第143話 二人の救世主②



「『ラ・グラース・ヴォワレ』!」


 太一の激しい剣戟を氷壁で防ぎ、それが砕かれた瞬間――氷華は氷片と共に太一の懐目がけて飛び出した。自分の身体が太一の斬撃や氷片で傷付く事も顧みず、氷華は捨て身の勢いで折れた剣を突き立てる。

 しかし、所詮は折れた剣。その切っ先が届くまでには、どうしても時間を要する。

 氷華の直線的な動きを見切った太一は動じずにかわすものの、対する氷華は攻撃の手を止めなかった。


「本気でどうしたんだよ、氷華!」

「どうかしてるのは太一の方だよ。それが太一の本気な訳ないでしょ」


 ギリッと奥歯を噛み、顔を上げた氷華は鋭い眼光で太一を睨み付ける。そのまま捲し立てるように続けた。


「それとも、私には負けないって思ってる? 私なんかじゃ相手にならない?」

「そもそも氷華は仲間だ。相手にできる訳が――」

「凍夜お兄ちゃんと張り合う時みたいに、本気で向かってきてよ」


 太一の動きが一瞬止まる。昔から凍夜に圧倒され続けた事が未だにコンプレックスになっている太一は、動揺を抑えるように静かな声色で「――何でそこで凍夜さんが出てくる」とだけ口を開いた。


「昔の太一は今以上に負けず嫌いでさ、いつもいつも、凍夜お兄ちゃんに勝負を挑み続けてた。ねえ、太一と凍夜お兄ちゃんが最初に勝負した時の事、覚えてる?」

「…………」


 凍夜が意図的に太一を圧倒する前の――最初の最初。初めては、些細な遊び程度の勝負だった。他愛のないカード勝負。それで凍夜は、わざと手を抜いた事があった。


「あの時、太一は凍夜お兄ちゃんに「本気で勝負しろ」って言って怒ってた」


 本気の勝負をしたかった太一にとって、凍夜に手を抜かれる事は侮辱だ。その時は凍夜の方も太一の気持ちを汲めなかったと自分の非を反省し――それ以降、凍夜は誰が相手であろうと、勝負事で手を抜いた事はない。


「そんな二人はどんどん先に行っちゃって、私は手が届かなくなった。二人の事、少しだけ羨ましいって思った事もある。でも私は何もできなくて、昔から太一や凍夜お兄ちゃんに護られるだけだった」


 天性の才能や血の滲むような努力で、幼い頃から音楽の道で名声を掴んだ凍夜。

 同じ様に剣道という道を歩み、結果を残し続けた太一。


 対して氷華は、昔から際立って秀でた才能がある訳ではなかった。そこそこの結果は残せても、所詮は秀才止まり。

 見て見ぬふりをしていたが、兄と比べられた事もある。それで太一や凍夜を妬んだことはなかったが、いつしか心のどこかで諦め、割り切っていた。


 太一が凍夜に敵わなかったように、氷華は二人に敵わない。

 例えるならば、太一と凍夜は天才。氷華は凡人。昔から氷華はそれを受け入れながら生きていた。それが、当然だった。


「でも私は、もう護られるだけの存在じゃいられない。護りたい。その為には、本気で立ち向かわなくちゃいけないから」


 でも今は、そんな敵わない相手の一人――太一を越えなければならない。

 本気で彼に立ち向かい、勝たなければならない。

 そうしなければ、この先で待ち受けていた真実は壊せない。大切なものを護れない。


「だから、もう一度だけ言う。私と本気で勝負しろ、北村太一!」


 氷華が叫んだ瞬間、研ぎ澄まされた魔力が弾け飛ぶ。それは周囲の木々を揺らし、そして太一の心にも火を点けた。


「……わかった」


 それに応えるように太一も手にした竹刀を二本の指でゆっくりなぞる。刀身を炎へと変化させた太一は、真剣な表情で「俺も凍夜さんに殺される覚悟で、本気で行く。だから約束してくれ。俺が勝ったらちゃんと事情を説明しろよ」と告げた。太一の本気に触れた氷華は、冷や汗を流しながら「約束する」と虚勢を張りながら口の端を持ち上げる。


 ――太一の本気は引き出せた。後は、私が死ぬ気で頑張るだけ!


 折れた剣の先端に魔力を収束させ、氷華は杖を振るうように魔術を放つ。炎の刀身を向ける太一に、氷華は水天系魔術による水壁で対抗した。蒸気に紛れるように屈み、続けざまに風光系魔術で突風を放てば、太一は吹き飛ばされながらも魔役によって竹刀を地祇系の槍へと変形させる。空中で身体を捻り、巨木に両足を突いた太一は、そのまま反動を利用して再び氷華へ向かって飛び出した。


「揺れろッ!」

「っ!」


 地面に槍が突き刺さり、周囲がぐらりと揺れる。氷華が大勢を崩した隙を見逃さなかった太一は、すかさず引き抜いた槍を勢いよく突き出した。態勢を整える時間はないと悟った氷華は、間一髪で空間転移魔術を発動して距離を置く。

