第4話

   ファイル二


 ドミトリーはどうも落ちつかなかった。部屋は静かだが、荷物をさぐる音や、鼻をかむ音が気になり、わたしは音をたてないよう静かに横たわっていた。呼吸を意識してしまい、息がつまってしまった。呼吸がこれほど難しいとは思わなかった。また、寝返りをうつのにも気をつかった。深い森の中で獣に気づかれないよう、気配を消すことに集中していた。おかげで朝から休むことなく行動して疲れていたはずが、すぐに寝つけなかった。


 次の日、わたしは明け方に目を覚ました。他人の呼吸によどんだ部屋にいるのが嫌で、不思議なほど目覚めがよかった。全身を集中させてうぐいす色の手さげバッグを持ち、小さな木のはしごを降りて、こげ茶色のスニーカーのかかとを踏んだ。ゆっくりと部屋のドアを開けた時、歯ブラシを持ち出し忘れたことに気がついた。歯ブラシは黒いボストンバッグの奥底にあった。寝る前に今日の荷物を用意しておいたので、歯ブラシがすべて台無しにしてしまったように思われた。しかたなく、そのまま部屋を出て一階へ下りた。


 レセプションには誰もいなかった。わたしは入り口のドアを開けて、近くに落ちていた石を拾い、ドアのあいだに挟んだ。オートロックの鍵の番号を覚えるのが面倒くさかった。


 近くのコンビニでツナマヨネーズのおにぎりと豆乳を買い、宿へ戻った。レセプションの奥を占めている大テーブルのイスに座り、マップを広げた。昨日考えていたとおり、自転車で山科へ行くことにした。疲れてもいいから自転車で行動したかった。


 豆乳を腹に流しこんで席を立ち、昨日と同じ赤いフレームの自転車にまたがった。皮手袋をはめて、前のカゴに手さげバッグを入れ、東へむかって出発した。外は寒かったが、空気は澄んでいて空は雲ひとつなかった。


 道はとてもわかりやすく、三条通を真っすぐに進めばよいだけだ。わたしは御池通を東へ進み、鴨川をこえてから右へ曲がった。桂川と違い、鴨川はきれいに整備されていて、川沿いに並ぶ茶色い建物が川と街の関わりを感じさせた。


 三条通にぶつかり、左へ曲がった。道はしだいになだらかな上り坂となり、自転車を押して歩道を歩いたが、早朝のおかげで苦にならなかった。昨日の朝同様に、見知らぬ土地にいることがうれしかった。ただ、道路を走る車の排気ガスがやけに鼻についた。


 坂を上りきると、下り坂が続いた。ヘッドホンから流れる音楽をテンポの速い曲に変え、ブレーキを小刻みに利かせながら下りた。温まった体に乾いた風が吹き抜け、体は急速に冷やされた。


 思ったよりも早く山科駅に着き、ヘッドフォンをはずして、やわらかくなったマップを見た。わたしはまず毘沙門堂を目指した。


 なだらかな坂道を北へ走ること約十分、色づいた楓(かえで)の木が数本見えてきた。赤と黄色の葉に埋められたアスファルトの駐車場に自転車を停めて、急な石段を上った。


 境内はこじんまりとしていて、中年女性が三人いた。わたしは枝垂(しだ)れ桜のそばにいた女性達に小さく会釈(えしゃく)した。


 拝観はせずに境内をひと回りして、なだらかな石の道を下りた。石の道は紅葉の葉で薄紅色に染まり、黒ぶち眼鏡の若い男が重そうなカメラで写真を撮っていた。


 駐車場に戻るとハイキング姿の中年男性が数人、奥の道へ歩いていった。男性達の服装が気になったので、わたしはあとを静かに追った。すると、道のわきにある木の案内板に“南禅寺”と書かれていた。わたしは立ち止まり、いったい、どれほどの距離を歩くのか考えた。まわりには誰一人おらず、小川の流れる水の音と、にぎやかな小鳥の囀(さえず)りがするだけだった。木々の隙間から射しこむ光がまぶしく、小道は影との対比が際立っていた。自転車が厄介な存在に思われた。


 近くにある双林院に寄ってから、自転車で山科駅へ戻った。それから若宮八幡宮と山科本願寺南殿後、蓮如上人廟所、元慶寺、阿弥陀寺をまわった。拝観料はかからず、金のことを考えずにすんだが、どうも違和感があった。マップ上には文字が書いてあるだけで、寺の規模や様子はわからず、実際に行かないかぎりはどんな場所かわからなかった。観光客はほとんどいなくてとても静かだったが、想像するような京都らしさはあまり感じられず、自分の地元の寺でも見ているような気がした。わたしが山科に住んでいたら、ほとんど訪れることはなさそうな所ばかりだった。京都という地名と、はるばる関東からやって来たことが、寺を、寺以上に見せているのではないかと思った。


