第142話 二人の救世主①


 静寂に包まれた陸見公園のベンチに、太一は腰を下ろしながら文句をぼやく。


「ったく、こんな夜中に呼び出すなんて」


 時刻は深夜。日付が変わった頃ならば通行人の一人や二人は居たかもしれないが、時計の短針は二を越えていた。ここは繁華街とは少し離れた場所、完全に静まり返っている。

 普段の太一ならば寝ているであろう時刻だが、とある人物に呼び出されていている手前、無視する訳にもいかず。こんな時間帯に呼び出すなんて非常識だが――彼女の事だ、何かしらの理由があるのだろう。


「しかもこんな雪の中……一体何の用事だよ」


 眠気覚ましに缶珈琲を飲みながら、太一は溜息を零す。吐いた息が白く染まる程、寒さが厳しい季節になってきた。街頭の明かりを浴びながら雪が踊るように舞っている。

 太一はマフラーに顔を埋めながら必死に寒さと闘っていると、びゅうっと一陣の風が吹き抜けた。刺すように冷たい風に、思わずぎゅっと目を閉じる。心なしか、気温がより一層下がった気もした。


「さむっ……」


 太一が再び目を開けると、小さな足音が耳に入る。時計下の街頭から人影が揺らめき、太一は「やっときたか、氷華」と待ち侘びた人物に向かって手を上げたのだが――久々に見た相棒の姿に、目を丸くさせた。


 目の前に現れた氷華は、どこかいつもと雰囲気が違う。琥珀色の長髪は一つに纏め上げられ、まるで雪の中に紛れるような真っ白なコートで身を包んでいた。手元には、氷でできたような細い刀身の剣が握られている。

 それに、相棒である筈の太一を前にしても、氷華の表情は何故か氷のように固かった。太一が知るいつもの氷華とは、まるで別人のような雰囲気を纏っている。


「久しぶりだな……」


 しかも今の氷華からは特に大きな魔力も察知できず、太一は思わず戸惑ってしまった。久方ぶりに見る氷華はパワーアップしているどころか、以前に会った時と大差なく――寧ろ、それ以下に思える。これではまるで、普通の人間だ。

 全く魔力が感じられない事から、太一は「盛大に魔術を使った後なのか?」と勘繰るが、それを遮るように黙っていた氷華が口を開く。


「久しぶりだね、太一」

「ああ」


 太一がベンチから立ち上がろうとした瞬間――氷華は問答無用で駆け出していた。そのまま氷華の手に携えている氷の剣が自分に向かって伸びている光景が飛び込み、太一は反射的にポケットから木の塊を取り出す。咄嗟に竹刀へ変形させると、太一の竹刀と氷華の氷の剣が激しくぶつかり合った。


 ――――ガキンッ!


 竹刀と氷の剣が軋む音だけが、静まり返った空間に響き渡る。暫くしてから、太一が持っていた缶珈琲がカランッと虚しく音を立てて転がった。


「どういう、つもりだ……氷華ッ!」


 一連の行動を理解できない太一は叫ぶが、氷華は至って冷静に「やっぱり、太一は強くなってるね。そう簡単には倒されてはくれない、か……」と呟き、じっと氷の剣を見つめている。すぐに折れてしまいそうな程に細い剣と、簡単には折れないであろう太一の竹刀が鎬を削っていた。


「お、おい――」


 ――――ピカッ


 すぐさま氷華は自分の頭上に手を掲げ、問答無用で「行くよ、太一!」と叫ぶ。

 その瞬間、氷華から発せられた圧倒的な魔力を前に、一瞬で周囲の空気が変わった。周囲の木々は、氷華を恐れるように凍り付く。踊るように舞っていた雪は、突風に乗って走り始めていた。冷気だけではなく、氷華の魔力も突き刺さる。

 その様子を目の当たりにして、直接肌で感じて――太一は今までの考えが間違っていた事を思い知らされた。


 ――氷華が強くなってない訳がない……自分の魔力を制御してたってのか!?