 肩で息をしながら、氷華は太一を見上げた。太一は特に動じる様子もなく、槍を再び変形させ、風を纏った剣を構えている。


 少し判断が遅ければ、終わっていた。未だに余裕の太一に対し、一瞬で圧倒させられた氷華。いつも先導して闘っていた太一との、実力の差。自らの力量を改めて思い知らされた。


 ――接近戦を得意とする太一に、中距離からのサポートが得意な私は……分が悪いのは、わかってる。そんな事、最初からわかってる。


 今更この実力差が覆らない事も、氷華は理解していた。最初は何とかなっても、徐々に劣勢に追い込まれる。一対一の戦闘では、自分は太一に敵わない。

 普通に闘った、ならば。


 ――あの杖代わりの折れた剣。氷華は最後の足掻きでたまに武器を投げ付けたりすっから、気を付けないと。どっちにしても、氷華相手なら接近戦で早く終わる!


「全力で行くぜ、氷華!」


 風光系の魔力を帯びた剣を構えながら、太一は素早い動作で駆け抜けた。杖代わりにしている折れた剣から放たれる魔術を悉く避け、太一は氷華の懐へ潜り込む。

 太一は勢いよく一閃を放ち――そして――。


「お前の負けだ、氷華」


 冷たい刀身が、氷華の白い首元を刈り取る寸前で、ピタリと静止された。氷華は何も言わず、俯いたまま動かない。それを白旗と判断した太一は、「やっと諦めたか」と呟くが――それを遮るように、氷華が再び顔を上げた。


 氷華の頭の中には、諦めるという選択肢は存在しない。少なくとも、今回だけは。太一のその判断は、安易な間違いだったのだ。


「私はずっと、間違っていた」

「……?」

「運命を変える為には、精霊の力頼みなんかじゃなくて――自分の力で闘わなきゃいけない」


 氷華は右手で自分の心臓付近をぎゅっと握り、宣言するように声を張り上げた。

 次の瞬間、強大な魔力と共に氷華の髪がぶわりと逆立ち、太一は膨大すぎる魔術に目を疑う。これは人間の域を、下手したら精霊をも超えている。シンに近い神々しい魔力だった。街灯が吹き飛び、猛吹雪が荒れ狂い――太一は「な、何だよ、その力……」と呆然と呟く。


「それに私は、自分の力で――私が護りたいッ!」


 氷華の覚悟に応えるように、左手が煌めいた。一度は折れてしまった覚悟の剣が、再び光を灯す。


 ――――グサッ


「え――」


 刹那、太一の身体には小さな衝撃が走った。氷華が持っていた氷の剣は、当の昔に折れた筈だ。しかし、氷華は再会した当初と変わらずに悠然と剣を握り締め――その細身の剣が太一の身体を貫いている。

 氷華の行動や現象が理解できない太一は「何で……」と言いながらよろめくと、氷華は息を上げながら苦し紛れに呟いた。


「正攻法じゃ勝てないのは……やっぱり、ちょっと悔しいな……」

「どうして、剣が……」


 戸惑う太一に一瞥し、氷華は自分の作戦を振り返る。

 太一相手には正攻法じゃ勝てない。だから、反則技に出るしかなかった。

 その為に氷華は早い段階で氷の剣を折らせ、杖代わりにして闘った。もう剣としては機能しないと先入観を抱かせる為に。そして太一が勝ちを確信した瞬間――認識外からの氷の剣で貫いた。


「時間操作って難しいね。これは、刹那が苦戦するのも納得だ」


 その言葉を聞いた太一は、咄嗟に京との闘いを思い出す。先程の膨大な魔力を使い、氷華があの時に京が行った時間操作をやってのけたと理解した。それならば、折れた剣が突然復活したのも説明ができる。

 だが、普通の人間がそんな真似をしては――シンがゼンだった頃、氷華に忠告していた言葉が脳裏に過ぎった。


 ――「原理はそうだが、絶対にやろうとは考えない事だ。三秒でも、今のお前では確実に死ぬ。それくらい危険なんだ」


 いよいよ全身の脱力感に襲われ始めた太一は、堪えるように歯を食いしばり、薄れそうな意識を必死に呼び起こした。氷華に向かって「待て……氷華、お前……ッ」と声を振り絞り、力無く手を伸ばす。そんな太一を横目に、氷華はすれ違い際に短く言い残した。


「                   」


 静寂に包まれた空間で、どさり、と太一が倒れ込む音だけが響いた。氷華は太一に背を向けたまま「最期に話せてよかったよ、太一」と呟き、いつものように優しく微笑む。


「ひょ、う……か……」


 一方の太一は、いよいよ意識が朦朧とし始めていた。しかし、身体を貫かれたにも関わらず、何故か痛みは全く感じられない。視界がぼやけ、視界が黒に――そして白に染まる。まるで雪景色のような白一色だが、どこか陽光のような温かさも感じられる。


「俺、は……まだ……ッ」


 そして、太一の身体と意識は眩い光に包まれ、氷の剣に収束されるように消えてしまった。

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