第2話

   ファイル一


 東京駅発の夜行バスは六時に京都駅へ到着した。わたしが京都を訪れるのはこれで二度目だ。一度目は、多くの学生が経験するように修学旅行で訪れた。なにしろ十六年前のことで、バスガイドの話す卑猥(ひわい)な話に同級生と盛りあがったことぐらいしか覚えておらず、まさか京都駅がこんなに巨大だとは思いもしなかった。


 重い荷物を背負って駅内を歩きまわり、友人からもらった京都のツーリストマップを駅員に見せて、ゲストハウスと呼ばれる、安宿がある二条駅への行き方を教えてもらった。バスと電車があり、市内を見ながら移動することも考えたが、乗り場がわかりやすい電車で行くことにした。


 二条駅に到着し、タクシーの運転手にゲストハウスの場所を尋(たず)ねると、歩いて十分で着くと教えてくれた。この時間帯は暇なのだろうか、白髪の男が二三人集まり、聞き慣れない京都弁で競うように教えてくれた。同じ言葉を繰り返すくどさは親切心の表れだろう。


 詳しく教えてもらったおかげで、迷うことなくゲストハウスを見つけることができた。とても宿には見えない雑居ビルに、黄色い看板がついていた。放浪ばかりしている友人に教えてもらったとおり、一泊二千円と宿泊費はとても安い。とはいえ、しょせんは二千円クラスの質だろう。いや、二千円の価値があるのかも疑わしい。


 わたしはドミトリーと呼ばれる相部屋の、二段ベッドの上に泊まることになった。大人の男性が横になれるだけのスペースに、湿気臭いふとんが敷いてあった。部屋は薄暗く、他のベッドは白いカーテンで隠され、ひっそりとしていた。ベッドの足元に靴が置いてあるのを見て、本当に人が泊まっているのだと確認できた。


 夜行バスの移動で背中が痛く、寝不足気味だったが、すぐに観光するつもりだった。自宅でツーリストマップを何十回と見ては、観光する場所に赤印をつけていたので、すでに行く場所がはっきりしていた。音を立てないように必要な荷物だけ持ち、そっと部屋の扉を開けた。


 レセプションでは眼鏡をかけた白髪頭の男が新聞を読んでいた。友人がすすめてくれたとおり、わたしは自転車を借りることにした。赤みがかった顔の男は表情を変えずに、マニュアルどおりらしい説明をして、数台用意してくれた。どの自転車もフレームは錆びていて、ブレーキの利きがいまいちだった。わたしが不満そうな態度を顔に表すと、男が「観光客が乱暴に乗るから、すぐぼろぼろになるんだよ」と言った。わたしは何もこたえず、赤いフレームのカゴ付自転車を選んだ。男の言葉が言い訳のように聞こえ、妙に腹がたった。


 二ヶ月前まではマウンテンバイクで通勤していたので、自転車をこぐのに自信はあったが、変速ギアのついていない自転車は小学生以来だった。サドルの位置がどうもおちつかず、こいでいてぎこちなかったが、見知らぬ土地を自転車で走ることが贅沢に感じられた。


 空は澄みきっていた。靄(もや)のかかった空に慣れてしまったからだろうか、青い空を見て思わず笑い出してしまった。わたしはツーリストマップを見て居場所を何度も確認した。その度(たび)に自転車に乗った通学・通勤中の人が、さっとわたしのそばを走り過ぎた。桂川を目指してわたしは自転車をこいだ。


 上野橋に着いて景色の広さに驚いた。緑・黄・赤が混じる山々には、真っ白い濃厚な雲が低くのしかかり、ところどころ大きな影を射している。空は水色からあさぎ色へグラデーションを成していた。斜めから射す強い太陽光が川原を照らしては、ススキの群生が揺れるように輝いていた。


 橋を渡りはじめた時、ちょうどヘッドホンで聴いていたベートーベンの「交響曲第三番・第四楽章」が第五自由変奏に入った。一直線の橋から眺める桂川の景観は、こみあげる木管楽器とバイオリンに合わせて一変し、景色以上の意味を持った。わたしは、自然がこれほどまで素晴らしいと感じたことはなかった。


 土と草の匂いが香るサイクリングロードをふらふらと走り、躍動する音楽に合わせて豊かな川岸の自然に見とれた。茶色い正方形のグラウンドには、白や灰色のハット帽をかぶったご老人が何十人も集まり、ゲートボールの大会が開かれていた。


 マップ上では遠く見えた桂離宮は、思いがけない早さで着いてしまった。桂川の雄大さにあまりにも感動してしまい、目的だった桂離宮はどうでもよくなってしまった。とはいえ、来たからには見ないといけない。ほとんど空いている駐車場に自転車を停めて、入り口を探して歩いた。こげ茶のハット帽とベージュのステンカラーコートを着た中年男性が歩いているだけで、辺りは鳥の鳴き声に響いていた。


