第7話

   ファイル四


 三日坊主ではないが、三日も同じ場所で寝泊りするとしぜんに体が慣れてしまうのだろう。ドミトリーの静けさも気にならず、平気で音をたてるようになり、快適に眠ることができた。レセプションで会う外国人にも笑顔であいさつできるようになり、誰の目を気にすることなく、堂々とくつろぐことができた。


 わたしは早朝に起きて、レセプションの奥のテーブルで新聞を読んだ。食パンにマーガリンをぬり、屑(くず)をポロポロ落としては、ミルクも砂糖も入っていない熱い紅茶を飲んだ。京都の旅行も今日が最終日で、夜にはバスに乗って東京へ戻らなければいけない。この宿も午前中にチェックアウトしないといけないが、今日の予定はすでに決まっていた。


 昨日の夜、細身の女性従業員に出発まで荷物を置かせてもらえないかと尋(たず)ねると、笑顔で了解してくれた。それに、最終日はどこを観光するか迷っていたが、同じ宿に泊まっている日本人女性と話す機会があり、京都の観光場所について教えてもらった。


 長い黒髪がとても涼しげな日本人女性は、狐のような細い目をしていて、ほとんど表情を変えず、淡々と鞍馬山の素晴らしさを説明してくれた。叡山電鉄からのぞける紅葉がきれいだと言っていたが、わたしは鞍馬山の自然についての説明に興味がわいた。運賃を聞くと、往復千円はかからない、と言った。なるべく金は使いたくないが、寺をまわるよりは安く済むと思った。それに、混雑した人々に触(ふ)れるよりも、自然に触れるほうが気持ち良さそうに思えた。


 狐目の女性は五十過ぎのドイツ人男性と一緒に旅をしていて、京都に来る前まではインドにいたらしい。わたしは海外を訪れたことがなかったので、興味深く話を聞いた。つい職業が気になり、ずうずうしく尋ねると、女性はメイクの仕事をしていて、男性は画家だと教えてくれた。


 それで京都観光の最終日は、鞍馬山へ行くことにわたしは決めた。早朝から出発することも考えたが、忙しく寺をまわるわけではないので、宿でのんびりと朝を過ごすことにした。


 荷造りをほとんど終えていたので、やることがなかった。なので、宿の近くにある二条城の周りを散歩した。犬を連れて歩く人やジョギングする欧米人が何人もいた。


 宿へ戻り、黒いボストンバッグをベッドからおろし、レセプションにいた細身の女性に渡した。女性は大きな目を開き、人なつっこい笑顔を浮かべて、「つぎはどちらへ行かれるんですか?」と言った。わたしは、「いえ、東京の自宅へ戻るんですよ」と言い、苦笑いした。


 暇だったので、細身の女性従業員と話し続けた。女性は旅が好きらしいが、まだ日本国内を出たことはなく、まずはタイに行ってみたいと言った。なぜタイに行きたいのか尋ねると、物価が安くて、他のアジアの国に比べると治安は良いと言い、それから、うれしそうに目をそらして、現地の料理を味わってみたいと言った。「宿の手伝いをしながら写真の勉強をしているの」と言った女性の言葉が、わたしは苦々(にがにが)しく感じられた。


 十一時になり、わたしは赤いフレームの自転車にまたがり、叡山電鉄の乗り場である出町柳駅の場所を確認して、北へ向かった。かご付の自転車も今日でお別れだと思うと、力いっぱいにペダルをこいだ。


 堀川通から今出川通を右へ曲がり、真っすぐに進んだ。鴨川を過ぎて道を左へ曲がり、すこし進むと出町柳駅が右前方に見えた。駅のそばの駐輪所に自転車を停めた。


 電車に乗るのはひさしぶりだ。働いていた時は何度も使うことがあったが、会社を辞めてからは一度も使わなかった。近所の川ぞいをサイクリングするぐらいで、まったく遠出することはなく、その必要もなかった。わたしは一人用の座席につき、窓から景色を眺めた。


