邂逅編1 カイリの冒険②



 暫くしてからやっとの思いで立ち上がり、ふらふらとした足取りで近くの広場のベンチに腰を下ろす。深呼吸を数回繰り返していると、先程の少女が「はい!」と言ってカイリに水を差し出した。後から金銭を要求されたらどうしようかと思ったが、今の身体は水を欲している。カイリは素直に手を伸ばし、少女からありがたく水を受け取った。


「……悪い」

「ううん、これくらい当然だよ。さっき助けてもらったから!」


 カイリ自身は不服に思っていたが、結果的に少女を助ける事になった。そして少女は、助けて貰えた事を純粋に嬉しく感じていた。

 勝敗なんて関係ない。誰かの為に立ち向かう姿は、とてもかっこよく思える。


「助けてくれてありがとう!」


 少女に手を握られ、心からの笑顔を向けられ、カイリは少し困惑していた。こんな風に誰かに感謝される事は始めてだ。今日は初めての経験ばかりだな、とカイリは頭の中で考えていたのだが――。


「……あれ?」


 何故だろうか。少女に手を握られた瞬間、身体の倦怠感が薄れた気がする。水を飲んだだけにしては呼吸も楽になった感じだ。

 カイリが内心で驚く傍ら、少女も何故か同じように目を丸くさせている。少女の方は少女の方で、カイリの手に触れた事で彼の正体を察したからだ。


「あ、あなたが――運命の人だったんだね!」

「は?」


 宝石のような青緑色の瞳を輝かせながらそんな事を述べる少女を前に、カイリは言葉を失う。

 このような展開も、ゲームで見た事がある。


「一緒にきて!」

「えっ、ちょ――おい!」


 カイリの制止を無視しながら、少女はそのまま走り出す。強制的に引っ張られているカイリは、縺れそうになる足を注視しながら、少女に続く事になってしまった。




 町から少し離れた、穏やかな草原が続く地帯。そこに辿り着いた頃、少女は漸く足を止めた。カイリは息も絶え絶えで「お、俺……まじで、体力……ないんだって……」と主張し、必死に呼吸を整えている。

 しかし冷静に考えてみれば――カイリにはここまで走れるような体力はない筈だ。それなのに、今は何故か普通に走る事ができた。


 ――何で……。


 普段と違う事を考えれば、この少女の存在しかない。まさかこの少女には他人を癒やす僧侶のような力でもあるのだろうかと思ったが、「流石にゲームじゃあるまいし」とカイリは自分の憶測を否定した。そんな風に考えているカイリを余所に、少女は微笑む。


「ずっと、あなたを捜してたの」

「俺、あんたの事は知らないけど――もしかして病院で会ったっけ?」

「ううん、ソラもあなたに会うのは初めての筈だよ。精霊さん」

「……えっ」


 まさか少女の口から“精霊”という言葉が出るとは予想もしなかったカイリは、暫く開いた口が塞がらなかった。やっとの思いで「何で」と疑問を呟くと、少女は「それはね」と言い、近くの木に優しく触れる。


「ソラも、同じだから」


 その瞬間――少女が触れた木がぐんぐんと成長し、あっという間に立派な大樹に成長していた。いとも簡単に行われた奇跡的な超現象を前に、カイリは「マジかよ……」と驚嘆の声を漏らす。


 そういえば以前、五大属性がどうとか水天が言っていたかもしれない。確か他には、火や雷、風――そして地の存在があるとか何とか。その情報から察するに、目の前の少女は――。


「ソラはね、地祇の精霊だよ」


 立派な大樹を背景に、少女――ソラは微笑みかける。花が咲いたような笑顔を見せる彼女――年端もいかない少女が、自分と同じ精霊という存在だとは到底思えず。しかし超常的な力を見せられては疑う訳にもいかず。

