第145話 世界を壊し仲間を信じる①



「これって……?」


 遅れてやってきた刹那が、目の前に広がる異様な光景を見ながら立ち尽くす。泣きじゃくっているソラシアの肩を抱きながら、スティールは「今朝、太一くんの気配が消えた。まるで、死んだみたいにね」と静かに説明した。


「ソラシアが植物に干渉して確認した結果……氷華ちゃんが太一くんを氷の剣で殺したらしい」

「そんな……未来は変えられなかった……?」


 両手で口元を押さえ、ショックを隠しきれない刹那は力無く両膝を地面に付く。自分を何度も救い、励ましてくれた太一の死――刹那にとってそれは耐え難い真実だった。どうにかして過去に干渉すれば、この真実を捻じ曲げられるかもしれない――何て危険な思想に陥るよりも、刹那はショックによって何も考えられずに呆然としている。


 そんな刹那を横目に、ディアガルドは「答えてください、氷華さん」といつになく真剣な面持ちで尋ねた。太一と一番親しかったカイリは激昂を無理矢理抑えるように押し黙り、アキュラスも敵へ向けるような鋭い眼光で、目の前に佇む容疑者――水無月氷華を睨み付けていた。


「…………」


 仲間たちの敵意を前にしても、氷華は全く動じる気配はない。彼女は終始無言で、木々に降り積もる雪だけを静かに眺めていているようだった。仲間たちからの糾弾も、まるで興味の対象ですらない様子を貫いている。

 普段の氷華とは明らかに雰囲気が違う。だから目の前に居る氷華は誰かが演じる別人、もしくは誰かに操られている――そう思いたかった。


「だんまりかよ。らしくねえな――水無月!」

「理由によっては、俺はお前をッ!」


 一向に進展しない現状に耐え切れなくなったカイリとアキュラスは、怒りに身を任せて同時に攻撃をしかけようとしたのだが――次の瞬間、氷華の足元が光り輝く。


「『エシャンジェス』」

「「なっ!?」」


 氷華が即座に発動した空間転移魔術によって、氷華とアキュラスの位置が入れ替わってしまった。強制的に互いに襲い掛かる事になったカイリとアキュラスの攻撃は見事に相殺され、周囲は激しい水蒸気に包まれる。呆然としているカイリの隣に氷華は立ち、「理由によっては、私を殺してみる?」と口の端を持ち上げながら尋ね返した。

 水蒸気が晴れた事を開戦の合図にするかのように、カイリは鋭い眼光で「お前がずっとそんな態度ならな!」と魔力を集中させる。カイリの右手に集約されていく澄んだ魔力を見つめながら、氷華は「精霊魔法――水天はやっぱり攻撃型だね。カイの本気、当たったら痛いじゃ済まなそうだ」と呟いた。


「やはり、氷華さんも気付いていましたか」

「じゃあディアも気付いているんだね」


 ディアガルドは頷くと、中指に嵌めたシルバーリングに手を添えながら冷静に状況を指摘する。


「ソラシアさん、刹那さん。ソラシアさんの意見を尊重するスティールの三人は闘えないと換算しても……状況は三対一。氷華さんに分が悪いのは明らかです。大人しく降伏してください。今ならまだ間に合う」

「って事は、ディアも闘うんだ」

「できる事ならば、僕はあなたとは闘いたくない。ですが、あなたは理由もなしにこんな真似はしない筈だ」


 氷華は白いコートを靡かせながら「何者かに操られている、なんて事はないからね」と皆に告げると、ポケットから“あるもの”を投げ捨てる。ガチガチに凍っている“それ”を見た一同は、表情を固めながら呆然としていた。スティールが声を振り絞るように呟く。


「通信機……」


 ワールド・トラベラーのロゴがデザインされた通信機型バッチ。それを氷で封印し、自らの意思でこの場に投げ捨てるという事は――つまり――。


「氷姉……ワールド・トラベラーを辞めるって事……?」

「これは紛れもない私の意志――そう、これは私の遺志だから」


 まるで自分に言い聞かせるような言葉だった。涙を流して混乱していた刹那は「わ、私が……」と震える声で訴える。


「私が皆の時間を戻せば、こんな事にはならない! そうだよ、それならきっと――」


 その言葉を聞いたソラシアやスティールは一縷の望みと共に顔を上げるが、氷華が「無駄だよ」ときっぱり否定してしまった。氷華は平然としながら「封印をかけているからね。私にも、太一にも、この空間にも全部。だから時空系魔術は効かない」と述べる。

 氷華はそう説明したが、そんな真似は到底できない筈だ。況してや精霊でも神族でもない、普通の人間ならば。


「それにいくら刹那でも、そこまでの時間操作は不可能だよ。生死に関わればシンが黙っていないからね。例えシンは黙認しても他の神々は――」

「てめえ、そんな魔術どうやって発動した」

「……皆も修行して強くなったでしょ。その時間、私が何もしていないと思った?」

「アキュラスが言いたい事は違うと思います。いくら魔力が優れていても、氷華さんは人間。限界がある。そんな強力すぎる魔術を発動しては――あなたも無事では済まない筈だ」


 ディアガルドの言葉に対して氷華が説明を悩んでいると、今まで俯いていたカイリは容赦なく氷華へ向けて右手を翳した。完全なる敵意が氷華に向けられる。今から自分に向けて放たれるであろう強大な精霊魔法を前に、氷華はピリピリと逆毛を立てていた。


「もういい。見損なったぜ氷華。仲間を、俺たちを――太一を裏切るなんてッ!」

「…………」

「『水天よ。我が契約の下、力を示せ! 爆ぜろ水泡、逆巻け水刃。彼の者の生命を断ち切れ』」


 カイリが水天系の精霊魔法を発動すると、水圧の刃が氷華へ向かって放たれた。しかし氷華は、精霊魔法に臆する事なく――寧ろその場から一切動かない。諦めて死ぬつもりという雰囲気ではなかった。まるで、この場から動く必要がないと判断しているようだ。

 そんな氷華の意思に応えるように、この場の空気を切り裂くように、落ち着いた声が響き渡る。


「『氷雪よ。我が契約の下、力を示せ。全てを凍結せし氷霧を身に纏え。フリーレン・ナハトムジーク』」


 ――――ピキピキィッ!