 三十分ほどで鞍馬駅に到着した。乗客が降りるのを待ってからホームへ足を踏み入れると、冷たい空気が肺に流れこんだ。濁りのない空気が豊富な自然を感じさせた。


 思っていたほど人は多くなかった。ぽつぽつと人が歩き、うるさくなく、ちょうどよいぐらいだった。


 十分もしないうちに鞍馬寺への入り口に着き、石段を上った。


 ケーブルカーを使わずに歩いて鞍馬寺を目指した。由岐神社を抜けて、九十九折参道を歩いた。今日も天気に恵まれていたので、歩くのが楽しかった。


 中門を過ぎると、ファーの付いたモスグリーンのハーフコートを着た若い女性と、薄手の黒いダウンコートを着た女性がベンチに座っていた。どうやら、母子のようだ。目の前をわたしが通り過ぎると、カタン、と何かが硬い地面に落ちた音がした。すると、母親らしき女性がヒステリックな声を出した。わたしは歩みを止めずに前へ進んだ。


 カメラを落としたことを責めて、くどくど注意する声が耳に入り、母親と同様に大声をあげて反論する娘の声が聞こえた。母親が、カメラを大切に持っていなかったことを非難して、娘は、カメラは大丈夫だと必死に弁解していた。こんな場所まで来てささいなことを言い争う親子の声を聞き、一人でいることにわたしは喜んだ。寂しいかもしれないが、わずらわしさはなかった。


 うしろを振りかえると、母親が、「カメラを貸しなさい!」と、高くひきつった声を出し、娘は負けじと、「大丈夫よ!」と言って、母親が座っているベンチから離れた。娘が抱える黒いカメラを見て、母親が癇癪(かんしゃく)を起こすのもうなずけた。


 先を歩き、言い争っている二人のことを考えた。あれだけ感情を爆発させ、互いを憎みあうように言い争ってはいたが、二人きりでこの場所へ来ているのだから、おそらく、仲は悪くないんだろうと思った。


 何度も足を止め、うしろを振りかえっては、高さを確認するように山からの景色を眺めた。伏見稲荷大社や清水寺でもそうだったが、自分という小さい存在を実感できる高低差のある風景が、たまらない感動を与えた。


 細い石段を上っていると、娘が両手にカメラを抱え、わたしの横を過ぎていった。うしろを振りかえると、登山者用の木の杖をついて全身で呼吸している母親の姿が、すこし離れた場所に小さく見えた。娘は母親のペースに合わせることなく、あてつけるようにどんどん進んでいく。


 さらに進むと小さな小屋が見え、そのそばで娘は写真を撮っていた。その横をわたしが通り過ぎたあと、娘は近づいてきた母親に、「休む場所あるよ」とつっかかるように言った。母親は目線を変えず、「ああ、そうね」と息切れした声で言ったが、歩みは止めなかった。


 やがて本堂へたどり着き、境内をふらついた。母親は見晴らしのよいベンチに座り、娘は元気よくあちこちで写真を撮っていた。


 境内を一回りしてからベンチで休憩し、わたしは貴船へつづく小道を進んだ。


 冬栢亭に近づくと、眼鏡をかけた坊主頭の男が写真を撮っていた。わたしが冬栢亭をじっと眺めていると、坊主頭は小道の先にある小さい門を撮りはじめた。写真を撮り終えるのを見はからって、わたしは体を動かした。


 半数以上の人は本堂で引き返したらしく、追い越していく人はほとんどいなかった。わたしの百メートルぐらい前を歩いている坊主頭の男がいるだけで、鳥の鳴き声もあまり聞こえず、木々が茂る山道は静寂に包まれていた。わたしの歩調は遅かったが、前を歩く男の歩調も遅かった。


 写真を撮らずに歩いていたので、やがて坊主頭を追いこした。すると前方にさきほどの母子の姿を見つけた。母親の疲労具合を見ていたので、わたしはすっかり驚いてしまった。


 わたしが二人のそばで木の根道を眺めていると、立ち止まっていた母親は写真を撮っていた娘に、山道についての愚痴をこぼしていた。だが、さきほどまでの険悪なムードはなく、呆(あき)れたものの言い方だったが、さほど嫌そうでもなかった。娘は写真を撮り終えると、「わたしは大杉を見てくるからね」とあっさり言い、母親を残して木の根道の先へ歩いて行った。母親はふざけた調子でこたえ、小道のわきから動こうとしなかった。(この母親の体力で貴船までもつのか?)わたしはよけいな心配をしてしまった。