 砂利の道を歩いてこげ茶の建物に近づくと、白い頭巾をかぶった老婆が竹ぼうきで落ち葉を掃いていた。入れるのかと尋(たず)ねると、老婆は、「わたしにゃ、わかりません。あちらできいてください」と言った。しわだらけの老婆が向いた先を見ると、小さな木作りの門の奥に、黒のロングコートを着た背の高い男性が立っていた。男はポケットに手をつっこみ、寒さをまぎらわすように体を落ち着かずに動かしていた。


 イヤホンをしたその男に尋ねると、「予約はいたしましたか?」と男は丁寧にこたえた。予約制とは知らず、あっけにとられてしまった。わたしは一言こたえて、歩いてきた道を戻った。腹は立たず、やけにいさぎよかった。


 それから本格的に観光をはじめた。マップと住民をたよりに、赤印のついた観光名所を訪れては、青ペンでチェックをつけた。


 桂離宮から西へ向かい、地蔵院・苔寺・鈴虫寺をまわった。わたしは地蔵院で拝観料五百円を払って失敗したと思った。寺をまわるのに金はかからないもの(いったい、何を根拠に?)だと思いこみ、たったの千二百円程度しか持っていなかった。地蔵院は観光客がおらず、竹林に囲まれた小さな寺は時を越えたように静かだった。竹林から射す光の効果で、歩きながら眺めている竹が波打つように揺れていた。


 拝観は十五分ほどで終わった。どうもしっくりこなかった。どうやら期待しすぎたようだ。入り口に戻り、赤い自転車に乗って走りだすわたしのそばでは、寺の人間が緑色のドライヤーのような機械を持ち、地に落ちた紅葉の葉を舞いあがらせ、一ヶ所に集めていた。


 苔寺は予約制で、鈴虫寺は拝観料が五百円だった。銀行のキャッシュカードを宿へ置いてきたのを後悔した。わたしは財布を持っておらず、必要以上の金を持たない主義だった。どちらの寺も入り口を見るだけで、すぐに移動した。


 居場所を確認するために道のわきでマップを広げていると、自転車に乗った畑仕事が似合いそうな小男に話しかけられた。わたしは「つぎは松尾大社を見に行こうと思ってます」とこたえると、近道を教えてくれた。わたしはついでに「松尾大社は無料ですか?」と尋ねると、男は素朴な笑顔で、「お金はかからないよ」とこたえた。わたしは頭をわずかに下げて礼を言い、教えてもらった小道へ進んだ。


 茶店を眺めながら走っていると、店先に立っていた小柄な中年女性と視線が合い、笑顔であいさつをかわした。見知らぬ人と何気ないあいさつ、いつ以来だろう?


 月読神社で足を止めてから、松尾大社へ着いた。一杯ぐらいは飲めるかもと、酒の資料館へ期待して入ったが、酒造りの工程の資料が展示されているだけだった。拝殿に巨大な絵馬が取り付けられていて、楼門付近では地元の小学生らしき子供達が、いたるところで尻を地につけてスケッチをしていた。わたしは庭園を気にもとめず、自転車へ戻り、マップをみて北へ進んだ。


 民家ばかりから旅館や茶店のある町並みへ変わり、すぐに渡月橋へたどり着いた。自転車を嵐山公園の砂利道に停めて、渡月橋を歩いた。はじめて見る嵐山の景観はもちろんきれいだったが、上野橋からの眺めほど心をゆさぶるものはなかった。橋の両端は人でごった返し、わたしは一方通行の歩道を人々の遅い流れに従って歩いた。どこを見てもカメラを顔の前にかざした人ばかりで、狭い歩道の障害物となっていた。落ちついて橋の上から景色を眺めることができず、わたしは急ぐように橋を渡ったが、交差点も人であふれていた。わたしはそのまま真っすぐに歩いて天龍寺へ向かった。


 天龍寺も人の流れがつづいていた。さまざまな人種の観光客が入り交じり、団体客は境内の道を横に広がったり、一つの塊のようになったりして、群れを成してのろのろと歩いていた。聞き慣れない言葉を話す蟹股(がにまた)歩きの団体もいれば、背中の曲がった中年の男女の団体もいた。点々とする紅色の楓(かえで)の木は暗闇を照らす灯りのようで、そのまわりを夏の虫のように人間がところどころ集まっていた。デジタルカメラを持っていたが、わたしは葉を撮る気がしなかった。むしろ、木に群がる人間を撮りたくなった。わたしは庭園に目もくれず(持ち合わせがない)、境内を抜けて嵐山公園へ向かった。


 川ぞいの道を渡月橋へ向かって歩いていると、細い車輪に光がまぶしく反射した、黒塗りの人力車が数台待機していた。手ぬぐいを頭に巻きつけ、足袋(たび)を履いたあさ黒い顔の若い男が、うれしそうな笑顔を浮かべて行き交う人々にあいさつをしていた。人力車の仕事がわたしにはとても出来ないと思った。


 橋を渡るあいだに嵐山公園を眺めると、たくさんの人がぽつぽつと見えた。川岸には男女や家族が何組も座り、立ったままカメラをのぞく人もいれば、川にむけて石を投げる子供もいた。灰色の砂利には屋台が並び、ベンチに座って食事している人がいれば、小さい子供の動きをビデオカメラで撮影している若い夫婦がいた。


