邂逅編2 スティール成長日記②



 翌日、三人は再び顔を合わせた。アキュラスとディアガルドは、スティールを育てる事を命じられている。だから主に呼び出されて緊急の指令を受けない限り、残りの時間はスティールに宛てる事は必然だ。顔を合わせるのは何の変哲もない。

 しかし昨日の一件もあり、どこか気まずい空気が流れていた。


 ――アキュラス、何か喋れ。


 ――てめえが行け、糞ガキ。


「僕はあなたたちに期待していましたが、期待しない事にします」

「は?」


 いきなりの罵倒とも取れるディアガルドの態度に、アキュラスは怒りの色を浮かべる。スティールはいまいち理解できなかったので、不思議そうに首を傾げていた。


「僕がスティールに強要したのは、戦術書です。これを読む事で、戦略の幅を広げて欲しかった。どんな状況でも対応できるようになって欲しかった」


 続けてアキュラスに向き直ったディアガルドは、真剣な表情で「戦闘馬鹿のあなたならわかるでしょう。いかに相手の弱点を突くか。どうやって隙を突くか。それは戦況によって異なる事を」と告げる。


 アキュラスはいちいち相手の行動を予測したりするような闘い方はしない傾向にあるが、確かに相手を制するには弱点を突くのが効率的というのは同意できた。ディアガルドの言葉の意味は、どうにか理解できている。しかし戦闘馬鹿と貶された気分も拭いきれない。


「あなたは戦闘においても日常においても、頭で考えない。よって論外として――」

「おい、それ貶してんだろ」

「スティールも興味がなさそう。あなたに論破されたのは非常に腹立たしいですが、興味がない事柄を頭に叩き込むのは、常人には時間がかかるでしょう。非効率的です」

「てめえ完全に貶してんんだろ」

「こうなれば、僕が二人の頭脳になった方が効率的だ」


 その言葉を聞いたアキュラスは「……ん?」と固まり、スティールは「本の勉強はおしまいって事?」と嬉しそうに問いかけた。ディアガルドは「ええ。ですがスティールに合いそうな本を見つけてきましたよ」と笑い、今までとは雰囲気の違う表紙をした本を差し出す。


「これは、文字と一緒に絵も付いているんです。状況も解り易いし、感情移入もし易い筈ですよ」

「な、何これ……凄い! かっこいいし面白い!」


 新しい玩具を与えられた子供のように、スティールは目を輝かせる。スティールにとってそれは新世界であり、楽しい本が存在するという新たな価値観が生まれた瞬間だった。


「本によっては、戦術の参考になるものだってあるでしょう。多少偏りますが、言葉の勉強にもなります」

「ねえディア、この脳筋野郎ってどういう意味?」


 早速効果を見せている様子を見て満足気に口の端を持ち上げながら、ディアガルドは「このような男という意味です」とアキュラスを指さして手短に説明する。そんな風に貶されている事も耳に入らず、暫く固まっていたアキュラスだったが、やっとの思いで「ってか、さっきのどういう事だ!?」と訴える。


「戦況は異なるとか、対応しろとか、頭脳になるとか! 意味わかんねえ!」

「おや、脳筋野郎の割には意外に記憶力がありますね」

「てめえ!」


 するとディアガルドは悪戯を企てる少年のような笑みを浮かべ、アキュラスに対して提案した。ちなみにスティールは未だに、己の価値観を変えた本――漫画本に夢中になっている。


「だったら、試してみます?」




 △月▽日

 漫画本によってスティールの語彙及び知識の幅が広がる。その影響からか、自身の風光の力にも興味を示すようになる。



 ◇



 主に対して「スティールの育成は順調。戦闘訓練に入る為、仮想の敵が欲しい」と提案したディアガルドは、翌日にアキュラスとスティールを連れて廃村へと足を踏み入れた。ボロボロに崩れた家々を通り抜け、荒れ果てた道を歩く。その廃村の中心部には、複雑な模様の魔法陣が黄緑色に輝いていた。そこから放出される魔力によって、近くの森に住む動物たちが獰猛化し、魔獣となってしまっている。久々に現れた餌を見つけた魔獣たちは鋭い眼光をギラギラと光らせ、あっと言う間に三人を取り囲んでしまった。


「わあ、こういうじょ、じょう……状況! って漫画で読んだよ!」

「今回の仕事はこれの殲滅って訳かよ」

「…………」

「確か大きい攻撃で、一撃で倒しちゃうんだ」

「こんな奴等、俺の炎で焼き尽くしてやる」


 今にも飛び出しそうなアキュラスと、目を輝かせるスティールを横目に、今まで黙っていたディアガルドは「わかりました」と静かに口を開く。彼には何か考えがあるようだった。


