邂逅編3 胡蝶の夢④


 例えば蝶の羽ばたき程の小さな揺れがきっかけで、色々な事象が重なり、最終的には竜巻を巻き起こす可能性があるかもしれない。確率的にはかなり低いだろう。でも、絶対にないとは否定できない。

 近年では、過去や未来の可能性についての説明をする時にもこの例が挙げられる事がある。

 ほんの些細な事がきっかけで、未来は大きく変わるかもしれない。様々な偶然が重なり、予想もしなかった未来に繋がる可能性もある。


 よって、僕みたいな一般人でも――平和な日常から一変、突然非日常的な出来事と関わる――なんて可能性もある。

 そして僕は、それに近い体験を既にしてしまっているのだ。


 偶然表西くんと再会した時、僕が感謝を述べなければ――あのまま何事もなく他人同士の関係だったかもしれない。そう思うと、あの時に勇気を出して声をかけた自分を褒めたい。ついでに星座占いにも感謝だ。

 もしも表西くんと仲よくなっていなかったら、銀狼と金虎の闘いの見学だなんて天地がひっくり返っても行かなかっただろう。そうすれば、法也くんとの出会いもなかった。寧ろあの時にタイホスルンジャーのお面を付けていなければ、あそこまで話が盛り上がる事もなかったかもしれない。


「…………」


 そう。だからこれは偶然が重なった先の未来だ。

 偶然、カレーを作る途中で人参を切らしていた事に気付いた。偶然、いつも行くスーパーより少しだけ遠い八百屋に行ってみようと思った。偶然、安い人参が手に入ったので上機嫌で帰路に着いていたら――。


「あ、明亜」

「ん、誰だこいつ」


 偶然、法也くんと――司くんに出会った。




 鋭い眼光を前に、僕は「あ、あの」と口籠る。いざ本人を前にしてみると、やっぱり少し怖い。

 でも彼も、結果的に僕を助けてくれた恩人だ。本人にそんな意思はないだろうけど。

 それに見知った法也くんも居るから、何とかなる気がする。よし。大丈夫だ。行け、夢東明亜。僕は勇気を出して、司くんの鉄黒色の瞳を見上げた。


「中学の卒業式の時。君、表西くんと喧嘩してたよね」

「表西くん? 誰だそれ」


 その発言で、僕は悟った。司くん、表西くんの事を“金虎”としか認識してないみたいだ。でも表西くんも法也くんに言われるまでは、司くんの名前、知らなかったっけ。こういうところは似た者同士なのかもしれない。


「えっと、金虎……」

「まさか、てめぇ……金虎の知り合いか!?」


 いきなり胸倉を掴まれ、僕は「うわっ」と声を上げてしまった。司くんの怒り全開の表情を見て確信する。彼に対して表西くんの発言は地雷みたいだ。


「ご、ごめん! 気に障ったなら、ごめん……僕、君と表西くんの喧嘩で勝手に助けられて……だから勝手に感謝してて……あの時は、ありがとう、ござい、ました……」


 徐々に声を窄ませながら訴えると、司くんはいまいちピンとこない表情のまま僕の顔を睨み付ける。そして「で、できれば、離してくれると、嬉しいなあ……」と呟くと、司くんはチッと舌打ちを零してから大きな手をぱっと離した。よかった。ちゃんとわかってくれたみたいだ。


「ちょっとやめてよー、ボクの友達なんだから」


 僕が呼吸を整えていると、法也くんは普通に司くんに注意していた。法也くんって誰に対しても物怖じしないみたいだ。そういう点も凄い人だなあ。


「でもよ、法也。こいつ……どっかで見た事ある気がすんだよなぁ……」

「そりゃ中学同じなら見た事くらいあるでしょ」

「いや、もっと最近……確か……」


 じっと観察するように僕を見つめる司くんを前に、どうしたらいいか内心で戸惑う。ここまで見つめられると、怖いを通り越して少し照れてしまう。


「最近……金虎…………あ! てめぇやっぱ金虎と一緒に居た変なお面野郎じゃねえか!」

「変なお面じゃないよ! タイホレッド!」


 僕が口を開く前に、法也くんが声を上げていた。確かに法也くんにとっての最重要ポイントはそこなんだろう。ぶれないなあ、と少し感心した。


「って事はやっぱ金虎の仲間じゃねぇか! おい、奴は今どこに居やがる!?」

「今は、家とかだろうけど……」

「じゃあ案内しろ!」

「さすがにそれはちょっと……」


 僕が困り果てながら目線だけで法也くんに助けを求めると、彼は少し考えてから「司、明亜にそんな態度とらない方がいいよ」と何か企むように口元を吊り上げる。


「ボクの魔法はキミには教えられないけど、彼ならキミにも魔法を教えてくれるかもしれないよ」

「ほ、本当か!?」


 そうして司くんは僕に敵意の眼差しから一変、期待の眼差しを向けていた。助けを求めたのは僕自身だけど、話の全貌が全く見えない。すかさず「どういう事?」と法也くんに尋ねると、彼はへらへら笑いながら「前に言ったでしょ。司はボクの事を魔法使いと勘違いしてるって」と小声で答える。確かにそれは聞いたけど、僕には司くんを勘違いさせるような技術はない。別に、騙すつもりもない。


「てめぇも魔法使いって事は――さては金虎はてめぇから魔法を習ってたのか!? だから最後の俺の蹴りにも耐えて――」

「僕は魔法使いじゃないよ。でもあれはたぶん、前に僕が「腹部に雑誌を隠して痛みを軽減させる自衛をしてた」って言ったからなのかも……」


 僕が苦笑いを浮かべていると、司くんは急に僕の肩を掴んだ。慌てる僕を余所に、司くんは顔を伏せ、「……て」と声を震わせる。て――?


