第44話 北村太一の尾行②


 ソラのはしゃぎっぷりに一時は当初の目的を忘れていたが、氷華と昴が楽しそうに話している様子を遠巻きに見つめ、太一は真の目的を思い出していた。衣服を眺めるふりをしながら聞き耳を立てていると、同じように氷華たちの会話を探っていたカイが、太一をフォローするように口を開く。


「相棒とか言ってたから太一の事なんじゃないか?」


 そう言うカイのフォローにも、太一はどこか素直に喜べず――氷華と昴の事を複雑そうな表情で見つめていた。カイは「服、お洋服がいっぱいだよ! 全部着てみたい!」と跳ねるソラに向かって「尾行なんだから静かにしろよ……」と本日何度目かの注意している。


 ふと太一の頭の中に、以前スティールから言われた「氷華ちゃんのナイト気取り」という言葉が頭を過ぎる。その言葉とスティールの顔を頭の中から消そうと、必死にぶんぶんと首を振った。


 前方を歩く氷華と昴をぼんやり見ながら、太一は内心呟く。太一は氷華の事を家族に近い存在、大切な相棒と思っている。それに、氷華は少し特殊な思考回路を持っているので、恋愛には興味を示さないと思い込んで安心していた。


 しかし、今はどうだろう。氷華は昴と楽しそうに話している。あの、氷華が。もしかしたら、このまま氷華が恋愛感情に目覚めでもしたら――氷華が本当の日常へと戻り、共に救世主を目指さなくなってしまったら――。


 太一は、心の内でそんな不安を覚えていた。



 ◇



「な……何だここ」

「あっ、ソラはこういう場所にきた事あるよ! 氷姉の友達と一緒に!」


 茫然しながら、カイはゲームセンターの入り口に立ち尽くしていた。ゲームの筺体が数々と並び、他にもクレーンゲーム、メダルゲーム、仮想現実を体験できるゲーム――カイにとっては、夢のような空間だ。そう、カイの趣味はテレビゲーム。太一のふりをしている間も、家にあるゲームをクリアし尽くした程のゲーマーだった。


「すげー……世の中にはこんな天国みたいな場所があるのか……なあ、太一。俺ちゃんと生きてる? 既にもう死んでる、とかじゃないよな?」

「大丈夫だ、ちゃんと生きてるから」

「そっか……生きてりゃいい事あるんだな、やっぱり」


 心の底から嬉しそうに笑っているカイの隣では、ソラが「氷姉の友達とね、この四角いのの中で写真撮って落書きしたんだよ!」と楽しそうに説明している。どうやらプリクラの事だろう。ソラが想いを馳せながら「今度は皆で写真撮りたいなぁ」と呟くと、夢見心地だったカイが一瞬で現実に引き戻されたように「しゃ、写真!?」と慌てふためく。


「あっ、カイは写真苦手だもんね!」

「あれに写ったら魂が抜かれんだよ!」

「お前はいつの時代に生まれたんだ」


 うろたえながら叫ぶカイの横で、太一は冷静にツッコミを入れていた。そして、ふとショッピングモール入口での行動を思い出し、携帯電話の画像フォルダを見る。


 ――まあ、忘れた頃にでも言えばいいか。


 ひとりで納得していると、カイは逃げるように「なぁ、氷華がやってるあれって何だ?」と、さりげなく話題を変えた。カイには馴染みがないらしく、太一は「ああ、あれは」と顔を上げる。


「パンチングマシーン。サンドバックを実際に殴って、パンチ力を競うんだよ――って、うわ。氷華が新記録出してる」

「わぁっ、流石氷姉だね!」

「へえ、そういう体験型ゲームもあるのか」


 太一が氷華を観察していると、次はパンチングマシーンの前に昴が立ち――昴がサンドバックを殴ると、先程以上の盛大なファンファーレが鳴り響いた。周りのギャラリーからも「おおっ!」と歓声が上がっているようだ。それを見た太一は、どこか対抗心を燃やすようにむっとした表情を浮かべ、二人が去った事を確認し、迷いなく百円玉を機械に投入する。軽快な音と共にサンドバックが立ち上がった。


「太一、それやんのか? なぁ、俺あっちにある格ゲーっぽいのやってみたいんだけど」

「ちょっと待ってろ。俺、あいつの記録叩き潰すから」


 そのまま不機嫌モード全開の太一は、気合を入れるように「はぁ……」と息を吐き、身構える。昴と、ついでにスティールの顔を思い浮かべ、怒りを力に変えつつ、目を見開いた次の瞬間――。


 ――――バキイィインッ!


 ――――ガタンッ


「なっ……」

「わっ、見て見てカイ! やっぱり太一の方が凄いよっ!」


 太一の拳は、サンドバックを機械から吹き飛ばしていた。



 ◇



「なあ、ちょっと気になってたんだけど」


 カイは饂飩を食べる手を止め、太一に向き直る。太一は未だに氷華と昴の様子が気になるらしく、二人から視線を離さずに「何だ?」とカイに返した。ちなみに、ソラはひたすらクレープを夢中で頬張っている。


「太一と氷華っていつからの付き合いなんだ? 結構仲いいし、昔からの幼馴染ってのは聞いたけど」

「ま、そんなところだよ。俺たちがまだ子供の頃に氷華の家が引っ越してきて――そこから家族ぐるみの付き合い」

「そうだよな、家族間で仲いいよな。窓から侵入できそうな距離だし」

「昔、それ試そうとしたら途中で落ちて怒られた」


 カイが「お転婆すぎんだろ……」と呆れる隣で、ソラがもしゃもしゃと口を動かしながら会話に割って入った。興味津々の様子で太一を見て、その後に氷華の方を見つめ、再び太一に尋ねる。


