第45話 ワールド・トラべラーの心
氷華と昴、太一とカイ、ソラは黙って互いに向かい合っていたが――一番最初に口を開いたのは、意外にも昴だった。
「あなたが、氷華さんの幼馴染さん――ですか」
「よくわかったな」
「え、太一って昴さんと知り合い?」
「いいえ、初めてお会いしましたよ」
昴は太一を量るように見つめ、太一は昴を観察するように見ていた。会話はないものの、どこか冷戦でも始まりそうな――そんな様子にカイは呆れ、ソラは相変わらずいつもの調子でにこにこ笑い、氷華は困った面持ちで二人を見つめている。
「太一さん、ちょっといいですか。個人的に尋ねたい事がありまして」
「ああ」
そして二人はすたすたと足を動かし、噴水を挟んで反対側へ行ってしまった。取り残された氷華はどうしたものかと戸惑い、カイは再び盛大な溜息を零し、ソラは未だに笑っている。
「あの二人、何かあったのかな?」
「下手したらこれから何かあるかもな」
「氷姉は人気者だね!」
氷華はカイとソラの言葉の意味が理解できず、頭にクエスチョンマークを浮かべ、太一と昴が何やら話している方向を見ていたが――ふいに「丁度いいか」と言って顔を上げた。そのままカイとソラに向かって「今の内に、二人に確認しておきたい事があるんだけど」と口を開く。
「もしかして――」
◇
「単刀直入に訊きます。あなたは氷華さんの何ですか?」
「何って、俺は……氷華の……」
昴に対して、太一は妙な威圧感を覚えていた。まるで美女と見間違うような青年に、高圧的な目を向けられているから、思わず動揺してしまう――だけではないだろう。只のアイス屋の美人店員にしては、何故か違和感を覚える。まるで何でも見透かしているような瞳は、一体――。
そんな風に迷っている太一に向かって、昴は淡々と口を開いた。
「ああ、もういいです。わかりました。氷華さんから何となく話を聞いた上での、僕の見解ですけど――あなた、迷っていますね」
「えっ」
「最近、あなたの周りで様々な変化があった。そして、他人からあなたと氷華さんとの関係について疑問視されたのでしょう。一度は相棒と主張したらしいですが――あなたは今、再び迷っている。恐らく、他人からの言葉がきっかけで」
「……ッ!?」
昴の指摘を聞いて、太一は頭の中が真っ白に染まる。まるで自分の心が見透かされているような錯覚を覚えた。酷く戸惑っている太一を見据えながら、昴は容赦なく続ける。
「氷華さんは自分に対する感情に鈍感だ。恋愛事にも特に興味を示さない。そこに関しての理由はわかりませんが――あなたは“それ”に対して安心していた事はわかります。だから他人からの言葉に揺らぎ、僕という存在が現れた事で――かなり不安に思ったんでしょう? 氷華さんが取られてしまうかもしれないと」
図星だった。昴に――他人から指摘されて、改めて思い知らされた。
太一は氷華との今の関係が気に入っていた。まるで家族のような、今のこの距離感が。太一と氷華と、もう一人との奇妙な関係が、心地よかった。だから、その関係が崩れてしまうのではないかと、太一は不安だったのだ。
前回の任務で、サユリは三国との“現状維持”という関係を崩す事を夢見ている。しかし、太一にとっては、この三人の関係は“現状維持”に徹したかった。
「氷華さんの方は既に割り切っています。迷っているのはあなたの方だけですよ。幼馴染さん。あなたは氷華さんを護る事で安心していたんでしょうけど――彼女はもう、護られるだけの存在ではありません」
昴は眼鏡のフレームをカチャリと押し上げる。レンズの奥から菖蒲色の瞳がちらりと垣間見えた。
「これは僕からの忠告です。他人の言葉くらいで自分の信念が揺らぐ程度の男なら、氷華さん以外にも――これから先、様々なものを失う事になるでしょう。そのようにふらふら迷っていては、何も護れない」
太一に近付く昴は、そのまま歩みを止めない。太一とすれ違い、くるりと振り返った。
「次にお会いした時、また同じ質問をさせてもらいますよ、幼馴染さん。いや――」
昴が何かを言いかけたタイミングで、噴水が勢いよく跳ね上がる。水飛沫の向こうで、昴は口元を吊り上げ、再び歩き出した。打ち消された昴の言葉は、太一の耳には入っていない。
取り残された太一は、暫く考えた後に「そう、だよな……」と声を漏らす。誰も聞いていない只の独り言だったが、それでもよかった。自分自身に言い聞かせるように、太一は再確認する。
「氷華はいつまでも護られるだけの存在じゃない。俺の背中を預けて闘う仲間――相棒だ。そして、氷華の相棒の座は誰にも渡さない。この関係を脅かす事は許さない」
昴の喝とも見えるような言葉によって、太一の心の葛藤は決着が着いたらしい。
「誰に何と言われようとも、俺はもう迷わない。次に会った時は、自信を持って断言してやるよ。俺は、氷華の相棒だ」
そして、一歩遅れたものの――吹っ切れたような表情で、太一も氷華たちの元へ戻る為に足を動かし始めた。
◇
「お待たせしました、氷華さん」
「あれ、太一は?」
「太一さんならお手洗いへ」
見え見えの嘘を見破り、カイは昴を黙って睨んでいる。
――明らかに噴水の向こうで固まってんだろ……ってか、こいつ太一に何言ったんだ?
