第121話 青年と物騒な友人



 ――SATURDAY 12:00


「なるほどな、そこから太一のトラウマが始まったのか」

「別にトラウマにさせようとは思ってなかったけど」


 アイスカフェがなくなってしまったタイミングで、青年――水無月凍夜は店員に追加注文のジェラートを頼んでいた。

 今まで凍夜の話に耳を傾けていた男――シンは苦笑いを浮かべると、続けて「だが、太一にとってお前はかなりのトラウマみたいだぞ」と告げる。




 凍夜が太一に対して取った行動は、主に二つあった。


 まずは見えていなかった他人を理解させる事。

 誘拐犯の情報を得る為に同級生を脅した太一の攻撃は、特に瀬尾に重傷を負わせてしまっていた。親戚がこんな事件を起こしたという罪悪感と責任感、そして太一に対する恐怖心で、瀬尾は以前に比べて人が変わってしまったように大人しい性格に豹変していた。


 瀬尾の折れた腕と、自分に対する畏怖の瞳を見て、太一自身もやっと事の重大さに気付いた。言葉を失う太一に対して、凍夜は「逃げちゃ駄目だよ、太一くん」と無理矢理にでも脅える瀬尾を直視させる。

 凍夜はまず、“他人に影響を与えてしまった今回の太一の行動や、他人が抱いた太一に対する恐怖を本人に理解させた”。


「それが原因で、太一は剣道を辞した」

「太一くんにとってはかなりショックだったんだろう。スポーツの技術で他人を傷付けた事を理解したから」

「だが、二つ目の教育は必要だったのか?」

「壁が必要だと感じたんだよ。それにあれは俺の方がしんどかった」




 水無月兄妹誘拐事件がきっかけで剣道を辞した太一だったが、実は他の分野でもかなりの才能を持っていた。特に武道の才が極めて高い。

 しかし、このままでは再びあの事件のように暴走してしまうかもしれない。

 そう危惧した凍夜は、二つ目に“太一にとっての壁になろう”と努力した。


 凍夜に習いながら太一も趣味で弾いていたピアノは、それこそ圧倒的な実力差を付けて。

 太一が一日で的に矢を当てられるようになれば、凍夜は一日で的の中央に三本の矢を当てた。

 太一が柔道部員相手に勝ち星を奪えば、凍夜は柔道部の主将をどうにか投げ飛ばす。これは本当にしんどかった。

 壁になる為に凍夜は日々努力し、太一が陸上に興味を示したところで凍夜は「陸上なら間違った使い方はないだろうし大丈夫かな」と確信。やっと壁になる事をやめた。


 だが、圧迫が祟ったのか――凍夜は壁になると共に恐怖心も植え付けてしまったらしい。昔とは少しだけ関係性が変わってしまい、凍夜は少し落ち込んだ。




「恐らく太一が陽光の属性を持っていたのはこれだろう」

「確か、大きな困難を乗り越えた者が――って奴?」


 太一が持つ陽光系の属性。大きな困難に絶望し、それを自ら乗り越えた者こそが陽光の属性を宿す。これによって太一はワールド・トラベラーに選ばれたと言っても過言ではない。

 他にも理由はあるのだが、この大きな要因の一つは、大本を辿れば凍夜が原因と考えてもいいだろう。


「つまり、太一がワールド・トラベラーになったのは凍夜が原因でもあるな」

「俺の努力を踏みにじりやがって。よくあの二人をとんでもない事に巻き込んでくれたよな」

「まあまあ、落ち着きたまえ。……ところで、氷華の方の教育は?」


 シンの問いかけ、凍夜は「ああ、氷華は」と思い出したように口を開く。




 凍夜が氷華に対して取った行動は、一つだけだった。


 あの事件以降、氷華はまるで自分自身の事は何も見えていないように行動している。だったら、他者から水無月氷華という存在をきちんと提示すればいい。


 一度経験してしまった恐怖心はなかなか払拭できず、氷華は事あるごとに凍夜の心配をするし、自分が護ると主張するようになった。それに対して凍夜も、事あるごとに全力で氷華を護り、「お兄ちゃんが氷華を護るから」と言い聞かせたのだ。様々な障害や危険から跳ね返す鏡になる。

