番外編7 光を往く者 闇を往く者



 魔法陣の中心で、氷華は「ノア、本当にいいの?」と問いかける。氷華にとっては重要な事でも、ノアにとっては特に気にならない事らしい。


「そう何度も訊かれると、失敗するつもりなのかと思う」

「そ、そんなつもりはないけど!」


 再度精神を落ち着かせ、氷華は己の魔力を練り上げる。氷華の魔力に反応するように、足元の魔法陣は淡い輝きを放ち始めた。


 氷華は今、空間転移の魔術を発動しようとしている。しかも、屋内から屋外へちょっと移動する規模のものではなく、世界間を移動する大がかりなものだ。

 以前、この規模の空間転移魔術を氷華は発動していた。しかしその時は、彼女の師匠であるゼンと共に魔術を発動したり――体内に隠されていた神力石の欠片の魔力を利用していた時だ。

 つまり、本当に氷華の力だけで発動するのは、今回が初めての試みである。


「ふう、たぶんこれで大丈夫」

「安心しろ。例え魔術が失敗して訳のわからない世界に飛ばされても、僕が居れば問題ない」

「行きで失敗しちゃうと、帰りも失敗しちゃう可能性大だけどね」

「その時はその時だ」


 ポジティブなノアの発言に心が軽くなった氷華は、「ふふっ、一度行った事ある場所だから、きっと大丈夫」と笑いかけた。そのままノアと共に魔法陣の前に立った氷華は、己の魔力を解放しながら静かに詠唱を始める。


「『時空よ、我が声に応えよ。光路を具現し、異界へ繋ぐ道となれ』」


 ノアとアイコンタクトを取り、氷華は呪文を口にした。


「『トランスポゼ』」


 刹那、魔法陣は眩い光を放ち、二人はこの世界から姿を消す。その様子を空から見守っていたシンは、優しく微笑みながら「大丈夫。お前の魔術はもう、その規模はとっくに超えているよ」と呟いた。



 ◇



 氷華が恐る恐る瞳を開けると、目の前には少し荒れた大地が広がっていた。少し先には犬の群のようなものが見え、氷華は「あ、犬だ」とぼんやり観察を始める。五秒くらい眺めていると、その犬の群れは、次第に大きくなっている気がした。つまり、こちらに向かってきている。


「意外に大き……い……?」


 ――――バサァッ!


 その瞬間、氷華は驚愕した。犬の背には翼が生えていて、空を飛び始めたのだ。しかも、氷華に向かって鋭い牙を立てながら。その犬からは、血のような臭いがした。


 ――「大きな黒い鳥とか、狼に乗った鴉とか。羽の生えた人喰い犬とかも居るんだって」


 まるで走馬灯のように過ぎる言葉に、氷華は顔を蒼くさせながら「ひぃっ!?」と声を上げる。自分に襲い掛かるそれ等は、以前説明された人喰い犬なんだと理解した。


「はあぁっ!」


 ――――バキィッ!


 盛大な破壊音が聞こえ、同時にノアの声が耳に入る。氷華の悲鳴で咄嗟に目を覚ましたノアは、勢いよく人喰い犬を蹴り飛ばしていた。目を擦りながら、ノアは「科学者共の襲撃で目覚めた時並に最悪の目覚めだ」と悪態を漏らす。仲間の一匹が倒された事で、氷華とノアを完全に敵と見做したのか、人喰い犬たちは再び二人に襲い掛かろうとしていた。


「くるぞ、氷華!」

「うん!」



 ◇



 数匹の人喰い犬たち倒した二人だったが、これ以上長引かせて仲間を呼ばれても厄介だと判断し、逃走という手段を取る事にした。近くの崖から岩を落とし、落石で砂埃を発生させた隙に、全力で走り抜ける。嗅覚の鋭い犬相手に撒けるか不安だったが、途中からノアが氷華を抱えて走ったので、どうにか逃げ切る事に成功した。氷華だけならば逃げ切れなかったかもしれないが、アンドロイドであるノアの本気は、人間の域を超えている。


「ありがとう、ノア。助かったよ」

「問題ない。それより、この場所は――成功なのか?」

「うん。街の外には行った事がなかったから吃驚したけど、きっと魔術は成功」


 近くに見え始めた街と、少し離れた古城を見据えながら、氷華は苦笑いを浮かべていた。


「ここは、私と太一がワールド・トラべラーとして初めてきた異世界」



 ◇



 最初はこの世界にきた時に世話になった者たちへ挨拶をしようかと思ったが、氷華はその考えを改めた。今日は、彼等に挨拶をする為にきた訳ではない。しかも太一も不在だ。


 ――セリたちに会うなら、太一も一緒の時の方がいい。


 異世界間の空間を転移する魔術を練習する為、氷華がこの世界を選んだのは、最初に訪れた異世界だからという理由ではない。この世界には会いたい人物も居るが、それよりも先に、氷華にはやりたい事があった。


 あの頃と比べれば、寂しくなった古城。その近くにある丘の上。そこには小さな石碑が二つ並んでいた。そこに献花を置き、氷華は瞳を閉じる。


「私ね、太一やノア。皆と一緒に、シンと世界を救ったよ」


 氷華の様子を、ノアはぼんやり見つめていた。氷華と石碑の下で眠る人物の関係について、ノア自身は何も知らなかったが、だからと言って詮索する必要もないと思った。


「それで、これからも救ったり護ったりして、頑張るから。皆と一緒に、全部を救えるような救世主を目指すから。だから、どうか見守っていてください」


 暫くしてから氷華は立ち上がり、くるりと振り返りながら「よし! 行こうか、ノア」と微笑みかける。いつもの調子に戻った氷華を見ながら、ノアは「もういいのか?」と問いかけた。


「うん。いつまでも立ち止まってたら、怒られちゃうかも。夢の中とかで」

「夢?」

「そう、夢の中。たまに会えるんだ。だからここで言っても聞こえてないかもしれないけどね」


 くすくす笑う氷華の横を、一陣の風が吹き抜ける。まるで、彼の相棒が笑い、彼が不機嫌そうに眉を顰めているのかもしれないと思った。


「早く行けって背中を押されてるみたい」


 氷華は笑顔を浮かべ、ノアと共に歩き出す。そのまますぐに元の世界へ戻る魔術を発動し、再びこの世界へ別れを告げた。魔力の渦の中、氷華は静かに「行ってきます」と口を開く。それに応えるように魔力はより一層煌めきを増し、幻想的な光を放っていた。



 ――「フォルスと共に、君たちの活躍を願っている」


 ――「無様な死に方しねえか見ててやるよ」







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