 わたしはふと、マップに載っていた嵐山モンキーパークを思いだした。嵐山公園は小さな人々がうごめき、まるでモンキーパークを見ているような気がした。しかし、猿は一匹もおらず、いるのは人間だった。モンキーパークではなくてヒューマンパークだと思った。パーク(公園)という言葉の意味をはじめて理解したような気がした。


 時刻は十二時前だったが、おなかがすいていたので食事をとることにした。公園のベンチに座り、うぐいす色の手さげバッグからコンビニで買ったツナおにぎりを取り出した。真ん中から封をあけ、海苔が切れないように慎重にビニールをはがしてからひと噛みした。


 空は青く、大きな白い雲が浮いていた。太陽がすがたを現していたが、陽射しは朝に比べるとにごっているように思えた。ファーのついた紺色のコートを脱いで、ペットボトルの茶を口にした。わたしはヒューマンパークを思い出し、今は自分もその公園内の一景色だと考えると、妙におかしかった。


 目の前を通る人々の大半が幸せそうな笑顔を浮かべていた。景色全体を感じるように一人で歩いている若い女性もいたが、ほとんどの人は誰かしらと行動していた。わたしは口を動かしながら人々を見つづけた。


 働いていた当時のことを思い出した。高校の友人達と運送会社を興(おこ)し、会社を大きくすることに一生懸命になっていた当時のことをだった。わたしは会社を辞めた理由を改めて考えた。それはなんでだったのだろうか? この疑問は会社を辞めてからも何十回と思い浮かんだ。


 わたしは高校の友人が大好きだった。友人達と一緒に若い時代を過ごし、何かを成し遂げようとがんばるのは、つらいことがあったにしても、非常に幸せなことだと思っていた。亜紀子と結婚して一年が経ち、智也が生まれて間もない頃だったので、時間のほとんどを仕事に費やした。朝から夜遅くまで働き、仕事を考えない日は一日もなかった。父親として家族を養っていくという責任感と、青春を共にした友人達と働くことがうまくかみ合い、今までにないほど充実した日々を過ごしていた。それなのに、なぜ?


 わたしは手さげバッグから昆布のおにぎりをとり出した。


 仕事は順調に進み、仲間も増え、会社は着実に大きくなっていった。立ちあげた時期からいたメンバーは、体から頭を使う仕事に変わっていった。仕事が増え、仲間が加わったことで多くの意見が飛び交い、会社は枝葉を伸ばすように細分化されていった。しだいに社内ルールが生まれ、毎週会議が開かれるようになり、しぜんと統制がとられるようになった。しかし、友人同士で運営されていた会社だった。


 二年もすると会社の成長は勢いがなくなり、安定した活動に姿を変えていた。わたしはすっかり会社という機械を動かす部品になっていた。会社を推進させたり、構造を変化させる部品ではなく、ただ、その活動を維持するだけの部品になっていた。いや、その部品だったのかもわからない。何の役にも立たないのに、意味もなく組み込まれているだけの部品だったかもしれない。


 わたしは会社をさらに大きくしたかった。収益を多くあげて、家族を安心させ、友人達の収入を増やしたかった。だが友人達から見たら、会社は十分な大きさだった。わたしはそれがわからず、わたしが見ていた会社の大きさがわからなくなってしまった。いつからか、ミーティングでのわたしの発言後は、沈黙した空気が流れることが多くなっていた。


 わたしはしかたなく、部品になることを受け入れた。それから、まるで魂を抜かれてしまったように、仕事に対しての情熱は消え失せてしまった。それまでは月に二日ほどしか休みをとっていなかったのが、週休二日と労働時間の短縮を要求していた。友人達が残業して帰ってくるのを事務所で待つことはなくなり、定時になったらそそくさと帰宅するようになった。積極的だった会議での発言は、自分の要求以外控えるようになった。会社内での気がついた事にも口を開かないで、一分でも早く会議が終わるのを望んだ。


 友人達の純粋な心は好きだったが、語彙(ごい)の乏しい雑談が前から好きではなかった。本人のいない所でその人の事を卑下にする会話や、話している最中に口をはさみ、あげあしをとるのが嫌だった。知ったかぶりする適当な姿を見るのも嫌だった。会話に参加して、自分もその一員になって笑うのが嫌だった。そんな習性が身につくのを怖れ、徹底的に雑談を避けるようにした。朝の出勤時、昼食時、仕事後、わたしは常に一人を求めた。


 仕事も怠(なま)けるようになった。営業に出かけては、コンビニをまわって立ち読みばかりしていた。広告制作の資料集めと言って都内へ行き、自分の気になる店を見てまわった。事務所へ戻る時間が遅くなると言って、友人達と会わない口実を作った。わたしは友人達が好きだった。だが、一緒に働く友人達の行動にあらを探しては侮蔑(ぶべつ)していた。心の中で友人達を非難し、無関心を装っていた。


 おもわずはっとなった。おにぎりはすでに食べ終わり、右手でしきりに顎(あご)をさすっていた。携帯電話で時刻を確認して腰をあげた。わたしは目の前にいる人々を眺めた。笑いながらふざけあっている数人の若い男女が理解できなかった。

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