 そうして氷華を護る事で、凍夜は“他人の中に映った自分の存在を氷華本人に理解させようとした”。

 後は頃合いを見て、“氷華が自分を犠牲にする行動は、他者を悲しませると理解させようとした”のだが――彼女は一筋縄ではいかなかった。




「氷華はちょっと意地っ張りでね。最終的に「氷華が凍夜お兄ちゃんを護るから、凍夜お兄ちゃんも氷華を護って」という約束で納得させたよ」

「それで、事あるごとに甘やかしたり護ってりしてたら――氷華はブラコンになった、と」

「まさか自分もここまでシスコンになるとは思わなかったけど」


 幼少期から常に凍夜に護られた氷華は、事あるごとに凍夜が世界一と認識するようになった。そして常に自分を慕い、小さな体で懸命に護ろうとしている氷華を見て――凍夜も氷華をかなり溺愛するようになってしまったらしい。

 ちなみに、現状は氷華のブラコンより凍夜のシスコンの方が凄まじかったりする。


 その後、仲睦まじすぎる水無月兄妹は次第に周りからも色々な意味で有名になり――凍夜も海外でのプロデビューを誘われていたところだったので、泣く泣く距離を置いてみる事にしたのだ。

 凍夜は少しホームシックに陥った。


「氷華は結構自律している気もするが、むしろ凍夜の方が氷華離れできていないな」

「自律はさせる気だけど、自立はさせなくてもいいかなって」

「まあ、本人がそれでいいなら私は何も言わないが」


 ――あの歳で太一や氷華の“真実”に気付き、即座に行動に移せる凍夜の方も、私は異常の部類だと思うが。


 シンはどこか楽しそうに笑みを零しながら、「ワールド・トラベラーの過去と、性格の根本がわかった気がしたよ」とカップを置き、そのままガタリと椅子を引く。その様子を見て、やっと帰ってくれる気になったのかと思った凍夜は、手袋で護られた右手をひらひら振りながら「もう貴重な休日を邪魔しないでくれよ」と悪態を吐いていた。


「秘密を共有した友人だろう? たまには大目に見てくれ」

「勝手に覗いてる癖に、秘密も何もないだろ」


 すると凍夜は「あ」と呟き、何かを思い出すように「そういえば、この前の話で少し気になった事があるんだけど」と続ける。


「神権ってのを剥奪されたらどうなるんだ?」

「簡単に言うと、人間と同等の存在になるという感じかな」

「ふーん。じゃあ、もしもお前の神権を奪う事ができれば、俺でもお前を殺せるって事か」

「私はお前に気を許しているからここまで教えてやったんだ。物騒な事は考えないでくれよ」


 くすくすと笑いながら遠ざかる背中を眺め、凍夜は小さく溜息を零す。タイミングよくやってきた店員から追加注文のジェラートを受け取り、凍夜は一口掬って「やっぱり味は申し分ないな」と静かに感想を述べた。

 そのままふと視線を上げ、シンがわざと置いて行ったであろう箱を視認する。

 ティッシュ箱程度の大きさだろう。


 何か面倒な予感がしたので、手に取るか迷ったが――シンの事だ。このまま置いていけば、「手に取れ」と言わんばかりに、凍夜の行く先々でその箱に会う事になるかもしれない。

 観念した凍夜はすっと手を伸ばし、箱を手繰り寄せる。中身を確認して――凍夜は眉を顰めた。

 やはり、面倒事の予感がする。


「物騒な事は考えるなって言っておいて……友人に対して、こんな物騒なもの贈るかよ?」


 太一の壁となる事や氷華を護る事、プロとして活動するようになってからは更に多忙を極めた為、凍夜にとって友人と呼べる存在はごく僅かしか居なかった。


 ――その貴重な友人が、この世界の神なんて胡散臭い存在になろうとは……過去の俺が聞いたら絶対に信じないだろうな。


 自嘲気味でそんな事を考えて口元を吊り上げながら、凍夜は「きっと役立つ日がくる」というメッセージと共に友人から贈られた拳銃をそっと懐に隠す。


「ま、たまには大目に見てやるか」




 そして数分後、シンが飲んでいたエスプレッソ――モーツァルトカフェの代金がちゃっかり自分に請求されている事に気付き、凍夜は「やっぱり友人やめようかな」と迷うのだった。


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