番外編26 陸見学園祭①


 爽やかな秋晴れが広がる十月の祝日。その日、夢東明亜はいつもより早めに起床した。彼を精神的に苦しめていた不眠症もすっかり解消され、近頃の寝起きはかなりいい。手短に朝の身支度を済ませ、明亜はパンを齧りながら急いで通学路を走り出す。祝日の登校にも関わらず、明亜は鼻歌まじりに上機嫌で学校へ向かっていた。


「あ、もう準備始まってる」


 校門前の派手な装飾に感心しながら、明亜は自分の教室へと歩き出す。

 転入してきた明亜にとっては初めての陸見学園祭が始まろうとしていた。



 ◇



 明亜が教室の扉を開けると、一部のクラスメイトたちは既に出展の準備を始めていた。その中には、明亜がよく共に行動している仲間たちもバタバタと忙しなく動いている。特にクラスを先導して仕切っているのは表西京羅だ。


「ちょっと、おチビちゃんじっとしてなさい!」

「だって、もぐもぐ、朝ご飯……食べる時間、もぐもぐ、なくなるもん……ごくん」

「食べながら喋らない!」


 京羅に髪をセットされながらメロンパンを齧っているソラシア・アントランの姿を見て、明亜は苦笑いを浮かべる。ソラシアのふんわりした髪をとかしながら、京羅は「ったく、おチビちゃんはほんと色気より食気なんだからぁ」と呆れていた。


「俺も腹減ったんだけど、何か買ってきていい?」

「その姿で買いに行けるならいいんじゃないですか?」

「……ディアガルド、何か買ってきてくれないか?」

「僕をパシリに使うとはいい度胸ですね、“太子”さん?」


 聞き慣れた声を耳にして明亜が声の方向へ振り向いた瞬間、彼の表情は石のように固まった。目の前に居るのは間違いなく北村太一とディアガルド・オラージュの筈だが――彼等の変わり果てた姿を見て明亜は必死に笑いを堪える。


 セーラー服を堂々と着て、髪には少し長めのエクステを付けている太一。普段結っている髪を解き、チャイナドレスを悠然と着こなしているディアガルド。

 決して似合っていない訳ではない。特にディアガルドなんて完全に女子と見間違うレベルだ。しかし、彼等の事をよく知っている明亜は、どうしても普段とのギャップを感じてしまう。


「おい夢東、笑うなっての……」

「そうですよ、君も今からこうなるんですから」


 そう。彼等は女装していた。否、とある事情で女装させられていた。



 ◇



 陸見学園祭の丁度一ヶ月前。この日のホームルームは、いよいよ間近に迫る学園祭で行う出し物が議題となっていた。クラス委員長が「学園祭の出し物について、候補を募ろうと思ったんだが――」と深刻な表情で口を開き、クラスの雰囲気が少しだけ強張る。


「実は――他のクラスから、我がD組には是非とも喫茶店をやってくれという要請がきている」


 学園祭では定番中の定番である喫茶店。その喫茶店を他のクラスと競争する必要なし、無条件で開催権を得られるという事実にクラスがどよめく。太一は「俺、お化け屋敷がよかったんだけどなー」と笑いながらカイリ・アクワレルを見ると、彼は「冗談じゃない……」と髪の色と同じ顔をしながら呟いた。


「って言うか、何で他のクラスから頼まれてるの?」

「あんまり聞かないよね、そういうの」


 クラスメイトの声に委員長は「恐らく――」と続ける。


「うちの男子共のウエイターに期待しているんだろう。特にお前たち」


 委員長は悔しさで涙目になりながら、太一たちをびしっと指さした。

 陸上部期待の新星、おまけに料理上手。応援団も居るらしい好青年の北村太一。

 王子様オーラ全開、女子からの憧れ。アイドルの如き輝きを持つスティール・アントラン。

 中性的な容姿、頭脳明晰で礼儀正しい。男女両方から支持が高いディアガルド・オラージュ。

 女子から特に人気なのはその三人だろう。カイリやアキュラス、司も取っ付きにくいオーラを放っているが、そこがいいという隠れファンも何人か居るらしい。


「更には女子のウエイトレスにも期待されている」


 委員長が激しく同意するように大きく頷く。その目線の先には氷華、ソラシア、京羅が写っていた。

 誰にも分け隔てなく接する、優しい性格の美少女。ファンクラブも存在する噂の水無月氷華。

 可愛らしい妹系女子。癒しを求める男子から特に支持を受けているソラシア・アントラン。

 高飛車な雰囲気を持ち、その美貌から数多くの男子を惑わせる。女王様気質の表西京羅。

 男子票を集めているのは主にこの三人だ。


「皆、人気だなぁ……」


 そう他人事のように呟く明亜自身もそれなりに人気はあるのだが、彼は「既に心に決めた人が居る」と周りに公言していた。それ以降、告白される事はなくなった上、彼の必死な一途さに感動した面々から、彼の恋路を応援される結果となっている。


