第3話

 マップ上の赤印を目指して北へ進んだ。渡月橋を自転車で渡り、天龍寺を越すと、すぐに清涼寺へ着いた。門の付近に自転車を停めて、境内へ入ると黒と白の縞模様の本堂が目に入った。広い境内は人がまばらで、空間にゆとりがある。拝観はせずに、歩く速度をゆるめて景色を見てまわった。陽射しは強かったが、風の冷たさが熱くなる体をうまい具合に冷ましてくれた。紅葉も静かに見ることができた。紅葉の葉が日光に透かされ、周囲の色よりも一段と浮いていた。とくに淡黄色の銀杏(いちょう)の葉がムラがなくて綺麗だった。


 自転車に戻り、次に宝筐院と二尊院を訪れたが、どちらも拝観料がかかるので入り口を見るだけで終わった。宝筐院の入り口の前では、一眼レフカメラを持っていた中年男性が数人ぼやいていた。写真撮影の制限に不満があるようだ。


 いまさらになって、京都の寺巡りは金が必要だと気がついた。どの寺でも拝観料をとられるので、庭園を見ることができたのは地蔵院だけだった。そもそも、京都の紅葉ばかりに気をとられ、庭園を楽しむことすら知らなかった。友人にもらったツーリストマップだけでは観光場所の雰囲気を知ることができず、下調べをもっとするべきだと後悔した。けれど、京都の観光情報誌を読む気にもならなかった。自分の想像を頼りに京都へ来たようなものだった。


 自転車をこぐのがおっくうになり、観光している意味があるのかと疑問に思った。東京では見ることのない古い家々を眺め、視線を上げればそびえる山々をうれしく思ったが、満足に拝観できないのがわたしに要らぬことを考えさせた。所持金と拝観料ばかり気にして、心が狭くなっていく自分がいた。わざわざ京都へ来て、ひもじい思いをしている自分が馬鹿らしくなった。キャッシュカードを取りに宿へ戻ろうとも考えたが、再び嵯峨まで戻ってくる気にはなれない。拝観できなくてもいいから、赤印のついた場所をまわろうとわたしは思った。


 わずかな人の流れについて細い坂道を上がると、祇王寺にたどり着いた。周囲には別の寺もあったが、やはり拝観料をとられるので入り口を見るだけにした。


 祇王寺の拝観料は三百円と安く、入るか迷っていると、大覚寺の拝観券と一緒に買えば安くなると、受付のそばの看板に書かれていた。わたしは祇王寺と大覚寺の拝観券を六百円で購入した。所持金は残り二百円ちょっと、このあとは拝観することはできないだろう。そのかわり、あれこれ迷うことがなくなるのでわたしはほっとした。


 祇王寺の紅葉の三分の一は散っていた。昨晩の雨で地に落ちたらしく、杉苔(すぎごけ)の緑を隠す黄色と赤の葉には色艶(いろつや)が残っていた。やっと自分の想像していた京都の紅葉を見ることができて胸はすっとしたが、拝観できなかった寺々を思うと悔しくなった。嵐山に着いたきり活躍していなかったデジタルカメラを手に持つと、自分の滑稽(こっけい)さと都合のよさにおかしくなってしまった。結局人々同様、わたしも夏の虫なのだ。なにせ、それを目的に京都へ来たのだ。


 雲に陰っていた太陽がちらっとかおを出して、豊かでみずみずしい地面をするどく照らす。周りにいた人々は慌ただしく写真を撮り、しきりに感嘆の声をあげていた。わたしもおなじように写真を撮り、頭の中で声を出していた。その真価を発揮した彩色豊かな空間には、紅葉を見ずに雑談する人がいなかった。わたしは誰かと話しをしたわけではないが、その場にいた人々に親近感を抱いた。目の前にいた老夫婦が少ない言葉で話すのを聞き、つい顔がほころんでしまった。


 早朝に味わったような旅の喜びを取り戻し、自転車に乗って大覚寺へ向かった。半日自転車をこいでいたがまるで疲れは感じなかった。


 人の流れについていき、土産屋が並ぶ傾斜の道を進むと、化野念仏寺へ着いた。自転車を停めて石段のそばでマップを開くと、赤印はついておらず、大覚寺とは逆の方向へ来ていた。石段の上方を眺めていると、細い顔の男性が、自転車を停める場所はもう少し先にある、と教えてくれた。小さい声でわたしは礼を言い、男が指差した方へ進んだ。さりげない心遣いに感謝しつつ、自分にはできないことだと思った。


 入り口だけ見て、すぐにその場を去った。大覚寺までの行き順を数回口ずさみ、わたしは自転車を走らせた。


 十五分ほどで大覚寺に着いた。白髪の警備員に自転車置き場を尋ね、目の前にあるバス乗り場のわきに停めた。晴れていた空はいつのまに明灰色の雲に覆われて、ぽつぽつと雨が降りはじめている。足早に大覚寺の境内へ進んだ。


 嵐山ほどではないが人は多かった。しだいに雨足が強くなり、タイミングよく大覚寺へ着いたと思った。庭園は整然としていたが、空が薄暗いせいなのか、それほど大したものに見えなかった。


 傘を持っていなかったので雨が止むのを待った。昨日の天気予報では晴れだったのでそれを信じきっていた。それに、わたしは折りたたみ傘じたいを持っていなかった。雨はすぐに止むものだと思い、存分にお堂を味わうことにした。


 お堂を二周したあと、一本の楓の木を眺めつづけた。光りが射していないにもかかわらず、真紅の葉は気品をもって輝き、今まで見てきた楓の葉が贋物のように思えた。考えてみればあたりまえのことだが、楓の木にも個体差があるのだと驚いた。わたしはその楓に見とれていた。


