第42話 水無月氷華のデート②


 フードコート内の椅子に座り、氷華はメロンフロートをずずずっと啜りながら、昴に対して感心の目を向けていた。


「それにしても昴さん凄いよね! 飲み込みが早いというか、要領がいいというか。何でもすぐに覚えちゃうんだもん」

「洞察力と記憶力には自信があるつもりですが……氷華さんという素晴らしいお手本がいるからですよ」


 自分の能力を褒められ、昴は少し照れたようにはにかんで氷華を見つめる。普段の昴とは変わり、その表情は少し幼く見えて、氷華は「意外な一面発見」と内心で喜々としていた。昴はアイスコーヒーを啜りながら、氷華に「そういえば」と口を開いた。


「先程から気になっていたんですが」

「ん?」

「氷華さんの相棒というのは?」


 その問いかけに、氷華は頬を掻きながら太一の存在を簡単に説明する。家が隣の幼馴染で、サークルでも一緒に闘う同志のような相棒だと。あまりにも氷華が楽しそうに話すものだから、昴は「もしかして、氷華さんの彼氏かもしれない」と少し不安に感じていた。


「この前も、私の事を“大切な相棒”って話してたって聞いたんだ。嬉しかったんだけど、太一ったらすぐにその事実に忘れちゃって、だから私が――」

「…………」

「……昴さん?」

「あっ、すいません。少し考えてしまって」

「?」


 氷華は「どうしたのだろう」と心配そうに昴を覗き込む。そんな氷華を見て、昴は少し躊躇いつつも――心の内で何かを決心したように口を開く。


「その太一さんという方は、氷華さんと付き合っているんですか?」

「え、私と太一が?」


 その言葉に、氷華はぼっと顔を赤くさせ――否定するように慌てて手を振る。氷華の「私たちはそんな関係じゃないよ!」という言葉を聞いて、昴は心の中でどこか安堵している様子だった。しかし、氷華が恋愛に関して無頓着な理由の真実を、この時の昴は気付く筈もない。


「そうなんですか。なら、よかった」

「え?」

「いえ、何でもないです」

「?」


 昴の謎の返答を聞きつつも、氷華は再度、自分と太一の関係を考えていた。昔は氷華もたまに悩んでいた時があったのだが、今の氷華は既にこの関係を結論付けている。氷華くらいの年代は、恋愛に関して多感な頃と思われるが、その基準は氷華には通用しない。恋愛観に関して、氷華は潔い程に割り切っているのだ。その理由に大きく関係がある人物を思い浮かべようとしていた瞬間、今まで何か考えていた昴は「話を聞く限り」と呟いた。


「氷華さんの事を“大切な相棒”と話す。つまりその幼馴染さんは、他人から氷華さんとの関係を問われたのでしょう。関係性を問い質すのは、大方、幼馴染さんに想いを寄せる女性――でしょうかね」

「す、凄い……昴さん、そこまでわかっちゃうなんて」

「当たってますか?」

「うん。この前、えっと……海外チームと交流した試合した時、色々あってお姫様と知り合いになったんだけど……」

「氷華さんの話が一気に胡散臭くなりました」

「う、嘘じゃないよ!」


 そして氷華は、ある程度の嘘や捏造を交えながら前回の任務の事を昴に話し始めた。最終的に「だからサユリさんの夢は、両手で他国と手を取り合う事なんだって」と締めれば、昴は少し真面目な表情で「それは、大層な夢ですね」と言った後、ふっと口元を吊り上げる。少し自嘲のような笑みだった。


「でもね、手を伸ばしたくても伸ばせない時だってあるんですよ。手を取り合うなんて、綺麗事だ」


 昴の言葉を聞いて、氷華はその場で固まっていた。突然、後頭部にボールをぶつけられたような、そんな衝撃が走る。このタイミングで、そこを否定するとは予想もしていなかった。昴の少し暗い一面が垣間見えた気がする。


