第144話 二人の救世主③



「北村太一の存在が消えた……?」


 闇に支配された牢獄の中、そこの住人は蠢く。


 テールの世界で活躍している“ワールド・トラベラー”。最初は自身の世界を救い、それから異世界間のパトロールのような任務もこなし――テールの売り込みや本人たちの功績から、今では異界の神族たちからも一目置かれているらしい。


 その存在に目を付けていた牢獄の住人――プルートは、様々な世界に関わっている彼等の立場を利用し、全世界崩壊への引き金にしようと目論んでいたのだが――そのワールド・トラベラーの片割れ、北村太一の気配が忽然と消えてしまった。だが、それと入れ替わるように、暫く察知する事ができなくなっていた水無月氷華の気配を僅かに発見する。


「だったら、そちらを使うまでだ」


 プルートはパチンと指を鳴らした。その瞬間、目の前には自分と瓜二つの幻影が現れ、その姿を見てプルートはくつくつと笑う。牢獄の中では身動きできず、魔力は制限されているものの、何もできないという訳ではない。


 長い年月をかけ、微々たる魔力を少しずつ積み重ね――こうして自分の思念を持った幻影を作り出すくらいは可能になった。それを外界へ送り、媒体となる存在に接触させる。後はその存在を利用し、他の世界にとってもダメージを与える行動さえ起こせば――それだけで全ての世界を混乱させるには十分だ。

 一つの爆発でも、時と場所によっては誘爆するように広がり、簡単に瓦解するだろう。


 世界を脅かす程の力を持つ、最高の媒体になる人間――それがワールド・トラベラー。自分が拘束される前の段階から、他の世界でも闘いの原因となる火種は巻いてある。残るは大きな起爆剤だけだった。


 ――世界を救う救世主に、世界を壊す引き金になってもらおう。


「全てを無に帰す為……」


 プルートは静かに幻影を送り出す。その瞬間、牢獄の重い扉が僅かに動き、真っ暗だった空間には僅かに光が射し込まれた。厳格な雰囲気を纏った老翁が、鋭い双眸で罪人を睨み付ける。


「そろそろ判決の時間だ。数々の重罪……無事では済まないだろう。覚悟はいいな?」

「ああ……」


 プルートは顔を隠すようにローブを深く被り直し、黙ってその場から立ち上がった。特に動じない様子のプルートを見て、神連合の長――メルクルの眼光は一層の鋭さを増す。対するプルートの目は、それを嘲笑うように怪しく輝いていた。



 ◇



 太一を貫いた氷の剣を見つめながら、氷華は傷付いたベンチに腰を下ろしていた。周囲は荒れ果て、災害でも起こったかのような酷い状況だ。そんな中、ひとりでぽつんと座っていた氷華は、まるで取り残されたような寂しさを覚える。彼女がこの惨状を描いた一人である事なんて、無関係の人間たちは誰も思いもしないだろう。


「夢東くん、どうしたの?」


 そんな彼女の元に、ひとりの青年が近付く。先程の太一との死闘によって、今も尚感覚が研ぎ澄まされている氷華は、視認せずとも魔力の気配だけで誰であるか判別可能の域に達していた。


「名誉か――凍夜さんが、氷華ちゃんと一緒に居てくれって」

「凍夜お兄ちゃんは?」

「次の計画の準備中。魔力の気配を封印するとかって言ってたよ」


 明亜の説明を聞き、氷華は「そっか」と安心したように口元を緩める。今のところ、どうにか計画は順調だ。強いての想定外と言えば――少し考えて、氷華はぶんぶんと首を横に振る。そのままパチンと自分自身で頬を叩き、気合いを入れ直していた。


 そんな氷華の行動を見て、明亜は「氷華ちゃん」と彼女の名を呼ぶ。呼んでみたのだが――何と声をかければいいのか迷ってしまい、明亜は閉口してしまった。

 伝えたい想いはある。しかし、上手く言葉が纏まらなかった。

 そんな明亜の様子を察したのか、氷華は「ゆっくりでいいよ」と言い、いつものように微笑みかける。


「ごめんね……僕、何て言葉をかければいいのかわからなくて……」

「うん」

「今から僕は、僕が思った事を言うね。無責任で、身勝手と思われてもいい。それでも僕は……氷華ちゃんは間違ってると思う」

「……どうして?」

「氷華ちゃんが言った“救世主とは、世界の為の犠牲者”。これは確かに真理だと思う。それでも、救世主が――君が犠牲にならなきゃいけないなんて、寂しい事を言わないで欲しい」


 明亜は氷華に救われた。だから救世主としての氷華に憧れを抱いている。

 でも今のこの状況で――本当に憧れを抱いていいのだろうか。本当に氷華を肯定していいのだろうか。


 その迷いを告げ、否定する事で、氷華の迷惑になるかもしれない。

 でも、それでも――今ここで氷華に訴えなければならない予感がした。


「さっきの闘い見てたんだ。諦めないで闘って、太一くんに勝った氷華ちゃんはかっこよかった。だから、あの時みたいに――諦めないで欲しい」


 氷華は暫く黙っていたが、控えめに笑いながら「夢東くんは優しいね」と呟く。きっと沢山悩んで、必死に言葉を探して、漸く口にできた主張なのだろう。それを察した氷華は瞳を閉じ、懐かしむように過去を振り返る。彼と出会った頃の、屋上での会話を思い出していた。


「昔さ、夢の話したよね。ほら、学校の屋上で」

「うん、そうだね」

「私も一応、夢はあるんだけどさ――今もう一つ、夢が思い浮かんだ」


 そのまま氷華は、薄っすらと明るくなり始める空を見上げ、恒星を掴むように手を伸ばした。


「カイとソラ。スティール、ディア、一応片目男も。夢東くんに南条くん、表西さんに小野北くんでしょ。シン、刹那、夢東くんは怖いかもしれないけど刹那の中に居る京も。勿論ノア。後、皆はまだ慣れてないかもしれないけど凍夜お兄ちゃん。それに太一とも仲直りして……皆でまた、アイス食べに行きたいな」


 星のように目を輝かせる氷華を見ながら、明亜は「きっと、その夢は叶うよ。ううん、皆で叶えよう」と辛さを隠して微笑む。


「その“皆”の中には、氷華ちゃんも居なきゃ駄目だからね」


 明亜の言葉を聞きながら、氷華は黙って立ち上がった。静かに朝日が昇り始める。

 その“皆”にとっては勿論――全世界に関わる運命の日が始まろうとしていた。


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