第84話 回想と秘密の共有


 ――WEDNESDAY 12:40



「ちょっと、ちょっと――一体どうしたの氷華ちゃん!」

「…………」


 バタンと勢いよく扉を閉めると同時、氷華はパッっと明亜の手を離した。普段の彼女とはまるで別人のような剣幕の氷華は、明亜の事を睨み付けるようにじっと見据えている。


 無理もない。氷華にとって“それ”は仲間内以外には知られていない秘密であり、ましてや言いふらした事もなかった。もしも“それ”を知る者が居るとすれば、シンの関係者か――自分たちを念入りに調べ上げた、もしくは仲間から情報を吐かせた敵である。


「誰から訊いたの、“それ”」

「“それ”って?」

「“ワールド・トラベラー”って」


 その言葉を聞き、明亜は若干焦りの表情を浮かべながら「ああ、噂だよ」と答えた。


 ――ここは無理にでも詮索するべきか……いや、執拗に訊いて逆に怪しまれても困るか……。


 内心でどうするべきかと葛藤しつつ、明亜を睨み付けるように悩んでいると、「そんなに難しい顔して、どうしたの?」という明亜本人からの指摘に氷華は驚いたように我に返る。慌てて「ちょっと、気になって」と続けると、明亜の方も「ふーん?」と少し怪しんでいる様子で笑っていた。


「僕も噂で聞いただけなんだけど……一体何だろうね? ワールド・トラベラーって」

「直訳すると……“世界を旅するもの”だね」


 まるで客観的な目から述べたように氷華は返答すると、琥珀色の目をすっと細めながらフェンスに身体を預けた。熱風が吹き抜ける晴天を見上げ、懐かしむように屋上に佇む。


 丁度、こんな風に澄み切った快晴の日だった。

 ゼンたちと運命の出会いを果たし――太一と氷華がワールド・トラベラーになった日も。


 回想に耽る氷華の隣で、明亜も空を見上げながら楽しそうに「今日は綺麗な青空だねっ。何だか気分も晴れてきたよ」と呟く。


「……ねえ、氷華ちゃん」


 明亜に対してどこか違和感を覚えている氷華は、なるべく彼と話したくなかったのだが、自分で連れ出した手前ではそう無碍にもできない。ぼんやりと青空を見上げながら、目線は合わせようとはしなかったが――仕方なく会話には付き合う事にした。


「何?」

「氷華ちゃんの夢って、なーに?」

「夢?」

「思い浮かばなかったら願い事でもいいんだけど。将来はこうなりたいとか、こんな事をしたいとか、心の奥底の願望」

「随分唐突だね」


 突然の質問に戸惑ったものの、氷華は「夢かあ……」と思案する。約十秒後、氷華は「世界平和かな」とだけ述べた。


「ははっ、凄い凄い。今時そんな事を平然と言っちゃうなんて、偽善者とか教祖サマとかみたいだね? 氷華ちゃんって何者?」

「只の普通の女子生徒だよ」


 氷華の発言に揚げ足を取りながら笑っていたものの、明亜は一呼吸置いて「それで」と落ち着いた声色で再度問いかける。


「本当の夢は?」

「……秘密だよ」

「また自分で調べてみろってやつ?」

「そう言う事」

「氷華ちゃんは秘密が多いなあ。全部暴いてみたくなるよ」


 どこか怪しむ様子の明亜を気にする素振りもなく、氷華は少し頬を緩ませながら、ぽつりぽつりと言葉を紡いでいく。そのまま氷華は珍しく自分の事を語り始めた。


「身近にね、凄くかっこいい人が居るんだ」

「……もしかして太一くん?」

「違うよ、太一じゃない。その人は世界一だから。太一の四十五万倍はかっこいい」


 氷華はまるで自分の事のように自慢気に、とあるひとりの人物を思い浮かべていた。


「小さかった頃、七夕の時に「夢って何?」って訊いてみたら、その時は「氷華でもそれは秘密」って教えてくれなかった。でも、短冊には「ピアノを弾く人」って書いてあって。どうして秘密って言ったんだろう? ってずっと疑問だったんだ」