「……氷華さん?」

「えっ、あ、何でもないよ。ちょっと驚いちゃっただけ」


 氷華は誤魔化すようにメロンフロートを啜り、長めのスプーンでバニラアイスを口へ運んだ。冷たい甘さが広がり、一気に冷静な思考に戻れた気がする。そのまま氷華は、冷静に考えた。


 確かに、誰しもがサユリを肯定する訳ではないだろう。光には影があるように、必ず反対の事象が存在する。人間は全員、同じ考え方をしているなんてありえない。だから、サユリの考え方も、昴の考え方も理解できる。理解はできるが、それでも氷華が応援したいのはサユリの考え方だった。


「昴さんって、本当に鋭いよね。ちょっと怖いくらいかも。色々な視点から物事を考えられる――って表現の方が合ってるのかな」

「ふふっ、僕は氷華さんも意外に鋭いと思いますよ。見た目に反して」


 本日何度目かの“本当は貶されているのかもしれない発言”に対し、氷華は「意外とか、見た目とかは余計だって」と盛大な溜息を零す。しかし、自分のどの発言が鋭いと印象付けたのかは理解できなかった。


「どうして私は鋭いって思うの?」

「強いて言うならば、冷静なところです」


 氷華からしてみれば、友人の発言を否定されたと思い、不愉快に思ってもおかしくはない場面だろう。感情が豊かなら、激昂するかもしれない。だが、氷華は黙って思案していた。最初は戸惑うように固まりはしたが、その後は肯定も否定もせず、冷静だった。


「話を聞く限り、氷華さんの友人でしょう? それを僕は否定した。少しキツめな言い方でね。でも氷華さんは取り乱す事なく冷静だ。恐らく、否定を理解し、一意見として認めている。きっと……それを認めた上で、氷華さんは友人の意見を尊重する。自分の信念もそちらに近いから、と」

「昴さんって探偵みたい」

「気になるだけですよ、氷華さんの事が」


 そして昴は笑いかける。まるで希望を見出すように、期待に目を輝かせるように。


「ねえ、氷華さん。あなただったらどうします? 他人でも敵にでも、あなたはその手を伸ばせますか?」


 氷華はすっと瞳を閉じ、最初の任務の事を思い出していた。敵に対して、咄嗟に手を伸ばせなかった。本当は敵じゃないかもしれないと気付いた時には、その手は届かなかった。でも、今は――。


「昴さん、さっき言ったよね。手を伸ばしたくても、伸ばせない時はあるって」

「ええ」


 氷華は瞼を上げ、凛とした眼差しで昴をまっすぐ見据える。誰に何を言われても、もう折れないような――迷いを振り切った表情だった。


「だったら私は、無理矢理にでもその手を掴むよ。そして、隣を歩くんだ。綺麗事と思われようと構わない。手が届かずに後悔するよりはマシだ」


 その瞳を見て、昴は言葉を失う。氷華の思想は、昴にとっては理想論だ。冷たい現実を欠いている、温かな幻想。叶えられる筈がない、たかが理想にすぎない。その筈なのに。

 誰にも届く事がないと諦めた暗闇の底から手を伸ばし、思わず縋ってしまいたくなる。彼女ならば、本当にその幻想を現実へ変えてくれるような、そんな気がした。まるでその言葉には、魔力でも宿っているような――そんな強い信念が溢れている。迷いを振り切れていないのは、昴の方だった。


「……氷華さんって、一度そうと決めたら曲げなそうですよね」

「うん、たまに言われる」


 揺れる瞳を隠すように眼鏡のフレームを上げ、まっすぐすぎる瞳から逃げるように昴は呟いた。


「でも、そういう人は嫌いじゃないですよ」



 ◇



 氷華と昴は、帰り際に楽器店の前を通り過ぎた。店内から流れる曲に反応するように、氷華はその場にピタッと立ち止まる。そんな些細な反応を見て昴は何か感じ取ったのか、氷華の腕をぐいぐい引っ張り、店内へと向かって足を進めていた。