 活力を含んだ光りが射しこむ豊かな山道をさらに歩き、やがて、奥の院にたどり着いた。数人の人がベンチに座り、時を忘れたようにじっとしていた。わたしが拝殿に近づくと、固まっていた場の空気をかきまわしたように思え、うしろからの視線に気づまりを感じた。わたし以外に動いている人はいなかった。


 わたしもベンチに座り、足を休ませていると、上から母子の話す声が聞こえた。母親がゆっくりと杖をつきながら歩き、杖のありがたみをはじめて知ったと、前を歩く娘に遠慮なく話し、娘は適当なあいづちをうっていた。思ったよりも早く自分に追いついたので、わたしはまた驚いてしまった。二人に遅れて坊主頭の男も下りてきた。わたしはふたたび小道を歩きはじめた。


 チケットを買った時にもらったパンフレットを見ると、登山道も終わりにちかづいていることがわかった。遅かった歩調をさらにゆるめ、一歩一歩を確かめるように歩いた。


 五分もしないうちに後方から人の声が聞こえ、あの母子が近づいてることがわかった。歩調を速めかけたが、我慢しておさえた。母親は奥の院について陽気な皮肉をこめて娘に話していた。


 二人がさらに近づいたので、小道のわきに足を止めてパンフレットを見た。二人は黙ったまま会釈(えしゃく)をして通り過ぎ、再び楽しそうに会話を始めた。母親からの止むことのない山道への文句に対して娘が、「わたしなんかウエスタンブーツよ、登山なんてするとは思わなかった」と言い、母親は笑いながら、そんな靴を履いてきたことを注意した。わたしはひそかに笑ってしまった。


 少しすると坊主頭にも追いつかれ、再び道をゆずった。


 ある場所を通り過ぎると、川の流れが聞こえた。貴船川の音だと思い、山道が終わるのだと考えると、物足りなさを覚えた。だが、みずみずしい音を聴くと、新鮮な世界がひらけているようにも思え、昔の人間が山を越えるのを想像した。


 現在みたいに道は整っていないだろうから、歩くのはより大変だったかもしれない。きっと、川の音を聞いたときの感動はわたしの何倍もあるのだろう。それに、源義経もこの川の音を聞き、貴船を感じたかもしれない。


 しだいに川の音は大きくなり、西門をくぐると鞍馬山の登山道は終了した。川に沿ってアスファルトの道を歩き、わたしは貴船神社へ向かった。


 灯篭(とうろう)が両わきに並ぶ参道を抜けて本宮へ着いた。御神水で手を清めてから、休憩場所にあるベンチに座り、持っていたツナおにぎりを取り出して、目の前に広がる貴船川の景色を眺めながら口に入れた。隣りでは、聞きなれない言葉で男女が仲良さげに話し、右奥のベンチには、黄土色のハット帽をかぶった老いた男が灰色の背中を丸め、その横で、タッパを左手に持った白髪頭の老女が食事をしていた。 


 食事後、川沿いを上って歩き、奥宮を訪れた。太陽は山の裏に沈み、陽のあたらない境内は人がおらず、とても静かだった。“連理の杉”という、杉と楓(かえで)が癒着(ゆちゃく)したすがたを見てから、わたしはその場を去った。


 川沿いを下って歩き、貴船口駅へ向かった。途中、バス乗り場があったが、なんら関心なく通り過ぎた。


 バスがわたしを追いこし、乗客が何人も見えた。空は少しずつ色を深めていった。わたしはヘッドホンをはめて、ベートーベンの「バイオリン協奏曲」をながした。紅葉はきれいだったが、裸にちかい梢(こずえ)がやけに目につき、迫力に欠けてもの悲しかった。