「ピアノを弾く人って事は、ピアニスト? 先生とかじゃないんだね」

「教えるのは苦手なんだって。えっと、それで数年後――その人は本当にピアニストになったの。実力が認められて十代でプロデビュー。今じゃ海外公演で大忙し」


 明亜にとってはいまいち現実味がなく、信じ難いような話だったが――本当に嬉しそうに話す氷華の表情を見て、嘘偽りはないのだろうと確信する。それに明亜にとっては、こんなに楽しそうな表情で語る氷華は初めてで、少しだけ呆気にとられていた。


「ある時に「夢が叶ったね」って言ったら、暫く呆然とされちゃって。どうしたんだろうって思ったら、こう言われたの。「ああ、そういえばそうだっけ」って。その人ね、短冊に書いた事は本当の夢じゃないんだって」

「え? ピアニストになったのに?」

「本当の夢は秘密にしておきたかったらしいの。だけど何も書かないで詮索されるのも面倒だったから――前に私が「ピアノ弾いてる姿かっこいい」って言った事を思い出して、その時は「ピアノを弾く人」って何となく書いたんだって。でもね「例え嘘でも、そう書いた手前、叶えないのは格好が付かない」って思ったから、本当にピアニストになったらしいよ」


 遠くの空を見つめながら、氷華は「びっくりしたけど……凄くかっこいいと思った」と笑う。敬愛か恋慕か、それ以外か――氷華が想っている感情の正体はわからないが、それでも――氷華にとって、その人物は大切な存在であると明亜は理解した。


 もしも、その人物をどうにか――と策謀している横で、氷華は「だからね」と続ける。


「私もその人に習って、本当の夢は秘密にしておこうかなって思って。誰にも左右されず、自分を信じてまっすぐ突き進んで……夢を叶えるんだ。叶えた頃になら誰かに教えてもいいかなあ」

「…………」

「それに、秘密の一つや二つあった方がかっこいいし!」


 氷華は悪戯っぽく明亜に笑いかける。その笑顔を見て、明亜はきょとんとした表情を浮かべながら「氷華ちゃんが僕に笑ってくれたのは初めてだね」と言うものだから、氷華は少し照れながら目線を逸らして口を尖らせた。


「と、とにかく! 私の夢は秘密って事!」

「だけど」


 そのまま明亜は「だけど、秘密を共有できるっていうのも僕はいい事だと思うよ」と続け、とても穏やかな笑みで述べる。いつもの自分の本性を隠しているような似非王子スマイルではなく、明亜の心の底からの笑顔を初めて見た氷華は「秘密を共有か――そうだね。それもいいかもね」と同じように笑っていた。



 ◇



 ――WEDNESDAY 15:00



 アキュラスはひとり、軽快な足取りで陸見山へ向かっていた。意気揚々とした表情で陸見山の頂上を目指す彼は、果たし状をもらってここまできたとは誰も予想できないだろう。


「さあて、約束の時間だ……一体どんな奴がくるのか楽しみだぜ」


 彼は生粋の戦闘マニアである。彼が正式にシンの傘下に入ってからは、いつも太一やカイリと疑似戦闘をしては毎日特訓に明け暮れていた。それが彼の生き甲斐でもあり、彼なりの人生でもあるのだ。

 日頃から戦いを求めているそんな彼に届いた一通の果たし状。見知らぬ新たな敵を前に、アキュラスは歓喜せずにはいられなかった。


 すると彼の前でざすっと土を踏む音が鳴り響き、アキュラスが顔を上げると――小柄な少年が悪戯でも仕掛けたようにけたけた笑っている。幼さの残る顔に群青色の髪、そして何かの隊服のような服装が特徴的の少年。一本に結んだ長めの前髪は、まるでクジラの潮のようにぴょんっと跳ねていた。


「おいガキ、今からここは戦場になる。さっさと離れな」 

「ボク、ガキじゃないよー?」


 そう言って人懐こそうな笑顔を浮かべる少年は、全身を使って謎のポーズをとり、大きな声で叫び始める。


「青く輝く空の下、悪を捕える正義の戦士……タイホブルー、只今参上!」

「…………」


 不審な言動に、アキュラスは暫く言葉をなくしていた。無理もない、果たし状の差出人は“タイホブルー”と書かれていたからだ。それが意味するのは、つまり――。


「まさかとは思うが、お前みたいなガキが……俺に果たし状を?」

「もっちろん!」


 そして指をビシッと指しながら、タイホブルーと名乗る少年はニヤリと挑戦的に笑う。


「警察戦隊、タイホスルンジャーの名にかけて――お前を逮捕するぞ、アキュラス・フェブリル!」

「はあ?」


 すると少年はすかさず目元を守るゴーグルをかけ、警棒のような奇妙な武器を構えながらアキュラスに勢いよく殴りかかった。


 ――ッ、ガキを虐める趣味は、ねえ!