 通り過ぎる人々はその楓から逃れられないように、声をあげて写真を撮っていた。油っぽい顔の男が、「建物の赤に負けじと色づかせているな」と言った。楓の前のお堂内は目が痛くなるほどの朱色に染まり、わたしはおもわず納得した。男はその言葉が気に入ったようで、連れの女性へさらに二度声に出した。


 一時間ほどで雨は止み、待ち望んでいた光が射しはじめた。楓の葉は光りに透かされ、わたしは息をとめてその美しい変化をじっと眺めた。すると、なんだか悲しくなってしまい、嗚咽してしまいそうになった。


 お堂の外へ出て、大沢池の周りを散歩した。水面はかすかに揺れて山の景色を反射させていたが、鴨の群れが同じ方向へむかって泳ぎ、いくつもの小さな波が水面に斜線をつくっていた。のんきな鴨の鳴き声が静かな池に不器用に響いていた。


 池のほとりの“ツブラジイ”の巨木に近づき、地面から盛りあがったたくましい根元に腰かけた。残しておいたおにぎりを食べながら池を眺めていると、数人の観光客が目の前を通った。観光客は巨木を驚いたように眺め、わたしはばつが悪く、目のやり場に困ってしまった。 


 夕暮れ時がせまっているせいか、それとも晴れ間がなくなったせいか、観光する気があまり起きない。マップを見ると、嵐山・嵯峨エリアの赤印はほとんど青いバツ印がついていた。わたしは東にある弁財天社へ向かうことにした。


 弁財天社へつづく道は田園風景が広がっていた。黄色い山並みの色彩を成している細かい木々を見ることができた。畑には案山子(かかし)が十体ほど整列するようにつっ立っていた。    


 弁財天社はさびしかった。広沢池にでっぱるようにつきだした石垣の島には、小さほこらがぽつんとしていて、背の低い楓の木の下にベージュのハット帽をかぶった老人が座っていた。風は穏やかだったが、冷たく、肌寒い。わたしは持っていた茶色の皮手袋をはめて南へ向かった。大沢池を見るまえに来ればよかった。


 嵐電の線路を越え、鹿王院に着いた。人の気配がしなかったので、すでに拝観は終了してしまったのかと思い、おそるおそる門の敷居をまたぐと、小さな受付小屋に女性が座っていた。女性は、「おひとりですか?」と落ちついた声で話し、拝観券を手にとった。わたしは返事に困りつつ受付場所を見ていた。拝観料が三百円だとわかり、「持ちあわせがないので、また、今度来ます」と、小さな声を出した。女性は表情を変えずに、「そうですか、では、またいらしてください」と言った。わたしは静かな雰囲気がただよう鹿王院を拝観できないのが残念だった。また、たった三百円も持っていない自分が情けなくなり、持ちあわせのないことを理由にした、と思われるのが嫌だった。


 観光する気がなくなってしまった。マップを見ると、宿へ戻る途中に広隆寺があったので、拝観料はかかるだろうが寄ることにした。


 空は暗灰色の薄い雲が広がり、雨がポツポツと降っていたが、ときたま強い夕暮れの陽が射した。なんともおかしな天気だった。


 わたしは広隆寺の駐車場わきに自転車を停めた。境内は夕暮れ時だからか、人がほとんどいなかった。本堂に近づくと受付小屋が見えたので、すぐに引き返した。重苦しく湿った境内を歩いていると、雨が急に強く降りはじめた。丁度南大門が目に入ったので、足早に近づいた。


 雨はさらに強く降り、雨具を持たない人がどこからか集まり、十人ほど南大門の下で雨宿りをしていた。大きな毛玉のついた茶色のニット帽の若い女性が、両親らしき初老の男女と話をしていた。また、黒いレザーコートを着たほっそりした顔立ちの男が、耳に白いイヤホンをしたまま、きょとんした顔で遠くを見ていた。カメラの機材を持っていた三人の若い男は、しきりに話をしていた。


 わたしは金剛力士像の前から嵐電の線路を眺めていた。踏み切りの鐘(かね)の音が鳴り、白茶色の一両車が人を大勢乗せて通り過ぎ、太秦駅に到着した。修学旅行の時に広隆寺を訪れたことを思いだした。クラスでの団体行動ではなく、班行動で来たのだ。数人の男女の班行動は、普段はほとんど話すことのない女子との会話が思いのほか新鮮だった。あの頃は何も考えずに集団行動を楽しむことができた。


 雨はなんどか雨足を弱め、そのたびに雨宿りしている人は減っていった。時間を気にして本堂へ歩いていった家族もいれば、待ちきれずに出ていった顔の赤い男もいた。わたしは予定がなかったので急ぐこともなかった。誰かにせかされることもなく、景色をぼんやり眺めていた。雨は、わたしにやることを与えてくれた。


 西の空は柿色に染まっていたが、上空は灰色の雲がせわしなく動いている。強烈な西陽(にしび)が射しこみ、境内のところどころの色が映(は)えた。雨はかわらず降っていたが、銀杏は黄金色を活き活きと輝かせていた。東の空には巨大な虹が曲線を描き、イヤホンをした男が目を大きくして眺めている。学校帰りの子供達は原色の小さな傘をさしてうれしそうに歩いていた。虹は赤・黄・緑・青と、はっきりではないが色を識別できるほど大きく、今までに見たことのないほど美しい。わたしは悲しくなってしまった。


 雨が止んだころ、南大門には人がいなかった。わたしは駐車場へ向かって歩いた。空の色は薄橙色に沈んでいた。わたしはふと早朝に通った上野橋を思い出し、そこへ寄ってから宿へ戻ろうと思った。

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