文書ファイル

酒井小言

第1話

   メール本文


 亜紀子、わたしはメールを送る理由をおまえに説明する必要がある。なぜならおまえは、「あの人は一人で京都へ行ったのに、いったい何をしているの?」とでも思い、混乱する可能性があるからだ。なにしろ、旅行へ行った者からデータファイルが送られてくるのだ。だが、すこし考えてみれば理解できることだ。旅行に行った者から送られてくる物といったら、土産(みやげ)物か、土産話ぐらいだろう。


 わたしがなぜこんな事をするのかというのは、朝から夜遅くまで働いているおまえに、旅行の気分を味わってもらいたいからだ。共に生活しているわたしからしたら、おまえはとても旅行に行く機会がないように見えた。それに今回の京都の旅行でも、一緒に行きたいとは一切言わず、まるで興味がなさそうだった。そればかりか、働きもせず家に居るわたしが旅行へ行こうとするのを、大声で遠慮なく非難した。おまえが罵声(ばせい)をあげる理由はよくわかっていたから、わたしはそのことについて反論はしなかった。だが、京都へ行くことは譲れなかった。一度でいいから京都の紅葉を観たかったのだ。


 亜紀子、おまえは腹の中にわだかまりを残したまま、わたしの旅行を許してくれた。たとえ出発の直前に一言も口を利いてくれなくても、おまえの寛大な心には感謝している。


 そんなおまえにわたしができる事といったら、今回の京都旅行をぞんぶんに楽しむことだろう。もしかしたら、働いているおまえは、わたしが楽しく観光することを妬(ねた)むかもしれない。しかしそれを恐れて旅行をつまらなくする必要はない。うしろめたさもないことはないが、それよりも楽しむことがなによりだからだ。それに、旅行が終わればわたしは職を探さなければならない。それが今回の旅行を許してくれたおまえとの約束だからな。


 まあ、そんなところだ。だから、添付された文書ファイルには、わたしの旅行とわたし自身がつまっていると思ってくれ。最近は会話することが少なくなったわたしたち夫婦だ、文書ファイルを読んで今のわたしをより理解してくれることを願う。


 亜紀子、おまえは時間の無駄だと思って最初は読もうとしないだろう。わたしはそれでもかまわない。それでも、おまえはきっと読んでくれるだろう。

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