「えっ!?」

「ここ、行きましょう」


 そして複雑そうな表情を見せる氷華を、昴は半ば強制的に店内へと追いやる。店内には様々な種類の楽器がズラリと並んでいた。ギターやドラム、金管楽器、木管楽器、電子ピアノにアップライトピアノ。少し奥の方にはグランドピアノも並んでいた。

 昴は楽しそうに目を輝かせながら「随分な品揃えですね」と圧巻されたように呟く。氷華もどことなく嬉しそうな様子で「ここのお店ね、有名なピアニストも来店した事あるから、結構気合い入ってる店舗なんだよ」と笑い、店BGMに耳を傾けていた。どうやら今流れているこの曲は、そのピアニストによる演奏CDらしい。氷華は得意気に語りながらピアノの鍵盤にそっと触れると――片手だけだが、ゆっくり、ゆっくり、店内に流れている曲と同じ旋律を奏で始める。


「氷華さん、弾けるんですか?」

「あ、いやっ――私は弾けないよ」


 昴の疑問に、氷華は慌てて手を引っ込めてしまった。すると氷華の姿に気付いた店長が、嬉しそうに声を上げながら近付いてくる。


「氷華ちゃんじゃないか! 久しぶりだね」

「浜谷さん……」

「おおっ、今日は彼女と一緒かい?」

「そんなんじゃな……彼女!?」

「ははっ、冗談だよ。彼氏だろ?」

「いや、それも違いますって」


 氷華は呆れ顔で否定すると、店内から出ようと逃げるように足を動かした。しかし店長は何か目的があるらしく、氷華に向かって「氷華ちゃん!」と呼び止める。顔だけ振り向くと、店長は立派なヴァイオリンを携えて笑っていた。


「これ、入荷したばかりの上物なんだけど……よかったら久々に弾いてみないかい?」

「…………」


 その会話から、昴は氷華がヴァイオリンを演奏できるであろう事を察した。しかも店長の対応を見るからに、氷華はこの店の優遇客なのだろうかと首を傾げる。しかし優遇理由はどうであれ、氷華の演奏に純粋に興味を持った昴は――頼み込むように提案した。 


「氷華さん、僕も氷華さんの演奏聞いてみたいです。あのガサツで逞しい氷華さんがヴァイオリンなんて、全く想像できなくて」

「貶してるよね? それ絶対貶してるよね?」

「店長のご厚意を無駄にするのもどうかと」

「うっ」

「それに先程のパズルゲーム対決では僕が勝ちました」

「わ、わかったよ……少しだけだからね」


 そうして、氷華は店長からヴァイオリンを受け取った。



 ◇



 空も夕焼けに染まり、氷華と昴の二人は陸見公園へ戻っていた。昴が普段働いているキッチンカーでアイスを購入し、二人はそれを食べながら近くのベンチに座って雑談をしている。


「それにしても、先程の氷華さんの演奏はとても素敵でしたよ」

「ありがとう」

「僕のイメージとかけ離れていて感嘆しました」

「私のイメージって一体……」

「ともあれ、あれ程の実力なのに普段は弾いていないんですか?」

「私は――中学に上がる頃に弾かなくなっちゃったから。中学は運動部で忙しくて」

「そうですか」


 昴は「あれ程の腕、少し勿体ないです」と素直に述べていた。しかし氷華はそれに反応する事なく、アイスを食べながら「元気かなぁ」と何かを思い出すように呟く。どこか遠くへ想いを馳せるような表情の氷華を見た昴は、苦笑いを浮かべながら「氷華さんにはまだまだ謎が沢山ありますね」と考え、そのまま氷華の手をそっと握る。突然の行動に、氷華は驚いて昴を見つめていた。橙色の夕日が幻想的に輝き、それが昴の横顔をより一層整った顔立ちへと描き出す。