 カイリが向けた水の刃だったが、それ等は瞬く間に凍て付き――氷華へ到達する前に全て地面に落ちてしまった。落下の衝撃によって、氷の刃がパリンと四方に砕け散る。その音と共に、何かを感じ取った精霊たちは即座に顔を上げた。氷華とカイリの間に割って入るように、氷雪を司る精霊が吹雪を纏いながら姿を現す。


「やあ、久しぶりだね」

「お前、確か――」

「水無月……凍夜……」


 一同の前に姿を現した凍夜は、何事もなかったかのように、カイリたちに向かってにこりと微笑んだ。しかし、その笑みは即座に氷のように冷やかな目付きへと変貌する。そして彼は迷う事なく言い放った。


「氷華を傷付ける奴は俺が殺す。例えそれが氷華の仲間であってもね」




 突如目の前に現れた凍夜の姿を見て、ひとりだけ初対面の刹那は「だ、誰?」と困惑していた。初めて凍夜が自分たちの前に姿を現したのは、刹那が目覚める前だったと気付き、ソラシアは「氷姉の、お兄さん……」と簡単に説明する。


「有名なピアニストで海外を飛び回っているらしいんだけど、一体どうしてこんな場所に……それに、さっきの力は……」


 スティールの呟きに対し、凍夜は容赦なくリボルバーを構えながら「氷華が危ないから。飛んできたんだよ」とだけ説明する。するとディアガルドは「カイリくんの精霊魔法を打ち消した、先程の“謎の精霊魔法”……あなたの力ですか」と冷静に問いかけた。


「ご名答。氷華が認めるだけの頭脳と状況判断力だ、ディアガルドくん」

「やはり、あなたも只者ではなかった――という訳ですね」

「いいや。お前たちに出会った時は正真正銘、只の人間だった。まあそんな過去の事はどうでもいい」


 凍夜はニヤリと不敵に笑い――静かに引き金を引く。


「氷雪の精霊の力、見せてやるよ。さあ、オーバチュアの始まりだ」


 ――――バンッ!



 ◇



「どこだ、ここ……俺は、一体……」


 太一が意識を取り戻すと、辺り一面真っ白な空間だった。記憶の糸を探り、現状を確認しようと努力するが――陸見公園で氷華と闘い、氷の剣で貫かれてから先の事は思い出せない。


「俺、確か……氷華に……」

「どうやら本格的に運命の歯車が動き出したようだな」


 太一の問いかけに答えたのは、今まで見た事もない謎の人物だった。橙色の短髪を逆立たせている、光のように輝かしい魔力を帯びた謎の男。威風堂々としていて立ち振る舞いからも自信に満ち溢れている様子が窺える。目の前に立たれるだけで、彼の底知れぬ力に威圧されてしまう。

 だが、この男の声だけは――太一は確かに聞き覚えがあった。


「あんた誰だ?」

「一度だけお前と言葉を交わした事がある」

「一度……?」


 太一は必死に過去を振り返る。太一に助言するように、謎の男は「前に尋ねただろう。お前の救世主としての在り方を」と続けた。その言葉を聞いて、太一は「もしかして……あの時の……」と思い出す。


「京と闘って、死にかけてた最中に聞いた声か? って事は俺、やっぱりまた死にかけてるのかよ……氷華にも負けたし、これはちょっと一から鍛え直さないとな……」


 太一が複雑な表情を浮かべていると、謎の男は「さて、お前は現在――水無月氷華によって封印されている真っ最中だ」と太一が置かれている現状を何故か勝手に説明し始めた。


「本来ならば水無月氷華が作り出したこの空間に俺は存在できないが、お前の精神側に直接干渉して邪魔をさせてもらっている」

「ちょ、ちょっと待て、全く話が見えない! 結局あんた何者だよ!?」

「俺の事はどうでもいい。今からお前が視るべきものが最も重要だからな」

「俺が、視るべきもの……?」

「ああ、水無月氷華が命を賭けてお前に託したかった“真実”――と言ったところだろう」


 そして謎の男は不敵に笑い、その場にどかっと腰を下ろす。まるで今から長話を聞くような態勢だ。太一が怪訝に思った次の瞬間、目の前の空間が光り輝く。咄嗟に目を瞑った太一だが、再び目を開けた瞬間――その場に佇む人物を見て目を疑った。

 そこには――。


『太一、あんな真似をしてごめん。本当に、ごめんなさい』

「氷華……!?」


 太一の前に現れたのは、氷華の幻影だった。彼女はひたすら謝罪の言葉を述べながら、苦しそうな表情を浮かべて頭を下げている。


『だけど、これからの未来で起こる筈だった“真実”を壊す為には……太一を“信じて”こうするしかなかった』

「“真実”……“信じる”……?」


 そのまま氷華の幻影は、全ての始まりとなり、終わりとなった――“真実”の光景を太一の眼前に映し出した。

 それは、凍夜が歯車となって解かれた世界の真実。皆に待ち受けていた残酷な未来。何度も繰り返されていた運命。

 太一と謎の男は、その映像を黙って見つめていた。



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