第8話

   ファイル五


 亜紀子、わたしが家に戻っていない理由をいまさら説明する必要はないと思う。京都で過ごした四日間の断片を集めれば、わたしという人間を知ることができるはずだ。理解できないとしても、どんな行動をとるかは想像できるだろう。ただ、わたしが心配なのは、他のファイルの文章が長いからといって、さきにこのファイルの文章を読んでしまうことだ。だが、几帳面で何事もおろそかにしないおまえのことだから、そんなことはしないと思っている。それに、したところで、結局他のファイルを読むはめになるのだから。


 働き者で責任感の強いおまえだ、今後の生活はなんとかなるだろうし、なんとかするだろう。わたしはそれを知っているから、安心して行動をとることができる。それに、わたしが働いていない間、おまえの給料で生活をやりくりしていたのだ。わたしという人間の生活費は浮くのだから、生活は楽になるだろう。ストレスの原因もなくなることだから、おまえは智也の存在によって神経を休ませることだろう。


 今だから正直言うと、わたしは智也が嫌いだった。智也が生まれておまえからの愛情は感じなくなったように思える。わたしは今でもおまえを愛しているが、智也を愛しているのかわからない。おまえからの小言はなんとか我慢できたが、智也の泣き声はとても我慢できず、神経を鑢(やすり)で削られているようだった。智也の醜い顔を思い出すだけでぞっとする。いや、そんなことはどうだっていい。


 わたしがいなくても幸せに暮らせとは言わない。父親のいない家庭はどう考えても幸せではないからだ。わたしはそれを知っている。だから、気休めの言葉など送りたくはない。


 わたしは不幸な人間だ。そんな人間と結婚したおまえはわたしとおなじように不幸で、そんな両親を持つ智也はより一層不幸だろう。だから、わたしがいないほうが多少は幸せになるんじゃないかと思う。なぜなら、わたしはおまえ達と生活することを望んでいない。それに、おまえたちは新しい家庭をつくる機会ができるからだ。


 きっと、こんなわたしをおまえは憎むだろうし、智也も当然憎むだろう。いや、もしかたら、感謝に変わるかもしれない。


 お別れだ、亜紀子。神様はわたしの存在を許してくれる。いずれ、おまえも許してくれるとわたしは願っている。

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文書ファイル 酒井小言 @moopy3000

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