第6話 初めての悪夢

 今日出された宿題は夕飯前に終わらせた。机に向かい、日課の勉強をする。璃緒の方はというと、もう寝る気満々でベッドの上にいた。カチカチ、と携帯を操作する音が聞こえる。

 昨日の逆にはしたくなかったので、まだ九時半にもなっていないけど、もう寝ることにしよう。問題集を閉じ、筆記用具を筆箱にしまう。月曜日の時間割を確認すると、その通りに教科書とノートを入れ、カバンを閉じた。明日は土曜日、部活は午前。早めに寝て、昨日のような夢をみたいなあ。


 また気が付くと、今度は暗い所にいた。辺りを見回すが、何もなければ誰もいない。自分ただ一人が、闇の中にただ突っ立っている。真面目にここはどこ、私は誰? と言いたくなる状況だ。

 何が何だかわからないこの空間にいるのが怖くて、瑠璃は歩きだした。

 でも歩いても歩いても、ただ闇が広大に広がっているだけだった。

「もう、どこなのここ?」

 ついつい口に出てしまった。でも歩き続ける。

 すると、目の前の闇から何やら緑色っぽい、変なものが現れた。

「なにあれ?」

 瑠璃は足を止めた。でも緑色のそれは、少し上下に揺れながら近づいてくる。

 やがてそれがなんなのか、はっきり見える距離まで来た。

「あ、あれは!」

 小学校の理科の時間に、嫌でも学ばなければならないことがあった。それは昆虫の体だ。頭、胸、腹に分かれていることや足が三対で六本あり胸から生えていること、などである。また実際に、教室でモンシロチョウを育てていた。

瑠璃は虫が嫌いなのではない。寧ろ蝶は綺麗だし、カブトムシはかっこいいとも思う。

 でもどうしても、受け入れられないものがある。それは――芋虫だ。あの、うねうねしている姿がどうしても苦手だ。想像するだけで鳥肌が立つ。だから、小学生の時のモンシロチョウは、さなぎになるまで毎日、観察するのが地獄だった。でもテストのためと思い、向き合った。これから先、一生見なくていいと自分に言い聞かせながら勉強はした。

 向こうからやってくるもの。それは、青虫だ。しかも巨大。それが、瑠璃目がけてやってくる。

「きゃああああああああ!」

 叫ぶのと反転するのとは同時だった。体育の時間でも、部活のトレーニングでも出さないようなスピードで走り、必死に逃げる。

 あいつらって、動きは鈍いはず。そう思って後ろを振り向いたが、希望を打ち砕かれた。瑠璃の速さに、青虫はピッタリとついてくる。

「なんでよ? どうしてよ! あんなに速いはずないでしょ!」

 その疑問に答えてくれる相手はいない。というか誰だって答えられない。瑠璃の悲鳴だけが、空しく闇の中に響いた。

「お願いだから、来ないでえええええ!」



 璃緒は不意に目を覚ました。目覚まし時計を見ると、2時半。なんでこんな時間に起きちゃったんだろう、と思う。でもせっかくだから、もう一度寝る前にトイレでも済ませよう。

 二段ベッドの上の段から降りると、

「…ううう…」

 瑠璃がうなされている。

「大丈夫? 瑠璃?」

 呼んでも返事はない。当たり前だ。瑠璃は寝ているのだから。変な夢でも見ているのだろう。お気の毒に。

「うううう、うう…う、んんん…」

 うなされ方が異常な気がした。これって、起こした方がいいよね…?

「瑠璃、瑠璃!」

 璃緒は名前を呼びながら、瑠璃の体を揺すった。

 けれども、瑠璃が起きることはなかった。

 仕方ないと諦めてトイレを済ませ、水を一杯だけ飲むと、璃緒は再びベッドに戻って、布団に潜った。



「きゃああっ!」

 瑠璃は転んでしまった。足元に石なんてなかったし、足が絡まったのでもない。転んだ理由がわからない。でも一瞬だけ、体が揺れた気がした。

「そんなことは、今は、どうでもいいのよ! あああ、奴が、来るっ!」

 思っていることがストレートに言葉に出た。

 青虫が迫ってくる。奴の眼は瑠璃のことしか見ていない。

 急いで起き上がり、再び走り始める。そのはずだった。

「あ、あれは…」

 さっきまではそこには何もなかった。目の前数メートルに、青虫と同じ大きさの毛虫がいる。よく木の葉の上にいる、触るだけで、手がかぶれそうな毒を持っていそうな。小学校の時に、校舎の中庭に大量発生したことがある。それと同じ毛虫だ。毛虫も、瑠璃を見ている。

「な、な、な、なんで毛虫までいるのよ!」

 蛾も別に嫌いじゃない。塾の帰りに、よく街灯に集っている姿を目にするけど、不快だとは思わない。でもその幼虫、つまり毛虫は駄目である。

 前に逃げることはできない。後ろなんて論外。

 とっさに瑠璃は左を向いた。こっちに逃げる。もう、体がそう決めている。

 走り出した、と言ってもいいのだろうかといううちに、さらなる不幸が瑠璃を襲った。

どこかで見たことがあるフォルムの巨大な虫が上から降ってきた。

「これ…どこかで…。あ!」

 そうだ。ペットショップだ。

 瑠璃の家はマンションで、ペットは禁止である。それに瑠璃も璃緒も、いや父も母も、生き物を飼うことに興味はない。だけど、ペットショップにはよく行く。ハムスターとか、文鳥とか、そういう小さな生き物を見るために。

 そこでも芋虫がいるのだ。確かミールワームって言ったっけ。ペットじゃなくて、ペットの餌として売っている虫だ。最初はそんなものを食べる生き物がいることに驚いた。でも、いるんだからしょうがない。そして、ハムスターたちと同様に、年中売っているから、行く度にそれの飼育ケースを目にしてしまう。一回、何十匹も購入している男性がいた。瑠璃にはそんなこと想像もできない。

 ミールワームも瑠璃を見ている。

 左は駄目! 右にするべきだった!

 瑠璃はすぐに反転し、逃げる。今度は前だけじゃなく、上にも気を配る。

 それも無意味だった。

 突然、瑠璃の目の前の地面が割れた。地面の裂け目から出てきたのはまたも巨大な芋虫。頭はオレンジ色で、体は真っ白。足が六本ある。これも前に見たことがある。

「どうなってるのよ、神様!」

 前に図書室で、慎治に無理矢理見せられた昆虫図鑑に載っていた。カブトムシとか、クワガタの幼虫。確かこんな感じだった。大きなアゴをガチガチと鳴らしながら、この幼虫も瑠璃を見ている。

 あっという間に四面楚歌。逃げ道はもうない。

「嘘よ嘘よ嘘よ嘘よ!」

 叫んだって何も変わらないことはわかっている。だけど叫ばずにはいられない。こんな状況なら私じゃなくてもそうするわよ!

 絶体絶命の窮地に立たされた。瑠璃は腰を抜かして座り込んでしまった。顔は今にも泣きそう、っていうかもう涙が出ていた。

「お願い…何もしないで…お願いだから…」

 しゃべっている声は震えている。芋虫に耳があるとかないとか、思考がどうのこうのは今は考えている余裕がない。

 願いは届かなかった。ミールワームが頭を上げた。そのまま瑠璃に突っ込む気だ。もう見てられない。目を瞑って叫ぶ。

「いやあああああああ!」

 瑠璃の断末魔が闇に響いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る