World Tiny Story

邂逅編1 カイリの冒険①

※WTS1より前の時間軸



「つ、疲れた……」


 カイリ・アクワレルは湖の中を漂っていた。全身の力を抜き、水に身を委ねる。ゆっくり瞳を開ければ、日光の光を浴びて輝く水面がぼやけて見えた。暫く漂えば、次第に呼吸も落ち着きを取り戻す。普通の人間ならば水中で呼吸はできないだろうが、カイリは既に“人間を脱却した存在”になので、水中でも平然と息ができていた。寧ろカイリにとっては、水中が一番落ち着ける場所となっている。


 何も考えずにぼんやりしていると、水中の奥底からカイリにしか聞こえない声が響き渡る。


《無理ないだろ。お前、ずっと寝たきりだったんだから》


 声の指摘通り、カイリはつい最近まで寝たきりの生活を送っていた。生活を送るというよりも、生かされていた――と表現しても過言ではない。幼少からカイリは身体が弱く、病院内から出る事は許されなかった。その病状が悪化してしまい、身体の自由もままならず――じわじわと迫りくる死を待つだけだったのだが――カイリは己の運命を変えるような出会いを果たし、新たな未来を掴み取る。


「生きるってこんなに大変な事だったんだな」


《それに気付けたなら、お前はまた一歩大人に近付いた》


「人間じゃないお前に人生説かれても、いまいち説得力に欠けるけど」


《ま、俺の言葉をどう捉えるかは自由だ。ちなみにお前ももう人間じゃねえからな》


 カイリは「それもそうか」と同意し、徐に「自由、か」と呟く。


 死を待つだけだったカイリの運命を変えたのは、声の主――水天との出会いだった。彼はこの世界の根幹を担う存在のひとり、水天を司る守護精霊。水天の導きによって彼と契約したカイリは、代償を捧げて水天の精霊として生まれ変わった。

 カイリの代償は、持病が治らない事。これによる死の危険はなくなったが、カイリは常にこれと共に生きる事を余儀なくされた。今までずっとこの病を忌み嫌い、何度も解放を願っていたが――それは永遠に変わらないだろう。


 精霊として生まれ変わっても、精神的な自由は一生得られない。ただし、身体的には遥かに自由になった。虚弱体質な事は変わらないし、度々吐血もしてしまうが、こうして自分の意思で自由に動ける事は大きい。普通の人間が当たり前にできる事を、漸くできるようになった。

 時間はかかったし、かなり特異な経験をしているが――やっと普通の人間と同じラインに立てた気がした。今のカイリは“普通”にも“人間”にも当て嵌まらないが。


「人間じゃない、で思い出したけど。精霊に成ったらやらなきゃいけない事とかあるのか?」


《あー、今のところは特にないんじゃねえか? 強いて言うなら、元気に生きろ》


「はあ?」


 すると水天は、説明を放棄するように《俺はそろそろだと思うぜ。そういうのに詳しい奴が接触してくるの》とぶっきら棒に続けた。どうやら彼は説明するのがあまり得意ではないらしい。


《とりあえずリハビリしろ。あと仲間を頼れ》


「仲間?」


《今のお前、超が付く程の虚弱体質。栄養も偏ってる。何もできない。このままひとりで居たら、のたれ死ぬのは時間の問題》


 確かに今のカイリを例えるならば、長期入院から無理矢理逃げ出し、森の中でサバイバル生活をしているような無謀極まりないものだ。普通の人間よりも体力は衰えている。寧ろ皆無に等しい。常に点滴で生かされてきたようなものだから、食べ物もまともに摂取できていない。最近は森の中で採れる果物を食べて凌いでいたが、栄養バランス的にもそろそろ限界だろう。


《死んだらそれで終わりだぜ。お前の夢も叶えられない》


 水天の忠告を聞きながら、カイリは内心で考える。


 ――せっかく死の恐怖から解放されたんだ。このまま無様に死ぬのはごめんだ。


 現に動くだけでも疲れてしまう自分の身体に溜息を零しながら、カイリは「ちょっと頑張って近くの町に行ってみるか……」と決心した。


 そこで新たな出会いが待ち受けているとは、今のカイリは知る由もない。



 ◇



 やっとの思いで近くの町へ辿り着いたカイリは、呆然としていた。開いた口は塞がらないし、だからと言って言葉も出てこない。

 民家なのか店なのか判断はできないが、視界には様々な建物が並んでいた。活気溢れる商店街からは人々の楽しそうな声が響き渡っている。橋から眼下を覗き込んでみれば、澄んだ川の水がキラキラ輝いていた。