 太一は咄嗟に腕力を強め、自分と氷華の身体を反発させるように弾き飛ばす。氷華の力と、理解できない言動に、思わず逃げるように距離を置いてしまった。


「おいおい、闘う相手が違うだろ――氷華」


 一歩ずつ自分との距離を詰める氷華に対して、太一は焦りの色を浮かべる。どうして氷華がこのような態度を見せるのか、全く理解できない。自分を襲う理由も見つからないし、これでは例の予言通りの展開だ。

 しかし氷華は真面目な表情を崩さず、「ううん、これで合ってるんだよ」と太一の言葉を真っ向から否定した。


「俺たちがぶつかるって未来を変える為に強くなったんじゃないのかよッ!」

「最初は確かにそうだった。だけど私は……私たちは、間違えていたんだ」


 氷の剣を再び握りながら「これは、変えるべき未来じゃないッ!」と氷華が心の底から叫び、走り出す。太一は「どういう事だ!」と防御態勢を取るのだが――魔術によって身体能力が上がっているのか、今の氷華は接近戦でも太一に引けを取らない素早さだった。体勢を立て直しながら、太一は「お前、本当に氷華かよ!?」と豹変した相棒へ問いかける。


 もしかしたら、今の氷華は本当に別人なのかもしれない――太一はそう思った。

 思いたかった。


「本当の氷華なら、理由も言わずに仲間を傷付けない!」

「だったら私は偽物でいい! 『グラシアル・エピヌ』!」


 氷の剣を握っていない左手を太一に翳し、氷華は氷雪系魔術を発動させた。太一の足元から氷の棘が飛び出し、彼は思わず後方へ飛び退くが――それと同時に氷華が剣を突き付ける。


 ――殺気!?




 ――――ガキンッ!


 今まで防戦一方だった太一だが、遂に氷華に対して反撃した。太一は即座に竹刀を風の刀身へと変形させ、思い切り振り下ろす。

 そうしなければ――太一の方が危なかった。


「……やっぱり、私じゃ太一には勝てないか」


 太一の反撃によって折れてしまった氷の剣を眺めつつも、氷華は想定内と言わんばかりに口の端を持ち上げる。殺気に対して反射的に攻撃してしまった太一は、自分の行動と氷華の言動に戸惑いつつも、「頼むから説明してくれ、氷華」と氷華へ手を差し伸べた。氷華は差し伸べられた手をじっと見つめていたが、氷華はその手を取る事はできず――代わりに太一に対してとある言葉を投げかける。


「ねえ、太一。前に訊いたよね。救世主って何だろう――って」

「……ああ」

「もう一度訊いてもいい? 太一にとっての救世主って何?」


 氷華は自力で立ち上がり、凛とした目で太一をまっすぐ見上げた。何故このタイミングで問われたかわからない。しかし氷華の真面目な表情を見る限り、ふざけている訳ではないだろう。太一も真剣な表情で「世界の為の、先導者」と迷いなく答える。


 太一は、救世主とは“何かを救う為に先頭で闘い続ける者”と結論付けていた。そうして常に前線で戦い続け、人々を導き、世界を救う事が――大切なものを護る事にだって繋がる。


「ひとりでは全部を救う事はできないかもしれない。でも、それなら仲間にも助けてもらえばいい。上手くは言えないけど――仲間が居れば、全てを救う事だってできると思うんだ。俺はそうだと信じたい」


 太一は竹刀を握り直しながら、強い信念を込めた瞳で氷華へ訴えた。


「俺は何があっても先導して闘い続ける。救世主として、世界や大切なものを救いたいから」


 どこまでもまっすぐで、未来へ向かって歩み続ける太一を見た氷華は、暫く黙った後に「やっぱり、私と太一は似てるようで違う」と折れた氷の剣を握り直し、額の前に掲げる。まるで誓いを立てる騎士のような雰囲気に、太一は目を奪われた。


「――じゃあ、氷華が考える救世主って何なんだ?」

「世界の為の、犠牲者」


 氷華は、救世主とは“世界を護る為に犠牲になれる者”と結論付けていた。世界の為に何かを犠牲にしながら闘い、大切なものを護る事が――世界を救う事にだって繋がる。


「当たり前の事で忘れがちだけど、生きるって事は常に何かの命を奪ってる。だから救うっていうのも――何か別のものを犠牲にして、何かを生かす事と同じなのかもしれないなって」


 氷華は折れた氷の剣を構え直しながら、強い決意を秘めた瞳で太一へ訴えた。


「私は何かを犠牲にしてでも闘い続ける。救世主として、大切なものや世界を護りたいから」


 常に“救いたい”と主張してきた太一。

 常に“護りたい”と願い続けてきた氷華。


 二人はワールド・トラベラーとなった時から既に――似ているようで、少し違っていた。その僅かな違いは次第に肥大し、大きなズレとなり――。


「何があっても闘い続けるなら――構えて太一。私は本気だから」

「本気で止めれば、ちゃんと理由を話してくれるか?」

「きっと、話すよ」


 今、二人は相対する。



 ◇



 太一と氷華の闘いを、凍夜は黙って見守っていた。その傍らには、ノア――ではなく、夢東明亜が控えている。凍夜は明亜には目もくれず、太一と氷華から視線を逸らさずに「状況は」とだけ問いかけた。