 そう思いながらアキュラスは直線的な攻撃を軽々と避けていると、少年は悔しそうに「きーッ!」と叫んで地団太を踏む。アキュラスは、自分にとってかなり面倒な相手だと瞬間的に察した。話が通じる気配もしないし、何よりアキュラスは子供が苦手だ。


「逃げるな! 卑怯だぞ、アキュラス・フェブリル!」

「って言われてもな……俺はガキと闘う趣味はねえよ」

「さっきからガキ、ガキ、ガキって……ボクを侮辱するなよ……」


 すると少年は警棒の持ち手側のボタンを押しながら「ボクの声に応えよ、ジャスティスケイボー・フォーメーションB!」と叫ぶ。それに反応するかの如く、警棒はみるみる内に変形していき、音と光を放ちながら拳銃のような武器へと変化していた。その様子を見て、アキュラスは「子供の玩具かよ」と呆れて言葉をなくす。


「それにボクは――ボクはお前と同い年だぁぁああ!」

「な――何ッ!?」


 拳銃から発せられた、ミサイルのように自分に不規則に向かってくる銃弾。更には少年と思っていた彼からの同級生発言。驚愕の光景と真実に――アキュラスは二つの意味で声を上げた。



 ◇



 ――WEDNESDAY 15:20



「…………」


 神秘的な空間、その中央に立派に聳える祭壇のような場所で、ひとりの少女が静かに眠っていた。豪勢すぎる天幕付きのベッドの上で、その少女は「うっ」と眉を潜めながら寝返りを打つ。彼女は無意識の内に、ぼそりと一言だけ寝言を呟いた。


「……精霊、危ない」



 ◇



 ――WEDNESDAY 15:30



「けほッ」

「はははっ、参ったかアキュラス・フェブリル!」


 アキュラスは咳込みながら、自分に纏わり付く砂を払う。ぼわっと立ち込める土煙の向こうから、堂々と仁王立ちでアキュラスを見つめる少年の姿が視界の中に映し出された。


「ガキが……調子乗ってんじゃねえぞ」

「見た目で判断して油断したのはそっちでしょ? 自業自得だよ!」

「ぐっ……」


 少年の正論に反論できず、アキュラスは悔しそうに彼を睨み付ける。確かに、見た目で判断して油断したのは自分の方だ。それを自覚しているからこそ、アキュラスは自分自身にも苛立ちを覚えていた。


「それに、ボクはガキじゃないよ」

「ったく、あのチビみたいな事言いやがって――」


 そうしてアキュラスは、仲間のソラシアをふと思い出す。何かを感じ取ったのか、次に少年の顔をじっと見つめた。暫くそれを何度か繰り返している。

 アキュラスの不審な行動に、少年は「な、何だよ!」と焦りの表情を見せながら彼を睨み付けていた。そのまま数十秒間の沈黙が流れ――アキュラスは「まさか、お前」と何か思い当たる節があるように呟く。


「この前の、四人組の――」

「どきっ!」

「あの一番地味な奴か?」

「ぎくうっ!」


 推理とは言えないレベルの、アキュラスの雑な指摘に――少年は固まった。

 陸見学園転入時の自己紹介では、人前で話すのが苦手なのか、地味で暗い印象で――ぼそぼそと挨拶をしていた男。

 しかし現在アキュラスの前に現れた彼は、教室に居る時とは対称的に明るく活発的だ。まるで別人、もしくは別人格ではないかと疑ってしまう。唯一の共通点は、性格に対しては派手すぎる群青色の頭だろうか。そこから当てずっぽうに導き出したアキュラスの予想に、少年は肩を震わせながら小さな音量で「そ、そうだよ」と呟く。


「ボクはお前のクラスに転入してきた南条法也! 文句ある!?」


 少しキレ気味の返答に、アキュラスは「ま、マジかよ」と自分自身で立てた予想が当たってしまった事に驚愕の表情を浮かべていた。あの地味すぎる転校生と、目の前の少年が同一人物とは到底思えなかったが、人は見かけによらないものだとアキュラスは実感する。