「ま、僕もウエイトレス姿なら見てみたいかも……いや、是非見たい」


 そう言いながら、彼は淡い期待と共に――水無月氷華に目線を向けた。当の彼女はホームルーム中にも関わらず、呑気にアイスを齧っている。


 明亜は以前の闘いで氷華に救われた事がきっかけで、彼女に強烈な尊敬を抱いていた。未だに自分の想いをはっきり伝える事はできていないが、明亜が氷華に想いを寄せているのは周知の事実。何と言っても彼は最近、氷華ファンクラブ(非公認)を無理矢理乗っ取り、会長の座を奪う事に成功している。


「でもさ、何か普通の喫茶店じゃつまらないよね」

「確かに一理あります。それに、他から要請されてそのまま言いなりというのも癪ですし」


 スティールとディアガルドの意見をきっかけに、クラス全体から「あ、それわかるー」「やるならもっとインパクトあるのにしたいよね」「いっそ、他のクラスの期待裏切ってみるとか?」と様々な意見が出始めた。収拾がつかなくなりかけているクラスの意見を黙って聞きながら委員長は「そうなんです……」と声を絞り出す。


「僕的にはお化け屋敷をやり、お化け役に徹して女子のお客さんをを合法的に触りたかったのに! その計画が台なしなんですッ!」

「そんな不純な動機、どうかと思う」

「犯罪ですよ」


 太一とディアガルドが静かにツッコミを入れるが、委員長は耳も貸さず「なので、僕等も他のクラスからの期待を裏切ってやろうと思います!」とクラスの面々に提案した。


 そして、黒板に大きく書かれた文字が「女装・男装喫茶」である。



 ◇



「確かにこれは凄く期待を裏切る結果になると思うけど――やっぱりどうかと思うな」


 縦ロールのウィッグを掻き上げながらスティールは溜息を吐いた。ドレスを着込んだ彼は一国の姫のような雰囲気で――女子からは黄色い悲鳴と感嘆の溜息が零れる。


「スティールくん……じゃなくて、今日は“クリスティーナ”ちゃんだっけ。似合ってるね」

「僕より“ティア”の方が似合ってるよ。だって“ティア”、あいつに髪も顔も弄ってもらってないし」


 そう言いながら指をさす先には、長い足を組みながら椅子の上に座るディアガルドが居た。眼鏡をくるくると回し、長いストレートの髪が揺れる。男性陣の中で彼は唯一、京羅によるメイクなし――素の姿だった。


「全く、自分でもこれはこれでどうかと思いますよ。あ、“太子”さん、杏仁豆腐は買ってきてくれました?」

「ほら、買ってきてやったよ……はあ。それと“イリカ”にはこれ」

「お、サンキュー」


 そう言いながら特に変わった様子もなく、休憩中のホステスのような風貌でジュースを飲むカイリの姿を呆然と眺めていると、彼は「何だよ、夢東」と不機嫌そうに口を開く。明亜は少しだけ驚いたようにしながら、素直な感想を述べた。


「いや、君はこういうの真っ先に嫌がりそうだと思ってたから……なんか意外で」

「ああ、勿論嫌だぜ。俺だってせっかくの祝日に学校なんか行きたくないっての……」


 盛大な溜息を吐きながら「できる事ならずっとゲームしてたい」とぼやくカイリを見て、明亜は「じゃあどうして?」と首を傾げる。


「情報ネットワーク研究部」

「?」

「そいつ等が自作ゲームの体験コーナーやるらしいんだよな。ゲームと言われちゃ行くしかないだろ?」

「へ、へぇ……」

「こんな服装は嫌だけど、それもゲームの為と思えば乗り切れる」


 目に炎を宿しながら力説するカイリに、明亜は苦笑いを浮かべた。もしかしたらカイリはこのままの恰好で他の出展も行くのかもしれない。明亜は「意外と順応性が高いんだなぁ」と素直に感心していた。


「けど特別講師で僕も手伝ったから、そう簡単にクリアさせないけどね」

「あ、法也」

「今日は法也じゃなくて“ミナミ”ちゃんだよ。それより今日はノアくんきてくれるかなぁ……」


 いつも学校では長い前髪で目を隠し、常に人を寄せ付けないオーラを放っている法也だったが、今日は前髪を豪快に上げ、可愛らしく髪を二つに結っていた。普段の姿とのギャップからか、一部の女子の母性本能を擽っている。


「水無月さん情報だときてくれるらしいけど――何時にくるのかなぁ」


 背景に花を咲かせながら想いを馳せる法也の横で、ひたすら黙ってこちらを見ている司らしき人物に気が付き、明亜は「えっと……司?」と恐る恐る声をかけた。何故か全く動かない。まるでマネキンのようだ。


「私ノ名前ハ“タキ”。ヨロシクネ」

「……は?」

「私ノ名前ハ“タキ”。ヨロシクネ」


 機械のように表情を変えず、ひたすら復唱する司を見て明亜は一歩後ずさる。すると法也が「京羅にそれ以外喋るなって言われてるからだよ」と助言した。確かに普段の司だったら「こ、こんな女みてぇな服なんて着れるか! 最強の男である俺は死んでも絶対にやんねぇ!」と全力で拒否するだろう。