 カイリは冷や汗を流しながら「まさか、こんなちびっ子が……」と困惑の色を見せていた。


「むむっ、ソラはちびっ子じゃないよ!」

「いや、どこをどう見てもちびっ子だろ」

「ちびっ子っていう方がちびっ子だよ!」

「いや、それは違うだろ」


 暫く不毛な争いを続けた後、カイリは「ちょっと、喋りすぎた……」とその場に座り込む。するとソラは心配そうな表情を浮かべながら「身体、どこか悪いの……?」と不安そうに問いかけた。カイリは何と説明するか迷ったが、散々弱い姿を見せてしまった手前、別に隠す必要もないかと思い口を開く。


「持病で、ずっと病院から出れなかった。で、死にかけの時に水天と契約。俺の代償はその持病と共に生きる事。だからまあ、これで死ぬ事はない……らしいけど」


 カイリは水を飲みながら「暫く契約場所で生きてたが、いよいよ限界感じて。初めてこういう町にきてみたら、まさか自分以外の精霊と会うなんてさ」と簡単に経緯を説明した。するとソラは、少しだけ戸惑った後に「ソラはね」と口を開く。


「精霊が誕生した事を察知したから、捜しに行くようにって頼まれて――ここにきたんだよ」

「誰が?」

「シンが」

「シンって誰?」

「神様!」

「神様……?」


 言葉の意味が理解できず、カイリは復唱する。神。そんなの想像上の存在だ。居る筈がない。万が一に居るとしても、自分のような存在が関われる筈は――。


「呼んだか?」


 静寂を切り裂くように、軽快な声が響く。いつの間にか、大樹の上には夕焼けのような髪色をした青年が座っていた。最初からそこに居たかのようにカイリとソラを見下ろしながら、まるで長年の親友のような雰囲気で会話に溶け込んでいる。


「あんた、一体いつからそこに――」

「さっきだよ。呼ばれた気がしたからな。カイリ」

「ちょっと待て、名乗った覚えはない」

「それくらい、こうやって面と向かって話せばわかるさ」


 そのまま青年は「私はシン。俗っぽく言うとこの世界の神だ」と名乗り、カイリに向かって丁重に頭を下げる。突然自称神から頭を下げられ、カイリは更に困惑した。目の前の青年が神だなんて到底信じられないし、万が一、仮にも神だとして――自分なんかに頭を下げる理由も不可解だ。


「そこまで自分を卑下する必要はない。お前はこの世界の根幹を担う精霊。私の次に敬われるべき偉大な存在だぞ」

「って言われても……それに俺、声に出してた覚えはないんだけど?」

「混乱するのも無理はない。お前は今日という日に様々な体験をした。外の世界を知り、己の体力を知り、他の精霊を知った。そして、神という存在も。一日でここまでの体験ができるなんて、凄く貴重だぞ」


 やけに存在感のある青年――シンの言葉を聞きながら、カイリは様々な思考回路を巡らせていた。必死に理解しようと努力した。努力したのだが――どうしても頭が追い付いてくれそうにない。そしてカイリは、考える事を放棄した。


「仮にあんたが神様って奴だとしよう。何で俺なんかに用がある?」

「先程も言った通り、精霊とはこの世界の根幹を担う存在。生きているという事実が重要だ」


 その言葉を聞いて、カイリの頭の中には水天から言われた言葉が蘇る。彼もそれに近い言葉を述べていた。


「まあ、つまり私の仲間になって欲しい。私の仲間になれば、リハビリも付き合うし、発作を抑える薬も調達しよう。その力のコントロール法や闘い方も教える。更には生活保障付きでおまけに給料も出ます」

「なっ」


 喉から手が出る程に魅力的な待遇だ。しかし、旨い話には裏がある。それが相場だと昔、人生経験の長い入院仲間に教えられた事があった。その経験を思い出したカイリは、慎重になりながら「でも、何か条件があるんだろ」と訝しむように問いかける。するとシンは「うーん」と何かを考えながら「強いて言うならば」と口を開いた。


「元気に生きろ」


 水天の言葉とシンの言葉が重なる。その言葉に裏は感じられなかった。いつの間にか自分の目の前に居るシンの瞳は真剣で、だけどどこか優しさも含まれていて――何故かはわからないが、心の奥底で「彼ならば大丈夫だろう」という確信が生まれる。

