取り出し、僅かに震える手でそれを握り、篠崎の眉間に狙いを付けて構えた。
「……お前を殺しに来た」
その言葉を吐いた直後、ヒュッと喉が鳴るのがわかった。
目の前の彼――篠崎から気圧されるような殺気を感じたからだ。
「へぇー……オレを殺しに、か……」
「そうだ、僕はお前を殺しに来た」
自分に言い聞かせるように復唱し、背中を伝う冷や汗を誤魔化した。
「……なかなかに面白いジョークだぜ、笑えねぇけどなぁ!!!!」
一瞬、篠崎の姿がブレて視界から消えた直後、僕の体は激しい痛みと共に宙を舞った。
相手の先制攻撃の強打が綺麗に鳩尾に決まったのである。
僕は落下し地面に叩きつけられ、立ち上がることすらままならない様な酷い痛みが体を支配するのをどこか遠くの出来事のように感じていた。視界が明滅して、意識は今にも落ちそうだった。先程の打撃は、とても生身の人間の力とは思えないほどだったのだ。
「何だ、1発でダウンか?さっきのやつの方が余っ程骨があったぜ……もっとオレを楽しませてくれよ、なぁ?」
凶悪な顔で嗤いながら篠崎は僕を蹴り飛ばした。
堪らず今まで握りしめていた拳銃を持つ手が緩み、蹴られた衝撃で拳銃が地面を滑って離れていった。
「うグッ!!!!」
「ほらほらどうしたァ!?もっと反抗してみろよ、オレに向かって来いよ!!!!なぁ!!!!」
ヒャハハと、下品な笑い声が辺りに木霊した。
既に体は悲鳴を上げていて、とても彼のように俊敏に動けるような余力は残っていない。
拳銃は僕よりも少し遠くに転がっており、まさに絶体絶命の状況だった。
そもそも、敵うはずがなかったのだ。
殺人鬼にこんなチャチな
――正攻法で敵わないのなら、姑息な手を使って攻めるしかない――けどどうやって。
僕は戦い方を知らない。篠崎の様に手慣れていないのだ。
確実に僕が不利だった。
その時、キィン、と耳障りな音がして、聞き覚えのある声がした。
『相手の攻撃をよく見て。読み取るんだ、そして躱せ、弱点を探れ。弱点を突いて反撃するんだ。
……大丈夫、君なら出来る。その力は十分にあるのだから』
脳内で、誰かがそう囁いた。
「なんだ……動かないって事は、これでおしまいか?つまらなかったなぁ、オマエも。んじゃ殺すわ」
ふんふんと鼻歌でも歌い出しそうなくらい上機嫌で篠崎が僕に近づき、蹴り上げるために足を振り上げた瞬間。
僕の体は無意識に篠崎のもう片方の軸足を手で払ったのだ。
「うおっ!?」
篠崎は体制を崩して後ろ向きに倒れ、僕は痛みを堪えて素早く起き上がり、篠崎に馬乗りになり、動けない様に押さえつけた。
「形勢……逆転だ、お前を、殺す!!」
銃が手元に無いなら、お前のように素手で殺してやる―――と、首に手をかけて渾身の力で締め付ける。
「……っああああああああぁぁぁ!!!!」
しかし篠崎は僕を必死の形相で振り払い、立ち上がった。
僕は振り払われた衝撃で無様に地面を転がり、倉庫の壁で体を打ち付け、再び地面に倒れ伏した。
頭のどこかを切ったのかもしれない、血が流れていた。
「……ハ、やってくれんじゃねぇか。今ので嫌な事思い出しちまったぜ……もうダメだ、オレはお前を許せない」
完全にキレた目で篠崎はこちらを睨め付けてそう言い、
「絶対に殺す、死なす、許さない」
最初よりも遥かに強い殺気を真っ直ぐとこちらに向けて、彼は僕を見下ろした。
「僕もだ。お前に特に恨みはない……だけど、殺さなくちゃいけないんだ。お前の死を利用させてもらう!!!!」
そう言って立ち上がって真っ直ぐに篠崎の目を見返した。
「……クソ生意気なんだよ!!!!」
さっきよりも早いスピードで拳が僕に飛んでくる。休む間もなく、次々と。
僕はそれを躱し、後退し続ける。
さっきまで拳の軌道が見えていなかったのに、今ははっきり見える。
頬を掠める風圧を感じながら、僕は躱し続ける。
考える必要はなく、ただ体が勝手に動いていた。
「チッ、一丁前に躱しやがってよォ……
ムカつくなァ!!!!」
「グゥっ!?」
なんと篠崎は蹴りを繰り出してきたのだ。なまじ拳にばかり注目をしていたため、僕の腹部はがら空きで、足元なんて気にしていなかったからだ。
「カハッ……」
僅かに血を含んだ唾が飛び散り、僕はまた吹き飛び、倒れ込んでしまった。
だけど、僕は結果的に運が良かったのだと思う。
僕が吹き飛ばされて鞠玉の様に転がった先は、幸運にも拳銃が弾き飛ばされた先だったからだ。
「死ねぇぇエエエエエエエ!!!!」
怒りに支配されて冷静さを失った篠崎の拳が大雑把に振り被られ、そのままこちらに無鉄砲に突っ込んできた。
僕は立ち上がって最初と同じように拳銃を静かに構え、
ガラ空きの急所にピタリと狙いをつけた。
その時、僕は幽かに自分自身に違和感を覚えた。
拳銃を扱うこと自体が初めてのはずだった。なのに、僕の体は馴染みすぎている。
そこからは無思考なただの反射だった。
ごく自然な動作で銃を操り、引き金を引く。
パァン、と軽い発砲音がして、篠崎の心臓を真っ直ぐに撃ち抜いた。
立ち上る硝煙の先で篠崎の体が勢いを失い、ふらふらと倒れた。
僕にはそれら全てがスローモーションの様にはっきりと見えていた。
「ははは」
急に乾いた笑いが辺りに響いた。
「あははははっ」
頬があつかった。
あつい頬の上を、冷たい何かが流れ落ちていった。
それは僕の涙だった。
《《初めて人を殺してしまった》―――
その罪悪感から流れる涙だった。
「……なんて顔してんだよ」
「……生きてたのか、大した生命力だな」
頬に伝う涙を拭って足元の篠崎を見た。
「まさか。もう体を動かす気力も残ってねーぜ……なぁ、」
「何?」
「……オレを殺した、気分はどうだよ」
喘鳴に混じった声で篠崎はそう僕に問うた。
「最悪な気分だよ」
すると篠崎はハッ、と笑い、
「そーかよ」
と言って動かなくなった。
僕はその場に崩れ落ちた。
酷く手が震えて拳銃さえ握っていられなかった。
―――僕はさっきまで何を思っていた?
篠崎の心臓を撃ち抜いた瞬間、僕は笑った。
引き金を引く感触に懐かしさを感じた。
そしてその瞬間、爽快感を得た。
僕は人を殺して爽快感を得たのだ。
その事実が僕にとっては何よりも恐ろしく、自分の事を恐れさせた。
何も考えないで攻撃が避けられたのも、躊躇なく引き金を引けたのも、それら全ての動作に嫌に手慣れていたのも、それは、きっと。
ほぼ確信に近い感情だった。
初めてなんかじゃない。
僕は記憶を失う以前、人を殺した事があった―――。
そこからの記憶は曖昧で、気づいたら三浦の車の中に居た。
僕はそこで、プツリと糸が切れるように意識を失い、深い眠りに落ちた。
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