「今日はこの町の事も、そして何より氷華さんの事も沢山知れて――僕は素直に楽しかったです」

「楽しかったならよかった。お店の発展に協力できたかな……」

「ええ、きっと」


 昴は名残惜しそうに氷華の手を離すと、その場で立ち上がった。夕日の中でもキラキラと星のように輝いている噴水を見つめ、どこか自嘲気味に笑いながら自身の過去を思い浮かべる。幸せで染められた今日の思い出と、苦しみで塗り固められた過去の記憶を比べながら。


「僕は、こんな風に誰かと町を歩く事は初めてだったんです。だから、新鮮で、とても楽しくて、本当に嬉しくて……ここまで人と接する事が楽しいと思った事は初めてでした。これは紛れもない僕の本心です」

「初めて?」

「僕、この町にきたのは……家を逃げてきたからなんです。両親が嫌で、飛び出してきちゃいました」


 そして昴はどこか物寂しげに続ける。ここまで自分の事を語るつもりはなかったのだが――氷華を前にして、無意識に救いを乞うように話してしまった。


「両親は、僕を――僕自身の事はどうでもいいと思っているんですよ。僕の才能を道具としか見ていない。その真実を見て見ぬふりをしながら、何度も両親を喜ばせようと頑張っていましたが……もうね、疲れたんですよ」

「…………」

「だから僕は、執着する事をやめた。両親にも、生きる事にも――抗う事にも」


 昴の悲痛な表情を見つめながら、氷華は「私ね」と口を開く。何となく、今ここで言わないといけない気がした。


「昴さんの家の事とか、昴さんの才能とか、詳しくは知らないけど……」

「…………」

「昴さんは凄く頑張ってきたんでしょ? それなのに、それを見てくれないなんて、親としてどうなのかなって思う。私は親って立場じゃないから、そこまで偉い事は言えないけど……でも、悲しすぎるよ。だから昴さんの両親に会う機会があれば、私が昴さんの代わりに怒ってあげる!」

「!」

「それに、例え両親が見てくれなくても――私は昴さんの事を見てるよ。昴さん自身を、ちゃんと見てるから!」


 今日一日を振り返り、「意外とパンチ力が強い昴さんでしょ、カートで爆走する昴さんでしょ、クレーンゲームもパズルゲームも上手な昴さんに――」と楽しそうに語る氷華に、昴は目を奪われていた。

 氷華は自分の才能ではなく、自分の事を見ると言った。自分の事をひとりの人間として認めてくれている。更には「自分の代わりに両親を怒ってあげる」とまで言ってのけた。一切の迷いはなく、至って真面目に。凛とした、澄んだ瞳で。


 自分が欲しいと願っていた言葉を、こうも簡単に言われてしまい――昴は大きく心を揺さぶられる。駄目だとわかっていながら、昴は縋るように口を開いていた。


「氷華さん、僕は――」


 とても儚げで悲しそうな昴の表情に、氷華はドキッと心臓を高鳴らせた。昴は氷華に近付き、目を逸らさず、まっすぐ真剣な表情で見つめる。


 ――どうして昴さんは、こんなに悲しそうな表情を……。


 しかし昴は「……はぁ」と溜息を零し、氷華の手をそっと離してしまった。そのまま視線を動かし、氷華から少し離れた茂みの方へと移す。


「いい加減出てきたらどうです? 今日一日、散々僕等をつけまわして……全く」

「え!?」


 昴の指摘を聞いた氷華も慌てて茂みに目線を移してみると、ガサガサと激しい物音がしていて――そこから、氷華の見知った人物たちが次々と姿を現した。


「えへへ……ばれちゃった」

「だから俺はやりたくないって言ったんだよ」

「バレちゃしょうがない、か」


 氷華は口をパクパクと動かしながら動揺し、驚きを表すように大きく瞳を見開かせ、数秒後にやっとの思いで言葉を発した。


「な、何で居るの!? ソラ、カイ――太一!」

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