 もしかしたら、遠い日に見た父親の目とどこか重なるものがあったのかもしれない。カイリは無意識に、その瞳を信じてみたくなった。


「一つ聞きたい。あんたは本当に神様なのか?」

「真実を言うならば、お前が想像するような全知全能の神という訳ではない。この世界の創造主――管理者――その言葉の方がしっくりくるだろう」


 そしてシンは「神にだって、できない事はある」と苦笑いを浮かべる。その笑顔の裏で何を思っているかはわからないが、カイリはそのもどかしそうな表情を見て、まるで人間みたいだと思えた。


「詳しくは追々説明するが、私はこの世界を保つ為に存在している。カイリにも私の仲間となって、共に世界を支えて欲しい」

「要は世界平和の為に手伝って欲しい――ってとこ?」

「ああ。そう捉えてもらって構わないよ」


 そしてシンはカイリに手を差し伸べ、穏やかに微笑みかけた。

 まるでゲームのような展開だと思いながら、カイリは口の端を持ち上げる。


 ――だけど、もうゲームの中の主人公に俺の人生も託す必要はない。だって俺は今、生きているから。


 水のように澄んだ目を向けながら、カイリは静かにシンの手を取った。


「いいぜ。あんたの下で元気に生きてやる」



 ◇



 ソラが成長させた大樹を登り、太めの枝に腰かけながらカイリは顔を上げる。夕焼けで着飾った町並みは、先程とはまた違った景色だ。美しさの陰でどことなく寂しさも感じられる。高所から見下ろしながら「どれくらい歩けば端から端まで行けるのだろうか」と考えていると、ソラが「ほら、あれだよ」と何かを指し示した。指の先を追うと、遥か前方で水のようなものが広がっている。


「あれがね、海だよ!」

「あれが……海……」


 ソラが指し示した海を食い入るように見つめながら、カイリは「初めてだ」と嬉しそうに目を輝かせて呟いた。

 思い返せば、今日はとても新鮮な一日だった。初めて触れた外の世界。初めて出会った仲間。初めて見た海。カイリにとっては、夢にまで見た世界だ。


「俺がこうして自由に動けるなんて、まだ夢でも見てるみたいだ。今の俺ならどんな事でもできそうって錯覚してる」


 例えば、世界を救う救世主になれたり。悪の組織と闘ったり。そんな風に、まるで――物語の主人公にでもなった気分だ。


「俺、いつか本物の海を見たかったんだ。それがこんなにも簡単に叶うなんて……でもさ、次の目標ができたよ」


 カイリは嬉しそうに笑いながら、新たな夢を語る。


「ただ見るだけじゃなくて、何でも話せるような友達と一緒にさ。砂浜ってのを駆け回ったりしてみたい。体調がよかったら海に入るのもいいかもな。本当にしょっぱいか気になるし……今のところ、これが当分の俺の夢」


 そしてカイリは、期待を込めながら問いかけた。


「なあ、シン。こんな夢みたいな夢、叶うと思うか?」

「ああ。すぐには無理でも、絶対に叶うよ」

「ははっ、神が言うなら絶対だな」


 するとソラはカイリの顔を覗き込み、少しそわそわしながら「ねえ、ソラとも挨拶しようよ!」と手を握る。ぶんぶんと腕を上下に振り、ソラは嬉しそうに微笑んだ。


「ああ。えっと、ちびっ子――じゃなくて――」

「ちびっ子じゃなくて、ソラはソラだよ! よろしくね、カイ!」

「カイ……?」

「ソラはソラでしょ。シン、そしてカイ。ほら、お揃いっぽい!」


 楽しそうにしているソラに対してどうするべきか悩んだが、カイリは「まあ、いっか」と内心で呟き、改めて二人に向き直る。


「暫く迷惑かけるだろうけど、改めてよろしく」


 こうして、水天の精霊――カイリ・アクワレルは、新たな世界へ足を踏み入れた。


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