「ねえねえ、二人って昔から今みたいな感じだったの?」

「昔は……いろいろあったりしたけど、あんま変わってないと思うよ」

「え、なになに!?」


 ガタンと席を立ちながらソラは興奮気味で太一に詰め寄った。カイは「バカ! 勘付かれたらどうする!」と言いながらソラを抑え込み、やっとの思いでその場を鎮めている。


 太一と氷華の過去を語る上では、どうしても説明が必要な人物が出てくる。しかし氷華は――特に、ゼン、カイ、ソラの前では――その人物について語ろうとはしなかった。寧ろ、隠している風にすら見えてしまう。恐らく氷華は、その人物をどうしても“こちら側”へ巻き込みたくないのだろう。自分がワールド・トラベラーとして活動している事実を、知られる事すら嫌がっているのかもしれない。

 太一はその人物について考えながら少し顔を蒼ざめさせた後、ソラに向かって困ったように笑いかけた。


「この話はちょっと長くなるから。また今度な」



 ◇



 昴に手を引かれながら、氷華が半ば強制的に楽器店に入って行く様子を太一たちは眺めていた。カイも「さ、俺たちも入ろうぜ」と言って足を動かすのだが、太一がその場から動こうとしない事に気付き、咄嗟に足を止める。


「どうした?」

「これ――」


 店内に流れる曲。それはこの楽器店に稀に顔を出すピアニストが演奏している曲らしい。その曲、その弾き方にどこか懐かしさを感じてしまい、奏でられた音色に魅了され、太一は無意識に立ち止まっていた。黙って耳を傾けている太一の様子を不思議に思い、カイも観察するように太一をじっと見つめている。


「ここ、何かあるのか?」

「凄いね! 本やテレビで見た楽器がいっぱいだよ!」


 カイが疑問視する前方では、楽器店は初体験のソラがまたしてもはしゃぎ、幼い子供のように忙しなく店内を駆け回っていた。もうソラを注意する事を諦めたカイは「バレんなよ」の一言だけで済ませている。するとソラはピアノのコーナーを指さしながら「あっ、太一! ピアノ! 凄いね、白いピアノもあるんだ……あ、こっちのは赤くてかっこいい!」と興味を示していた。


「ピアノにもいろいろあるんだよ」


 やっと我に返った太一がソラに説明している光景を見て、カイはふと思い出したように呟く。太一との修行の帰りや、太一のふりをしている間、カイは北村家に世話になる事が多い。そんな北村家の構造を思い出しながら、カイは何気なく問いかけた。


「そういえば北村家にもピアノあるよな」

「水無月家には太一の家より立派なピアノがあったよ」


 カイの発言を聞いたソラは、同様に水無月家の構造を思い出していた。カイは北村家に世話になる事が多いが、対象的にソラは水無月家に世話になる事が多い。

 しかし二人とも、誰かがそのピアノを演奏している瞬間を見た事がなかった。


「そういえば誰かが弾いてるのってまだ見た事ないかも……氷姉や太一が弾くの?」

「いや、あれは……」


 ――――~~~♪


 刹那、遠方から聞こえた美しい旋律に太一は驚いたように顔を上げる。カイとソラも、音が聞こえる方向を見て、思わず唖然としていた。そこには自分たちのよく知る仲間が――まるで別人のように真剣な表情で、優雅に演奏している姿が飛び込んだ。その姿はあまりにも様になっていて、視覚、聴覚共に彼等の心は奪われる。


「……氷華はあれを弾くんだよ。だからピアノは弾かない」

「あいつ、あんな特技あったのかよ……」

「氷姉、なんだかプロの人みたい!」


 店内の一角で、氷華はとても楽しそうにヴァイオリンを奏でていた。



 ◇



 三人の尾行も遂に大詰めを迎え、陸見学園近くの陸見公園まで戻っていた。ベンチで雑談をしながらアイスを食べている氷華と昴を観察し、三人も緊張した面持ちでぐっと息を殺す。そして、太一は視線は逸らさず――隣に座るソラに静かにツッコミを入れた。


「で、何でソラまでアイス食べてんだ?」

「えへへ、氷姉たちを見てたら美味しそうで、つい!」


 そう言いながらソラは氷華並みに幸せそうな表情でアイスを頬張っていて、カイは横目で見ながら「よくそんなに食えるな……」と溜息を零す。太一とカイは一日中、ソラの自由奔放さに振り回されて疲労しているようだ。尾行というより、ソラと遊びまわった感覚にすら近い。


「それで、奴等の会話聞こえる?」

「聞こえないな……もう少し近付くか?」


 細心の注意を払いながら茂みの中をこそこそ移動し、いざ二人の会話が耳に入る距離まで近付いた、その瞬間――。


「いい加減出てきたらどうです? 今日一日、散々僕等をつけまわして……全く」

「!?」

「お、おい太一……俺たちの事がバレてるっぽいぞ!」

「どどどどうする、太一!?」


 明らかに自分たちに向けている昴の言葉に、動揺が走る。このまま逃げてもいいが、何故か心の中でそれを許さなかった太一は――冷や汗を流しながらも、氷華と昴の前に出る覚悟を決めた。


「えへへ……ばれちゃった」

「だから俺はやりたくないって言ったんだよ」

「バレちゃしょうがない、か」

「な、何で居るの! ソラ、カイ――太一!」


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