 途中、ガードレールの切れ目を見つけ、躊躇(ちゅうちょ)なく貴船川に足を向けた。刈られた草の上を歩くと、湿ったやわらかい弾力が足の裏に感じた。川岸に立ち、緩やかな流れを見つめ続けた。小川は規則正しく流れているように見えた。川底には楓の葉が沈み、そのなかの一枚がちょっとしたひょうしに浮き上がり、水面にちかづいて流されていった。葉の動きはバイオリンの音と合っていたわけではないが、わたしの全身に鳥肌がたった。  


 そのまま見つめていると、色は薄いが輪郭のはっきりした小さな楓の葉が流れてきて、水の流れに逆らうことなくゆったりと、なめらかな線の余韻(よいん)を残して流れ去った。


 すぐそばにあった大きな石に手を使ってよじのぼり、乾いた苔(こけ)がこびりついたその上であぐらをかいて、ヘッドホンをはずして川の流れを見下ろした。


 わたしは流れ去った小さな楓の葉を思った。葉先が丸くならず、シャンとした姿を思い浮かべると、ついさっきまでは、枝にぶらさがっていたのではないかと思われた。あの葉は、木にぶらさがっている時は誰の目にも留まらなかっただろう。無数の赤い仲間達の一部として、見られているようで、見られてはいなかったのだろう。また、地面に落ちたとしても、やはり道を埋める葉にまぎれて同じことだろう。


 だが、たまたま川に落ち、川底に沈むことなく、優雅に水面を流れたことによってわたしの目に留まり、その真価を発揮することになったのだろうか?


 友人達と一緒に働いていた会社を辞めたことに、わたしは後悔していた。しかし、友人達と一緒に働くのが苦痛で仕方がなかった。そのまま働き続けていれば生活は安定したかもしれないが、わたしの心はもたなかっただろう。四ヶ月が経過した今だからわかるが、実際、わたしの言動はおかしかった。それに、そのことに気がついていなかった。あのまま働いていたらどうなるかわからなかった。


 だが、逃げるように会社を辞めて一ヶ月が過ぎると、働いていた時はわたしのなぐさめ場であった家庭が、会社の友人達のようになってしまった。働くための原動力だった亜紀子と智也がわたしにのしかかり、しだいに忌み嫌うようになった。


 一日中家にいると、亜紀子は会社を辞めたことを責めた。わたしのささいな行動を見ては、難くせをつけ、会社を辞めたことに話頭を運んだ。社会保険について話してから、子供の養育費についてくどくどと説明して、子供の教育や家庭の今後についての憂いを話したあと、わたしの我慢の足りなさを責めた。最初はわたしも反論していたが、その倍の言葉が返ってくるだけで、わたしの言葉はいっこうに理解されることはなく、やり場のない怒りがたまりつい手を出てしまいそうになった。


 しだいに反論しても無駄だとわかり、ただ、亜紀子の言葉をかわすことだけを考えた。三歳になったばかりの智也を保育園に送っては、家事を済ませ、狭いアパートから逃れるように外を散歩した。アパートにいると亜紀子と智也の存在が頭にちらついてしまい、とてもまともではいられなかった


 あらたに働き口を見つければよかったのだが、働く気がしなかった。どうせ、友人達と働いていた頃のようになるのだと思っていた。それなら、主夫として生活すればいいと思ったが、亜紀子の言動はチクチクとわたしの心を刺し、智也の存在が一日ごとにうっとうしくなった。わがままな言動が気になり、泣き声を聞くたびに気がおかしくなりそうだった。狭いアパートで、わたしは何度も絶望を感じた。


 それなら友人達と一緒に働いていたほうがましだと思ったが、わたしはすでに会社を辞めていた。再び戻ることなど、考えただけで恐ろしくなった。働くこともできず、家にいることもできない。どうやって生きていくのかわからず、三十歳という年齢を直視しては、どうにもならない不安に全身を震わせるだけだった。


 川の流れを見つめ続け、忘れていた日常が思い出された。バスに乗って東京へ戻り、亜紀子との約束どおり新しい仕事を探すことを考えると、身震いと同時に吐き気がして、たまらなく泣きだしそうだった。


 流れていった楓の葉がうらやましかった。一本の木にぶらさがり、しわくちゃに枯れるまでしがみつき、舞うことなく地に落ちて踏みつけられたくなかった。

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