「これが、外の世界……」


 病院内で生きていたカイリにとっては、未知の領域だった。テレビの映像や本等で何度か見た事はあったが、当時は実際に見た訳ではなかったので、いまいち現実味を帯びていなかった。しかし、今カイリの目の前に広がる景色は、紛れもない現実である。


「すげえ……何て言うか、すげえしか出てこない……」


 カイリが視界に入るもの全てにいちいち感動しながら歩いていると、彼の身体にトンッと衝撃が走った。普通の人間ならば大した事ない衝撃なのだが、虚弱なカイリにとっては違う。身体がぐらりとよろめき、足が縺れ――普通に倒れ込んでしまった。


「きゃあっ!」

「っ、いってえ……」


 起き上がろうにも、いまいち身体に力が入らない。これはちょっと時間が必要な奴だ。これからは余所見しながら歩くのはやめよう。外の世界は危険がいっぱいだ。


 天を仰ぎながらカイリがそんな風に思っていると、彼の視界にはひとりの少女が映り込む。年齢的には十代前半程度だろうか。青緑色の大きな瞳が印象的な、可愛らしい少女だった。


「ごめんなさい、ぶつかっちゃって……」

「いや、俺も余所見してたし。悪かった」

「あの……大丈夫?」

「ああ。ちょっと大丈夫じゃない」


 少女は心配するように「どうしよう」とうろたえ、徐に周囲の目を気にしている。道端に倒れ込む病院服姿のカイリと隣で座り込む少女は、通行人にとって注目の的だ。少女はあたふたと慌て、何かしようとして迷い、ぶんぶんと首を横に振る。少ししてから「やっぱり見られたら駄目!」と自分に言い聞かせ、カイリの右手を両手で握った。


「よい、しょっ……ってうわぁ!?」


 全身の力を込めてカイリの上体を起こそうとしたのだが――少女は青緑色の目を丸くさせながら驚いていた。小さな自分では大きなカイリの身体を起こせるか自信がなかったのだが、想像以上にカイリの身体が軽かったからだ。寧ろ力を入れ過ぎてしまい、自分が逆側に倒れてしまう結果になった。


「あいてて……」

「悪い、ありがとな。ってかあんたも大丈夫か……?」

「うん、大丈夫! それよりもあなたの方が――って、あああぁ!」


 少女は何かを思い出したのか、大きな声を上げながら「今ちょっと大変なんだった! じゃあね、軽いお兄さん!」と言い残して走り去ってしまった。ひとり残されたカイリは「何だ、あの変なちびっ子」と少し不審に思ったが、「まあ、外の世界は危険と不審と隣り合わせって事で」と自己解決し、再び歩き出す。




 初めて外の世界に触れ、感銘を受けっぱなしのカイリだったが、とある事実に気が付いた。今日は単に外の世界を観光しにきた訳ではない。目的は果物以外の食料の確保だ。できれば野菜系のスープ等が好ましい。しかし、その為には――。


「すっかり忘れてたが……」


 パン屋のディスプレイを食い入るように眺めながら、カイリは盛大な溜息を零した。


「俺、金持ってないじゃん……」


 いくら病院で生活していたカイリでも、その程度の常識ならば理解できているし、道徳感も人並みに持っている。だから盗むという選択肢は初めから頭の中にはなかった。第一、逃げ切る体力なんてないだろうし。


「先立つものは金。そうなると、何とかして稼ぐしかないか」


 でもどのように稼ぐか。片っ端から店を突撃して回っても、すぐに体力が尽きてしまうだろう。今のカイリは、ゲームで例えるならば歩くだけで体力のゲージが削られてしまう状態だ。しかも所持している回復アイテムは、森で採ったリンゴ一つだけ。


 カイリは壁際に寄りかかり、へなへなと力なく座り込む。改めて考えてみて――運よく雇って貰える場所を見つけたとしても、きちんと仕事をこなせるかも怪しい。力仕事なんて以ての外だ。寧ろ今まで病院から出た事がなかった自分にできる仕事なんてあるのだろうか。

 ひとりでは何もできない自分の無力さと、今までは護られていた事を実感させられた。しかし、ここで諦める訳にはいかない。


「考えなきゃ。今の自分にできる事」


 昔よりはできる事が増えた。代償があるものの、こうして自由に出歩けるようになったし、自分の意思だって主張できる。それにまだ試行錯誤中ではあるが、水を操る事もできる。


 そんな事を必死に考えていると、少年の嬉しそうな声が耳に入ってきた。声に釣られてカイリがふと顔を上げると、視界には楽しそうにはしゃぐ少年が映る。手に持った何かを大事そうに抱えながら「早く帰ろうよ!」と主張し、両親と思われる大人を急かしていた。