「天才か!?」


 こうして僕は、何故か司くんから天才と勘違いされてしまい、一方的に憧れられるようになった。僕は憧れられるような人間じゃないんだけど、と否定しても、司くんは聞き入れようとしない。僕は騙してるみたいで少し心苦しかったけど――司くんと友達になれたから、まあいいかと心の中で自己完結した。



 ◇



 満開に咲き誇る桜を眺めながら、僕は一年間を振り返る。この一年間を漢字二文字で表すならば、激動だ。高校生になって生活環境が変わった事は当然。

 最初は不安だったけど、無事に新しい友達もできた。入学当初はせめて同じクラスで何人か――と目標を立てていたのだが、今現在クラスは勿論、他のクラスの友達だって何人もできた。だから二年生に進級する今、クラス替えに対する不安なんかも全くない。


 しかも、自分でも驚く事に――他校生の友達もできた。寧ろ僕がここまで社交的になれたのは、その他校生の友達がきっかけなのかもしれない。

 この他校生の友達は、僕とは全く違う価値観を持った人たちで、話す度に“こういう考え方もあるんだ”と刺激を受けるのも楽しい。


「今日はどんな話ができるんだろう」


 久々に会う友達を前に、僕は期待で胸を膨らませる。進級試験や課題提出で互いに忙しかったから、会うのは久しぶりだ。今日はどんな面白い話を聞かせてくれるんだろう。

 もしかしたら、今日をきっかけに、また偶然が重なって――新しい友達なんかできちゃうかもしれないな。春は出会いや別れの季節なんて言うし。


「明亜! これ見て! す、凄いから!」

「あ、法也くん。久しぶ――」


 すっかり聞き慣れた法也くんの声を聞き、僕は振り返る。振り返った先で、思わず声を失った。


「じゃーん。どう?」

「…………えっ」


 久々に会った法也くんは、特に何も変わったところはない。問題は、隣で笑う彼――否、彼女――ど、どう表現したらいいのだろう。

 周りから見たら、駅構内の改札前広場に突然現れたスーパーモデル、くらいの印象だろうか。あまりの綺麗さ、というか眩しさというか。華々しいオーラを前に、特に男性の視線が集まっている感じだった。目を輝かせる法也くんなんて見えなくなるくらいの存在感だ。

 思わず圧巻された僕は、慎重に言葉を選び――漸く口を開く。


「えっと、イメチェン? 凄く似合ってると、思うよ」

「……あんたは騙されないんだ。つまんない」


 春は出会いと別れの季節。僕の前からかっこいい表西くんが消え、綺麗な京羅さんが現れた。




 銀狼と金虎の闘い以降、表西くんがあまり喧嘩をしている現場を目撃しなくなった。本人的にも売られなきゃ買わない精神らしいし、僕的にも怪我する可能性も減るからそれでいいと思っていた。

 でも、喧嘩がない事で表西くんのストレス発散の行き場が失われてしまったようだ。そこで新たな息抜きを探している最中、法也くんが軽い気持ちで提案してみたらしい。他人を演じてみたらどうか、と。


「前にコスプレの話したら少し興味ありそうな反応だったでしょ? だからどうかなーって思って軽い気持ちで提案してみたら、凄い完成度だからボクもびっくりだよ」

「実際、うちのチビたちもアタシを父親じゃなくて母親代わりと思って生活しててね。今までも普通に「お兄ちゃん、お母さんみたい!」って言われてたの。だから別に抵抗とかなかったわ」

「…………」

「それに、何も知らない男共の騙されてる顔! あれ最高に面白いわ」


 圧巻される僕の目をじっと見つめながら、表西くんは「……でも、あんたの気分を害しちゃうっていうならやめるから」と溜息を零す。それに対し、僕は慌てて否定した。


「そうじゃないよ! 表西くんのメイク? は勿論、演技力も凄いなあって思って! 僕は友達だからわかったけど、周りは絶対にモデルとか思ってる筈だよ」

「煽てても何も出ないわよ」

「そ、それと、正直に言うと……表西くん綺麗だから話すの緊張する……っ!」

「やっぱ訂正。後でアイスでも買ってあげるわ」


 今更、人を見かけで判断したりしない。そういうのはやめようと、心に誓った。だから表西くんがどんな姿をしていても関係ないんだ。僕と表西くんで友達である事に変わりはない。


 そこに変わりはないけど――突然綺麗な女の人になられたら、さすがに照れる。高校生になって女の子の友達も少しできたけど、未だに面と向かって話すのは慣れないから。


「あ、それと」


 表西くんは思い出したように口を開き、まるで雑誌の中のモデルみたいに綺麗な表情でウインクした。


「表西くん、じゃなくて京羅でよろしく頼むわ。明亜」


 名前で呼ばれた事が何だかとても嬉しくて、僕は表西くん――じゃなくて京羅に対して「うん!」と元気よく返事をしてしまった。卒業式の時の返事を軽く越えた気がする。


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