 今日は水曜日だということを思いだし、目についたコンビニで週刊誌を立ち読みした。


 気をとりなおし、南へ向かった。昨日よりも晴れた空は青く、山科を囲う山々をはっきりと見ることができた。生まれ育った関東では、周りに山がなかった。冬のよく晴れた朝や雨上がりのあとに、遠く西のほうでぼんやりと見ることができる程度だった。


 起伏に富んだ小高い小道を走りながら山科の街並みを眺めると、地上の地形を感じることができた。寺を気にしてマップを広げるのがおっくうになり、むしろ、寺などなくなってしまい、ただ自転車で走っていたかった。


 やがて大石神社に着いた。大石神社が“元禄赤穂事件”で有名な、大石内蔵介を祀(まつ)っているとは知らなかった。その名は何度も聞いたことがあったが、事件の顛末(てんまつ)を詳しく知っているわけではなく、事件の名前を知っているだけだった。おそらく、忠臣蔵が好きな人だったら楽しめるだろう。わたしは忠臣蔵を一度も見たことはなかったが、機会があったら興味を持って見ることになるだろうと思った。


 観光地を訪れることで、歴史の一端にふれ、興味を持ち、より知識を深めていく。もし、旅を続ける生活を送っていたら、どれほど活きた知識を得ることができるだろう?


 わたしは小さな四辺の柵の中にいた馬、ファラベラ・ミニホースの“花子”見つめながら考えていた。持っていたバナナを手さげバッグから取り出し、隅の日陰にいる花子に見えるように前へ出した。芦毛の花子は視線を動かさず、何の反応もしめさない。わたしはおもわず苦笑いを浮かべてしまった。


 バナナをカバンに戻して歩き出すと、小柄な中年女性が近づいて花子に話しかけた。花子は聞こえていないかのようで、銅像みたいにじっとしていた。「なんで神社に馬がいるんだ?」と疑問に思っていたが、花子に話しかける女性を見て、考えるのをやめた。


 大石神社の近くには岩屋寺があり、ついでに寄ることにした。寺は山の麓(ふもと)にあり、寺からの眺めは意外に壮大だった。目の前にある公園には、葉の大きな楓がルビーのように色づいていて、木の根元から見上げていると色感が狂いそうだった。写真を数枚撮り、立場所を何度も変えて、気の向くまま眺めていた。公園内は、白いハット帽をかぶった中年男性が、上着を腕に抱えたまま写真を撮りつづけており、離れたところの木々の陰には、小さな子供達がたわむれていて、数人の保母さんが、顔をしわくちゃにして泣いている子供をあやしていた。


 折上神社に寄ってから、勧修寺を目指して南へ進んだ。


 白い壁に沿って走り、勧修寺の入り口へ着いた。自転車が一台も停まっておらず、停める場所に困ったが、とりあえず壁際に停めた。


 今日初めての拝観料を支払い、境内へ入った。やっと京都らしいというか、有名な観光場所にやって来た。水戸光圀公の寄進だという灯篭(とうろう)と、樹齢七百五十年の“ハイビヤクシン”を見たが、いまいちそのすごさがわからなかった。


 わたしは池の前のベンチに座った。池は枯れてしぼんだ睡蓮(すいれん)の葉が埋めつくし、生気が感じられず、訪れる時期が悪かったのだと思った。昨日同様にツナおにぎりを食べた。陽射しが強くとても暖かい。再び友人達と働いていた頃を思いだした。


 わたしはいつも一人で昼食を食べていた。狭苦しい事務所の中で友人達の雑談を耳にしながら食事するのが嫌で、昼のチャイムが鳴ると、バタバタと近くの公園へ移動した。公園には大きな平たい木のベンチがあり、わたしは靴を脱ぎ、あぐらをかいておにぎりを食べた。


 晴れた日は親子づれが幸せそうに遊具で遊び、曇りの日は中年の男女が散歩をしていた。わたしはそれらの人々を毎日眺めて静かな時間を過ごした。食事後はベンチに横になり、目をつぶって周囲の音に注意した。無機質な画面を見続け、耳にしたくない会話を聞いて疲れきった感覚器官は、急速に回復できた。なによりも心が休まった。


 いつからだろう、人との食事を避けるようになったのは。小学生の時はどうだったか? 周囲の机を向かい合わせにして給食を食べていたが、特に何とも思っていなかった。


 中学生の時はどうだった? 覚えていない。どのように昼食をとっていたのだろうか? 給食ではなかったから、弁当を食べていたのだろう、でも、どうやってだ?