「それぞれの場所で待機しています。時間も時間なので人避けも問題なさそうです」

「ノアくんは?」

「万が一を危惧して、あの中だと一番戦闘力の低い法也側に。京羅と司は一人でも大丈夫ですから」

「自分の意思より氷華の意志を尊重した――ってところだろうね。それか氷華を信頼しているのか。まあ、どちらにしても慎重なのはいい判断だ」


 凍夜はノアの英断を評価すると、明亜は「なので、何かあれば僕があなたを護ります。名誉会長」と微笑みかける。その言葉を聞いた凍夜は「俺はお前に護られるようなヘマはしない。それ以前に、お前も戦闘になったら真っ先にやられそうな雰囲気してるけど」と指摘すると、明亜は少し照れたように微笑んだ。


「はい、僕は真っ先に死ぬタイプだと思います。京羅や司みたいに強くないし、法也みたいな技術力とかも持ってない――皆の中で一番、一般人に近い存在ですから」

「別に褒めてないからな」

「なので、名誉会長を連れて全力で逃げます。氷華ちゃんにも頼まれてますから」


 自信満々で答える明亜に対して、凍夜は小さく溜息を零した。しかし本心では呆れている訳ではない。凍夜は“先日のとある一件”を通して、明亜の事もそれなりに高く評価しているのだ。


「自分の実力と役目をわかってる事だけは褒めてやる」

「ありがとうございます、名誉会長!」

「だが、その程度の実力の奴には氷華は任せられないからな」

「わかっています。今すぐ前に立つ事は無理でも、いつか僕は――」


 そう呟きながら、明亜も太一と氷華の闘いを影から見守る。


 最初は戸惑っていたものの、今では真剣に氷華とぶつかる太一。自分の信念を曲げぬ為、誰が相手だろうと剣を向ける。例えそれが、相棒であっても。

 太一の圧倒的な実力を前にしても、決して立ち止まらない氷華。自分の決意を貫く為、何を犠牲にしても魔術で対抗する。例えそれが、相棒であっても。

 救いたい太一と、護りたい氷華。


「二人を見ていて、たまに疑問に思っていたんです。どうして二人は漠然と“救いたい”と“護りたい”なのかな――って」


 一般的に何かしらの行動を起こす時、そこには理念が伴う筈だ。例えば“食欲を満たす為に何かを食べたい”。例えば“好みのデザインだからこの靴が欲しい”。そんな風に、太一と氷華も何かしらの理由があると思っていた。


「もしかしたら“救った時に感謝されたい”とか、“笑顔が見たいから護りたい”とか。実はそういうのが本心にあるのかと思ったんですけど――でも、二人の本心はもっと違うように見えるんです」


 すると、今まで黙っていた凍夜が静かに口を開く。昔から二人の事を見ていた凍夜だからこそ、彼は二人の真実に辿り付いていた。


「あの二人は、もう本心自体がないんだよ。救う事と護る事、それが“義務”だと思っている」

「それってどういう意味ですか?」

「昔から、氷華も太一くんも器用に見えて案外不器用だった。自分でそうだと思ったら一直線で貫き通す」


 凍夜自身も、それが二人の性格なんだと最近までは思っていた。

 しかし、そうなってしまった理由があるとすれば――恐らく。


「これは俺の憶測だけど――俺たちが見た“真実”。あれは何度も繰り返されていた。つまり、氷華と太一くんは何度も何度も救世主として生き、喪い続けた」


 何度も世界を救えなかった無念から、救う事に拘り続けた太一。

 何度も仲間を護れなかった無念から、護る事に拘り続けた氷華。

 二人はもう、本能どころか魂が救世主という概念に染まっているとしたら――。


「きっと二人は、生きている限り救世主という概念から逃げられない。自己犠牲なんて言葉の意味も忘れ――どんなに辛い事があっても、もう自分から救いを求められない域に達している」


 自分たちに協力を求めた際、氷華は「言ってはいけない言葉」と割り切り、助けを求めて頭を下げた。その時の様子を思い出しながら、凍夜は寂しそうに呟く。


「救世主ってのは、どう足掻いても自分自身だけは救えないんだろうな」

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