「まずは自由にやってみてください」

「言われなくともなぁッ!」


 そう叫びながら真っ先に飛び出したのはアキュラスだ。魔獣並みに血を滾らせた彼は、膨大な魔力と共に掌で炎を握る。それを力任せに投げると、魔獣は瞬く間に消し炭に――。


「……なっ」

「グオオォォオ!」


 消し炭にはならなかった。炎に包まれても動じる事なく、アキュラスに襲いかかる。鋭利な牙を見せつけながら突進する魔獣を避け、アキュラスは「何だ、こいつ等!」と少し動揺するように叫んだ。

 一方のスティールも、自分に襲いかかる魔獣たちを避けながら「どうすればいいの、これ!」とアキュラスかディアガルドに対して指示を求める。


「火炎の精霊魔法でも効果なし、スティールに至っては精霊魔法を発動する隙がない。この状況、僕ならどうにかできますよ」

「って事は、てめえの雷なら効くって事か!?」

「違います。僕は何もしません」


 するとディアガルドはにこりと微笑み、再度口を開いた。


「僕が動かずとも、この状況はあなたたち二人で解決できます」


 全てを見透かしたような目で、ディアガルドは獰猛な魔獣を見据える。ディアガルドは既に、数少ない情報から最適解を導き出していたのだ。


「結論だけ言います。この魔獣はスティールを優先して狙っている。同時にスティールしか倒せない」


 動物たちが魔獣となった原因は、中央で輝く魔法陣だ。そこから発せられるのは、恐らく風光の魔力だ。

 今回はスティールの戦闘訓練という名目。アキュラスの精霊魔法も効果なし。魔獣もアキュラスよりはスティールを狙いがち。

 つまりこの状況は、スティールが何とかするしかないのだ。


「って事は、俺がこいつの護ってやれって事かよッ!?」

「ええ。その間にスティールは精霊魔法を発動。きっと練習した通りにやれば大丈夫ですよ」


 そのまま追い打ちをかけるように、ディアガルドは「丸腰のあなたは、スティールに「だったら剣を貸せ」と言うでしょうが、やめた方がいいですよ。その炎、制御し切れていないようですから。戦闘が終わる頃には大切な剣が消し炭になります」と捲し立てた。今正にスティールの剣を借りようとしていたアキュラスは、ピタリと足と手を止める。


「……貸せ」

「絶対やだ」

「燃やさねえかもしれねえだろ」

「アキュラスよりディアの方が正しいもん」


 真っ向から否定したスティールは、そのまま魔力を集中させながら精霊魔法の発動態勢に入ってしまった。

 アキュラスは盛大に悪態を吐き、襲いかかる魔獣を華麗に殴り飛ばす。背後から狙ってきた魔獣は後ろ蹴りで動きを止め、力任せに首をねじ切る。即座に牙を引き抜き、懐に入り込む寸前で魔獣の目をそれで突き刺した。


「ギャアアアアッ」

「さっさとしろ糞ガキ!」

「ちょっと待って。かっこいい詠唱が決まらない」

「んなもん後にしろ!」


 アキュラスが怒り散らしながら魔獣を殴り飛ばす横で、スティールが「風光よ。我が契約の下、力を示せ」と口を動かす。まるで仲の悪い兄弟のようだと思いながら、ディアガルドは二人の初共闘を笑いながら見守っていた。


「スペシャルハイパースティールアタック!」


 スティールの風光系精霊魔法が発動すると同時、魔獣たちは慟哭を上げる間もなくバラバラに崩れ落ちた。膨大な魔力と共に、黄緑色の光が周囲を包み込む。その光が消える頃には、魔獣の原因となっていた魔法陣も一緒に消えていた。