 しかし改めて考えてみると、アキュラスの仲間には“そういった”人物が多いのも事実だ。物腰柔らかな見た目でたまに無知な面があるスティール。穏やかな雰囲気から一変、脅威の頭脳力で時には冷徹な作戦をも編み出すディアガルド。それに、軽い印象からは想像もできないような程に病弱なカイリ。幼さが残る見た目に反して、大人染みた考え方を見せる事があるソラシア――。

 アキュラスは改めて、見た目で判断して油断するのは愚かだと悟った。久々に賢くなった気分なので、後日スティール辺りに自慢してやろうとも考えた。


「お前、実はそんな奴だったんだな。ガキっぽい顔だし、しかもその変な服……」

「変って言うな! これは警察戦隊タイホスルンジャーって作品に登場するタイホブルーの由緒正しきコスプレであって――」


 鼻を高くしながら自慢気に語る法也の話が理解できず、アキュラスは全ての内容を右から左へ聞き流し始めた。脳内では「こういうのはチビやハンカチたちの専門だろ……」と静かにツッコミを入れる。


「とにかくッ! ボクはお前を倒す……アキュラス・フェブリル!」

「ん? 話は終わったか? 俺はガキと闘う気はねえが……どうすっかな」


 アキュラスは再度溜息を吐いていると、法也は再び警棒のような謎の武器のボタンを押し、魂を込めて叫んだ。


「ファーメーションZ! 出でよ、タイホロボ!」


 ――――ドオオォォォン!


 彼が叫ぶと、みるみる内に二人の上空が陰り――機械的な何かが降り注ぐ。それはまるで、ノアたちがかつて闘っていた科学者が操る戦闘ロボットのようだ。アキュラスは実際にそれを見ていなかったが、その時に潜入していたディアガルドから聞かされた話を思い出し、静かに「嘘だろ……!?」と声を漏らす。目の前に広がる異様な光景は、まるで本当に自分がアニメやゲームの中に入ってしまったような感覚で、アキュラスであっても驚愕の色を隠せない。


「覚悟!」


 直後――巨大な“タイホロボ”に乗り込んだ法也が、アキュラス目掛けて襲いかかってきた。


「必殺・タイホブラスター!」

「あ、あっぶね!」


 びゅんっという高熱レーザーを間一髪でかわし、アキュラスが恐る恐る足元を見ると――そこはしゅうしゅうと音と煙を立て、無残に抉り削られている事が確認できた。自分にとっては未知の領域の強敵――“タイホロボ”を前にして、今までやる気をなくしていたアキュラスの心が疼き始める。


「壊し甲斐がありそうな、巨大機械……」

「さっさとボクに倒されろ!」

「……面白いじゃねえか」


 アキュラスは突然「ははっ……あははははッ!」と声を上げて笑い出し、それを奇行に感じた法也は、操縦の為に動かし続けていた手を咄嗟に止める。狂気染みたアキュラスは、ギロリと目を輝かせながら「いいぜ、面白い……てめえのその機械、俺がぶっ壊してやる!」と叫ぶと、彼はどこからともなく現れた火を操りながら“タイホロボ”に向かって走り出した。


「!」


 ――遂に本性を現したな……アキュラス・フェブリル!


 法也は操縦ボタンをせわしなく押し続け、重い拳をアキュラスに向かって突き出す。するとアキュラスも同じように炎を纏った右の拳を突き出し、“タイホロボ”とアキュラスの拳は激しい音を立ててぶつかり合った。


「なかなか、やる……じゃねえか!」

「そっちも……流石、闘いの中に生きてるって感じだね!」


 切れ長の瞳を大きく開き、アキュラスは法也に「どうしてその事を知っている」と言わんばかりの表情で見つめる。一方の法也はニヤリを笑いながら「ボク、お前の事を全部知ってるよ……アキュラス・フェブリル」と静かに口を開いた。予想もしなかった言葉を前に、アキュラスは「てめえ、何者だ?」と声のトーンを落として問いかける。


「“情報屋”、南条法也……アキュラス・フェブリルの事は調査済みだよ。昔はこう呼ばれて忌み嫌われてたんでしょ? “殺戮の炎”って」


 そして法也は、自分の事のように淡々と語り始めた。闘いの中で生きる事しかできなかった、アキュラスの悲痛な過去を。

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