「氷華さん」
「はい?」
昴は氷華の手を包み込むように握り、再び真剣な表情で琥珀色の瞳を見つめていた。一方の氷華は頭にクエスチョンマークを浮かべながら首を傾げる。
「あなたは僕を見ていると言ってくれた、僕自身を認めてくれた。そんな人は初めてでした」
「え? 昴さんは昴さんでしょ? 詳しい事はよくわからないけど……昴さんの才能があってもなくても、昴さんという存在に変わりはないよ」
氷華が当然のように言うと、昴は一度切なそうに目を伏せ――再び静かに向き直った。自分の本心をぶつける為に。言葉の意味を理解していなくても、伝わらなくとも――昴にとってはそれでもよかった。
「時間がないので、正直に言います。僕は、あなたを……いえ、あなたに縋りたくなっている。あなたの澄んだ瞳に魅入られ、まっすぐすぎる心に救いを求めたいと思ってしまった」
「――え?」
氷華は思わず目を丸くさせている。真意がいまいち理解できず、呆然とその場で固まるが――そんな氷華には構わず、昴は表情を崩さずに続けた。
「だけど、今の僕では……あなたにこんな事を言う資格はない。これ以上、あなたに何も求められない。それでも……これだけは言わせてください」
「?」
「僕は本当に……あなたの言葉に感謝しています。これから先、どんな事があっても何も変わらず……あなたは、あなたで在り続けてください」
そして昴は氷華の手を離し、その場から逃げ出すように距離を置く。氷華は昴を呼び止めて言葉の真意を聞き返そうとするが――無理矢理悲しみを隠すような目を見て、言葉を失ってしまった。多くを語らなかった昴は、まるでこれ以上は他人を踏み込ませないとしている風にも見えてしまう。
「短い間でしたが、本当に楽しかったです。ありがとうございました。では、また近い内にお会いしましょう!」
そうして昴は走り去ってしまった。氷華は呆然としながら、カイは面白そうにニヤニヤと笑いながら、ソラはキラキラと目を輝かせながら――昴が立ち去った方向を黙って見つめていた。
◇
「氷姉、どうするの? さっきの答え!」
「答え?」
ソラの問いかけに氷華は二個目のアイスを食べる手を止めた。特にピンときていない雰囲気の氷華を見ながら、ソラは「えっ、あれって愛の告白じゃないの?」と問いかけると、氷華本人が「えっ、そうだったの!?」と驚く。そのままアイスを落としそうになり慌てている氷華とソラを見て、カイは呆れた表情で「お前等、ちょっとは落ちつけよ」と半眼で呟いた。
「縋りたいとか魅入られたとか言ってたから、ソラは告白なのかと思ったよ」
「私は、愛の告白って言うより違う告白に感じたけど。まるで――」
氷華が言いかけるのと同じタイミングで「いやー、待たせてごめんな。皆!」と、どこか吹っ切れたような表情の太一が戻ってきた。その豹変にカイは驚き、思わず「昴って奴に余程の事を言われてショック受けてたと思ったけど……一体どんな心境の変化だよ」と尋ねる。
「いや、俺と氷華の関係が再確認できて」
「え、何それ?」
そう訊き返した氷華に「最近ちょっと迷ってたんだけど、やっと吹っ切れた感じ」と笑顔で答えた。胸に手を当て、公言するように太一は述べる。
「あいつの言葉で気付けたんだよ。氷華は背中を任せる仲間で、俺の相棒だからさ。氷華の相棒の座は誰にも渡さない為に、俺も頑張ろうって」
いつも以上に張り切っている様子の太一を見ながら、ソラは「きっと太一は、誰にも負けたくないんだろうね」と笑っていた。カイが「あの昴って奴に?」と問いかけると、ソラは首を横に振る。
「世界中の誰にも負けたくないんだよ。きっと太一は、氷姉の一番になりたいんだね!」
くすくす笑うソラに対して、氷華本人は「まあ、“相棒部門”なら太一は世界一かな」と笑っていた。そのままアイスを食べ終え、太一に向かって拳を向ける。
「私も、太一の相棒の座は誰にも渡さないように頑張るから。背中は任せたよ」
「任せとけ、相棒!」
これから先の未来、もしかしたら太一と氷華の関係が変わる日はくるのかもしれない。しかし、現在の太一と氷華を見ていると――もしもそんな日がくるとすれば――ワールド・トラベラーを解散してからだろう。少なくともワールド・トラベラーとして、共に世界を救い、護る為に闘っている間はありえないだろう――カイとソラはそんな風に考えるのであった。
◇
氷華は自室でひとり、一日の出来事を思い返していた。やはり一番頭に残っているのは、どこか寂しそうな、少し辛そうな昴の表情だった。昴の言葉を聞いた氷華が、真っ先に感じた印象は――。
「まるで――自白みたいだった」
結局、昴の家庭に関する詳しい事情はわからなかった。氷華は「いつか心を打ち明けて話してくれるかな」と考えながら瞳を閉じ、去り際に昴から言われた言葉を思い返す。
「大丈夫。この先に何があっても、私は私で在り続けてみせるよ」
――そして、いつか昴さんの事も救ってみせる。私は、救世主を目指しているんだから。
◇
昴は自室へ戻るとすぐにベッドへ倒れ込んだ。ぼやける視界の中、眼鏡を外し、菖蒲色の瞳を閉じる。
「危な、かった……」
自身の制限時間を忘れる程、冷静さを欠いてしまった。昴は「ここまで感情で行動するのは久々だ」と自嘲気味に笑う。
「初めて、ですね……これ、を……そんな、風に……思っ」
そして昴は、まるで電池が切れた人形のように動かなくなってしまった。
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