番外編29 氷雪の兄妹
世界の運命が変わるきっかけを作り出したその日。全てを知っていた氷雪の守護精霊や、立場上傍観する事しかできなかった二人の神。彼等はどれだけこの日を待ち望んでいた事だろうか。長年の、否――悠久の悲願だった筈だ。
そんな、世界にとっても喜ばしい限りの日。そんな時――事態は思わぬ展開へと発展してしまう。
「いい加減にしてよ、凍夜お兄ちゃん!」
「何と言われようと、お兄ちゃんは氷華に付いて行くから!」
彼等を切に待ち望んでいた筈の氷の神殿は、彼等によって亀裂を生み始めていた。氷の壁にはヒビが入り、硝子のような氷の屋根は一部が崩れ落ちている。
氷雪の守護精霊は流石に止めるべきか悩んだが、彼等の熱意に触れ――最終的に《こういう時はとことん喧嘩しちゃいなさい》と静観していた。
この原因は、水無月氷華と水無月凍夜による壮大な――兄妹喧嘩だった。
「危険なんだって! お兄ちゃんが怪我したら大変だもん!」
「氷華が怪我する方が大変だろッ!」
氷華による氷雪の魔術と、凍夜による氷雪の精霊魔法が激しくぶつかり合う。それが辺り一面氷でできた神殿の壁に亀裂を生み、再び凍り、またしても亀裂を生み――美しく芸術的だった神殿は乱雑に変形し始めていた。
仲睦まじい――仲睦まじすぎる程の水無月兄妹。普段の彼等からは喧嘩の二文字なんて想像もできないのだが、今回は“互いが互いを思いやるあまり喧嘩に発展する”という、何とも矛盾的な現状に陥っている。
これから起こる闘いに危険を感じ、凍夜を“こちら側”へ巻き込みたくない氷華。
これから起こる闘いに危険を感じ、氷華をひとりで闘わせたくない凍夜。
「だってお兄ちゃん痛覚ないんでしょ!? もしも怪我して気付かなかったら大変だよッ!」
「俺は怪我するようなヘマはしない! それよりこれから氷華をひとりにする方が不安だッ! あの光景を見て、次の敵がどれだけ危険かもわかってるだろう!?」
「わかってる! だけど私がこの時点でわかった事で、もう全部変わってるかもしれない!」
「かも、だと安心できない!」
そして氷華は「じゃあ、変える!」と叫んだ。それはまるで決意したように、自分自身に言い聞かせているようで――悲痛な叫びを前に、凍夜は思わず言葉を失う。氷華は泣きそうな顔で、訴えるように凍夜を見つめていた。
「……氷華……本当は怖いんだね?」
凍夜の言葉に、氷華は黙って俯いた。
今の氷華にとっては死の宣告をされたようなものだ。それに立ち向かって、勝てるなんて確信はどこにもない。寧ろ何度も敗北を繰り返していた相手だ。怖くない訳がない。
世界が壊れ、全てが壊れるなんて、救いようのない真実。知らない方が幸せだったかもしれない。タイムリミット付きの幸せに浸っていた方が幸せだったかもしれない。
でも、一時的な幸せはすぐに崩壊してしまう。
そして、その運命は何度も何度も繰り返し――永遠に続いていく。
「確証が欲しいの……この闘い、凍夜お兄ちゃんが参加しなければ……少なくとも私より先に死ぬ事はないから……だから……私はもう、大切な人が死ぬのは……見たくない……ッ!」
目を背けながら声を振り絞る氷華を見て、凍夜は彼女が脅えている事を理解した。普段の氷華ならば、まっすぐ相手の目を見ながら、はっきりと意思を主張する。恥ずかしい時には目を背けるが――今は違うだろう。
ここまで酷く脅えている氷華を見るのは、凍夜自身も初めてだった。
凍夜は「だけど俺も同じだ。氷華が死なないという確証がなきゃ、意地でも付いて行く」と宣言したかったが、この場でそれは逆効果だと咄嗟に判断する。
これでは再び終わりのない喧嘩に突入する。
最悪、仲が破綻する。
そうなったら凍夜的には絶対に立ち直れない。
だから、今の氷華を納得させる最善の言葉は――。
「……氷華は、お兄ちゃんを信じられないかい?」
「!」
その一言を聞いた氷華は、はっと顔を上げた。彼女の瞳には、まっすぐ自分を見据えた凍夜が映し出される。凍夜の凛とした瞳は、氷華の瞳にそっくりだった。
「大丈夫、俺は死なない。氷華も死なない」
「凍夜、お兄ちゃん……」
「氷華が信じてるお兄ちゃんは世界一だろ? だから誰にも負けない。例え相手が神様だって問題ないよ」
氷華を安心させるように凍夜は優しく彼女の頭を撫でる。そのまま、とても優しい表情で口を開いた。
「大丈夫、俺を信じて。俺が氷華を護るから、氷華は死なない。氷華が俺を護るから、俺は死なない」
「……うん」
「それに、氷華はワールド・トラベラーなんだろう? それとも、自分の力も信じられない?」
その言葉で、氷華は今までの日々を思い出す。
ワールド・トラベラーになる時の決意。
フォルスの言葉。
自分の力を疑った事。
シンの復活。
激動の一週間。
――仲間たちの笑顔。
「そうだ……」
氷華はふっと微笑みながら「そう、だった」と忘れていた事を思い出したように呟く。
「私、ワールド・トラベラーだった。凍夜お兄ちゃんの事だって、護れない訳がないよね」
「ああ、それでこそ氷華だよ」
「最初から護れないかも、救えないかもって思って……真っ先に気持ちで負けちゃ駄目だよね」
いつものように凛とした瞳を輝かせながら、まっすぐ凍夜を見つめる氷華。どうやら凍夜の言葉である程度は吹っ切れたらしく、その様子を見ながら凍夜は優しい笑みを零していた。
「そうそう、しかも氷華には世界一のお兄ちゃんが味方だ。負ける筈がない」
「仲間が隣に居てこそのワールド・トラベラー……ひとりでできない事も、皆と一緒なら何でもできる!」
氷華が意気込み、天井が吹き抜け状態になってしまった氷の神殿には一筋の光が差し込む。
まるで、これから始まるであろう運命の闘いを祝福するようだった。
「あ、でも凍夜お兄ちゃんこれからは白い服着てね」
「え?」
「白だったら怪我して血が出た時に目立つでしょ? あ、それと風邪もひかないように体調管理も万全に! 毎日検温! 絶対!」
「で、でも……白って意外にコーディネートが……」
「ねっ?」
「……だったら氷華もお揃いで白い服を着よう! それなら譲歩するよ」
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