「あっ、あれって確か――」


 まだ手足が自由に動かせる頃にカイリも熱中していたゲーム――の新作のようだった。カイリは「新作出てたのか」と感動し、当時の冒険の記録を思い出す。

 今の自分のように町を探索し、物語を進める為に様々な町人に話しかけまくった。通行人、店員、時には町長――旅人――。


「旅人…………はっ!?」


 そしてカイリは閃いた。あの時の旅人は何と言っていただろうか。自分は楽器を演奏しながら世界を旅している、と言っていた。カイリ自身、楽器はできない。でも、“芸と思われる技”を披露する事はできるだろう。これで少しでも稼ぐ事ができれば――。


「水場の近く……最初に通った橋の上辺りなら!」


 希望を胸に立ち上がり、再びカイリは歩き出す。歩き出す――筈だったのだが――。


「きゃあっ」

「うぐっ!?」


 認識外からの衝撃により、カイリの身体はぐらりと傾く。この感覚は、つい最近経験した事がある。そう、あの奇妙な少女にぶつかった時だ。再び地面に身を沈める結果となったカイリは、蒼い顔をしながら「お、おい……」と口を開く。予想通り、彼の視界にはあの時と同じ少女の慌てる顔が飛び込んだ。


「あっ、あの時の軽いお兄さん!」


 カイリは内心で「その呼び方はどうなんだ」と不服に思っていたのだが、無駄口を叩く余裕はなかったので閉口したままだった。そんな事よりも、今は上体を起こす方に専念した方がいい。いよいよ本格的に危なくなってきたと自覚したカイリは、少女の手を借りながらゆっくり立ち上がった。


「あ、あの……またぶつかっちゃって、ごめんなさい。今ね、ちょっと急いでて……」


 少女が申し訳なさそうに訴えていると、前方から「やっと追い付いたぜ、ガキ」「ちょこまか逃げやがって」と言いながら歩み寄る、いかにも柄の悪そうな男が一人、二人――三人も。カイリは凄まじく嫌な予感を覚えた。

 このような展開、ゲームで見た事がある。


「一応聞くけど、何なんだあれ」

「あの顔の怖いお兄さんたちにもぶつかっちゃって……でも謝ったんだよ! ごめんなさい、って……ちゃんと謝ったもん!」


 少女が涙目になりながら必死に訴える様子を見て、カイリはいよいよ後が引けなくなった。

 このまま少女を引き渡すのは、流石に後味が悪い。自分の正義感が許さない。それに通行人の目も痛いし。でも自分の身体も痛い。体力皆無の自分が、本当にこの状況を切り抜ける事ができるのだろうか。ちなみに逃げる選択肢はない。というより、走れるような体力は最初からない。


 様々な思考が巡り、どうしようかと悩み、最終的にカイリは考える事を放棄した。

 きっと何とかなる。何故なら今の自分は、あの時やったゲームの主人公のような状況だからだ。


 ――それに今の俺には、あの主人公みたいな“必殺技”もある!


「おい、おっさん」


 カイリの挑戦的な声に、柄の悪い男たちは「ああ? 何だこのもやし男」と蔑む。そしてカイリはゆっくり息を吸い込み、ゆっくり吐き出し――大きめの声で叫んだ。


「このちびっ子だって謝ったらしいじゃん! いい加減許してやれよ、おっさん! いい歳した大人が、みっともな……い……げほっ、ごほっ!」


 結果――自分が血を吐く事になってしまった。息が苦しくなり、呼吸が乱れる。迫り上がる鉄の味に耐え切れず、カイリは咳と共に鮮血を吐き出した。急に血を吐きながら膝を付いたカイリを見た少女は酷く混乱し、泣きそうな顔で「だ、大丈夫!? 軽いお兄さん、しっかりして!」と必死に訴える。通行人たちも心配そうに彼等に駆け寄り、顔面蒼白のカイリに対して声をかけ続けていた。


 一方、取り残された柄の悪い男たちは言葉を失いその場に立ち尽くす。酷く苦しむカイリを見て、通行人たちから刺さるような視線を浴び――急激に居心地が悪くなってしまった。

 そして彼等は互いに顔を見合わせた後、焦ったような顔をしながら「こいつが勝手に倒れただけだぞ……」「お、俺たちは何もしてねえからな!」と言い残し、逃げるようにその場から立ち去ってしまった。


 ――何て言うか……すっげえかっこ悪い勝ち方……。


 男たちの捨て台詞を聞き、自己をそんな風に評価しながら、カイリは必死に呼吸を落ち着かせていた。


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