 高校の時は? はっきりと覚えている。三限目が終わると、すぐに弁当を食べた。昼休みに食事をする人間を探すのが面倒だった。


 では、大学の時は? いつも一人で食事をとるようにしていた。


 そう考えると、友人と働いている頃、一人で食事をとっていたのはなんら不思議ではない。むしろ、あたりまえの行動ではないだろうか?


 人と食事するのはさほど嫌いではなかったが、好きでもなかった。ただ、会話をしたくなかった。意味のなさそうな会話を喜んでする人が理解できず、わたしは無言で聞いているか、あいずちをうって苦笑いをしていた。かといって会話が嫌いなわけではなく、建設的な話、行動に直結するような話は好きだった。とにかく、仕事の愚痴や不満を話すのは嫌だった。


 人の話を聞いていると、こういった話題が多かった。友人と働く前、飲食店でバイトしていた時もそうだった。わたしはホールの仕事を担当していたが、アルバイトの態度が気にくわなかった。全員が気に入らないわけではないが、客が少なく店が暇な時、楽しそうに雑談する連中の気が知れなかった。仕事中に話すのは悪いことではないと思っていたが、働いていることを忘れているかのように、分別なくベラベラと話している姿を見ると、胸がむかむかとした。なぜなら、いくら店が暇であっても、客は数人いるのだ。客がいることにはなんら変わりがないからだ。


 だからといって注意はしなかった。注意したところで直るわけでなく、わたしの目の前で話さなくても、わたしがいなければ話すのは目にみえていた。それに、注意したあと、ひどい自己嫌悪におちいるのが嫌だった。


 暇をみては雑談する人間を理解できなかった。学校に通っている時も、授業中にひそひそと話す人間、授業について不満をもらす人間、教師を無意味に馬鹿にする人間が理解できなかった。


 バナナを食べ終え、茶で口をゆすいだ。ツーリストマップを見て次に訪れる場所を確認した。


 小野小町が住んでいた随心院を訪れた。なにを勘違いしていたのか、“小野妹子”のことだと思っていて、自分のばかさ加減にあきれた。


 境内には裸の木々の広い梅園があり、ここも来る時期が違ったのだと思った。拝観はせずに裏へまわり、小野小町への恋文が埋められているという文塚(ふみづか)を見ることにした。


 文塚は緑に囲まれてひっそりとしていた。周りの木々はかすかに揺れていて、灰色の塚の前に立つとおもわず鳥肌が起った。わたしは踵(きびす)を返し、塚の正面の白い壁を見ながら歩いていると、茶色い点が二つあることに気がついた。


 近づいてみると、小枝のような茶色いナナフシだ。小学生以来見かけることがなかったので、ふと、微笑(ほほえ)んでしまった。ナナフシはじっとしていた。つい、ナナフシを手でやさしくつかみ、近くの枝に乗せてしまった。ナナフシは微動だにしなかった。わたしは数歩あとずさりして、ナナフシを眺めた。すぐに白い壁にはりついている残りの一匹を眺め、おもわず笑ってしまった。そして、「もしかしたら夫婦だったのでは?」と思い、申し訳ないことをしてしまったような気がした。


 自転車に戻り、わたしは醍醐寺を訪れた。


 醍醐寺の境内は今日訪れたどの場所よりも広く、ツアーの観光客を見て有名な場所だと知った。


 わたしは拝観料を払い、まずは伽藍を拝観した。五重塔はもちろん迫力があったが、弁天堂の景観がなによりも素晴らしく、初めて紅葉の美しさを知った気がした。力強い陽射しに照らされた楓の葉は薄紅色に輝き、透き通った水底の白い砂の上に葉が散りばめられ、池の奥からたえず広がる小さな波紋がその影を映していた。手さげカバンからウィスキーの小瓶を取り出し、口に入れ、飽きるまで池の周りを歩いた。今日の天気にあらためて感謝をした。


 次に三宝院を拝観したが、どうもパッとしなかった。大覚寺でもそうだったが、陽が陰ったせいか、庭園の魅力がいまいちわからなかった。だが、庭園を見る眼がまだ養われていないだけで、回数を重ねるごとに魅力を発見するのだとも思った。


 陽はしだいに傾き、さすがに体は疲れていた。足も疲れていたが、なによりも目が疲れ、頭がはっきりしなかった。


 次の観光場所の善願寺の場所を確認し、坂道を下りて向かったが見つけることはできなかった。探すのが面倒になり、一言寺へ向かったが、同様に見つからなかった。


 法界寺を訪れ、拝観もせず、すぐにその場を去った。もう小さい寺をまわる気がせず、伏見へ向かった。


 観月橋を往復して宇治川を眺め、伏見の町中をさまようように走り、寺田屋の外観を見て、わたしは宿へ戻ることにした。


 宿は非常に遠かった。

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