 だが、司が大人しく従う理由は――惚れた女の言葉だからか。


 ――と言っても、そもそも京羅は……。


 男である。しかも残念な事に、その事実を司は知らない。これも“知らない方が幸せな事”なんだろうな、と明亜は内心で思った。



 ◇



「さーて、できたわよおチビちゃん」

「おばさん時間かかりすぎだよー!」

「今日は“お兄様”って言ってもいいのよ?」

「……た、確かにちょっとかっこいいけど……ティル兄みたいで」

「!?」


 そう言いながら更衣スペースから出てきた二人の人物を見て、明亜は「へえ、本当にスティールくんみたいだね」と呟き、スティールはソラシアの一言で言葉をなくした。

 上の方で髪を結い、少年貴族のような煌びやかな服を身に纏うソラシア。まるで普段のスティールのように髪をセットし、物語の王子役のように豪華な衣装を着こなす京羅。


 その姿を見て女子たちは歓喜し、普段とは違う二人の姿に一部の男子も頬を染めている。その中で唯一、額に怒りマークを浮かべているのはスティールだった。彼は京羅を睨みながら「ねえ、それはどういうつもり? パクり? 僕のパクり?」と口を開く。


「別にそんな事はないわよ。ただ、あんたの悔しがる姿を見たかっただけ」

「斬る」

「そんな物騒な事言わないで、“クリスティーナ”。君には笑顔が一番似合ってる」


 即座に役に入りこむ京羅を見て、ソラシアも慌てて「“ティー”ナお姉様、“ウェスト”さんの言う通りだよ!」 と彼を見上げて訴える。


「“ティーナ”お姉様、今日は“ウェスト”さんと一緒に楽しもう?」

「くっ……“ソラ”にそう言われちゃしょうがない――だけど私はこんな男認めませんからね!」

「認めてもらえるように努力しますよ、“ティーナ”お義姉様?」


 早くも役者顔負けの寸劇を見せる三人を見て、太一は「どんな設定?」と呟いた。すると隣でディアガルドが「あの三人は中世ヨーロッパのドロドロした感じがテーマらしいです」と告げる。


「さて、次は明亜の番ね。こっちきて」

「え、ちょ――まだ心の準備が!」

「そんなのいらないわよ。女は度胸。ほら、ちゃきっとしなさい」

「僕、男なんだけど……?」

「今から女になるんだし、そんなのいちいち気にしない」


 ――そこは京羅じゃないから気にするよ……。


 心の中で主張しながらも、明亜は京羅に引き摺られながら別室へと移動させられてしまった。



 ◇



 鏡に映る自分の姿を見つめながら、明亜は改めて「京羅って凄い……」と呟いた。寝癖もなくなり、小綺麗にセットされた髪。少し違和感はあるが、メイクによって普段の自分とは雰囲気も違って見える。鏡に映る自分の姿は、喋らなければ正に女子だ。


「“アズマ”ちゃん――か」


 鏡の中で苦笑いを浮かべている自分に複雑な心境を抱いていると、後ろから「あれ、もしかして夢東くん?」と声が聞こえた。その声を耳にして、明亜は咄嗟に「氷華ちゃん!」と振り返る。そこに現れた人物は、何故か明亜に対して片膝を付きながら赤い薔薇を差し出していた。


「今日の私は“氷河”だよ。へい彼女、これから暇? ちょっと一緒にアイス食べに行かない?」


 琥珀色の長髪をウルフカット風にセットし、華麗にスーツを着こなしている氷華の姿に明亜は瞳を奪われる。心なしか煌めいて見える。しかし彼女の言葉のチョイスが雰囲気を粉砕していた。


「……氷華ちゃん、そのキャラはどうかと思うよ」

「あれ? ホストってこんなんじゃないっけ」

「どっちかって言ったらナンパ男かな」


 頭を悩ませながら「うーん、難しいなあ。スティールに訊いてみよ」と呟く氷華を見て、明亜は「あ、氷華ちゃんの中でスティールくんはそういうポジションなんだ」と確信する。


「ま、今日はお互いに楽しもうね」

「う、うん……そうだね」


 ――氷華ちゃんと、二人……これはチャンスかも!


「あのっ、氷華ちゃん!」


 意を決して明亜が声をかけようとするが、京羅の「ちょっと小娘、あんまりうろちょろしないの」という声に遮られてしまった。明亜は思わず言葉を詰まらせ、一方の氷華は「はーい」と言いながら京羅の元へ向かうべく足を動かす。


「あ、そういえば夢東くん、さっき何か言いかけた?」

「いや、何でもないよ……また後でね」


 笑顔で氷華を見送ってしまった自分に対し、明亜は心の中で「僕のバカ!」と激しく落ち込んでいた。


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