「ってか、何だよその詠唱!」




 △月☆日

 戦闘訓練も成功。精霊魔法も難なくこなせているので、スティールは魔力の扱いに長けている可能性あり。しかしネーミングセンスはどうしようもない。



 ◇



 戦闘訓練の成功もあり、スティールは主に戦力として認められた。同時に魔力が込められた石が与えられ、スティールは「これは……?」と首を傾げる。


「貴様ならその石と“同調”し、更なる力を扱える筈だ」


 それだけ言い捨てて消えてしまった主に対し、スティールは「これがボーナスって奴かなぁ」と口元を緩めると、アキュラスは「そんな訳ねえだろ」と溜息と共に指摘した。

 恐らく、それでもっと鍛えて働けという意味だ。あの主は情という言葉と対極の存在なのだから。


「マスターに認められた記念に、僕が最後の授業をしてあげましょう」


 その言葉を聞いた瞬間、スティールは「えっ」とうろたえる。その態度も気にせず、ディアガルドは淡々と続けた。


「僕等のマスターは、この世界の神の半身、しかも悪意の塊です。彼は遠くない未来、世界に喧嘩を売る。そして僕等もそれに従う事になる」


 立場上、人間の善悪や道徳感まで教えるべきか迷った。でもディアガルドはそれを教える事にした。

 そこを教えなければ、洗脳と同じだからだ。自分に都合のいい事だけを叩き込み、強要するようにするのは、それは教育ではない。それこそ洗脳だ。

 そして、それは――。

 脳裏に過ぎった両親だった人間を頭の中から消し去り、ディアガルドは穏やかに続けた。


「嫌だと感じたら今の内です。僕は止めませんよ」

「まさかとは思うが……情が沸いたのかよ」

「僕がそこまで冷徹非道な精霊に見えましたか? それに、僕より情が沸いているのはあなたの方では?」

「んな訳あ――」


 アキュラスの否定を遮るように、緊迫した空気を切り裂くように、スティールは必死に訴える。青緑色の瞳には、うっすらと涙が見えていた。


「僕が! 僕が一番嫌な事はッ! アキュラスやディアと一緒に居れない事だ!」

「「!」」

「アキュラスは大体ムカつくけど、もっと闘いの事教えて欲しい! ディアは時々怖いけど、もっといろんな事教えて欲しい! だから、だから……最後なんて、言わないで……もう家族と離れるのは嫌なんだよ……」


 きっとスティールは本心で言っているし、最後の言葉は無意識だ。でも、そんな事はどうでもよかった。今のアキュラスとディアガルドの耳には、家族という言葉しか頭に入らない。


 家族と死に別れたアキュラス。安寧を喪い、闘いの中で生き、人と関わる事を避け続けていた。主と出会ってからは、しょうがなくスティールやディアガルドと接する事が増えてしまったが――不思議と居心地が悪い感覚はなかった。苛立つ事はそれなりに多かったが。


 家族を捨てたディアガルド。時間を喪い、孤独に生き、人と関わる事を恐れていた。アキュラス同様、最初はしょうがなく二人と共に居たが――いつの間にか、自分の中で彼等の存在は大きくなってしまっていた。そして、自分が必要とされている事に動揺を隠せない。


「僕は、家族の為なら悪にもなれる。家族の為なら、悪とも思わない」


 涙を拭いながら、スティールは強い眼差しで顔を上げた。呆然としながらも、アキュラスは「くくっ、そうかよ……!」と笑みを零し、ディアガルドも「わかりました」と口を開く。


「じゃあ、改めて自己紹介から始めましょう。僕はディアガルド・オラージュ。雷電の精霊。頭脳戦には自信があります」

「アキュラス・フェブリル。火炎の精霊。戦闘以外は興味ねえな」

「僕はスティール。風光の精霊。昔の事は覚えてないけど、まあ昔の事はどうでもいいよね。だって――どんな過去があっても、今の僕は幸せだから」


 奇妙な絆で繋がった二人を見て、幼い頃に過ごした兄と弟の姿が重なった。しかしディアガルドは「彼等とは違う。彼等のようにはならない」と心の内で否定し、とても穏やかに微笑む。


「これから頼りにしてますよ……アキュラス、スティール」


 それと同時にディアガルドはその場に倒れ込み、今まで必死に隠していた秘密を打ち明ける事にした。彼等はもう、信頼できる家族だ。


 ――空想みたいな現実が待っているなんて、僕も予想できませんでしたよ……。


 アキュラスやスティールが慌てる様子を制止するように、ディアガルドは瞳を閉じながら口だけを動かす。ディアガルドから「僕の代償、です」と言われた二人は、はっとしたように目を見開かせていた。


 ――ああ、もっと起きていたいと思うのは……初めてです……。



 両親から愛情を受けずに育てられ、強要され、利用され――絶望したディアガルドは家族を捨てた。

 死ぬ間際、もう一度だけ空想を見てみたくなって雷電と契約した。

 とんでもない主と出会っても、特に何の感情も抱かず雷電の精霊として生きていたが、今は違う。


 スティールが人間らしさを取り戻し、成長していくと同時に――アキュラスやディアガルドも、少しずつだが人間らしさを取り戻していた。



 △月□日

 これからよろしくお願いします。アキュラス。スティール。





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