第63話 己の想いを信じる為に②


 水と火による激しいぶつかり合いが続き、アキュラスはチッと舌打ちを零した。いくら闘っても実力はほぼ互角という状況下、時間と体力だけが無駄に浪費されていく。


「っ……互角、か!」

「ちょっとは隙を見せてもいいんじゃ、ねえかよっ!」


 アキュラスが跳び蹴りをすると、カイは攻撃をいなすように腕で防いだ。反撃と言わんばかりにカイがアキュラスに殴り掛かるが、アキュラスはそれを受けるものの倒れる様子はない。互いに譲らない、一進一退の攻防が続いていた。


「闘いはそんなに甘くない……実戦では、情け無用!」

「…………」


 カイはふっと髪を掻き上げ、アキュラスをぎりっと睨み付けながら――自分に言い聞かせるように叫ぶ。その言葉に聞き覚えがあったアキュラスは、どこか楽しそうに笑みを浮かべていた。


「その言葉、確か北村も言ってたな。あいつが言ってた奴ってのはてめえの事だったのか」

「へえ、太一が敵にそんな事をね。あいつは今頃――ゼンと一緒に居るかな」


 何気ないその一言に、アキュラスは驚いたように目を見開かせている。太一は「氷華が死んだと思い込んで傷心しているだろう」と考えていたのだが――どうやら予想に反し、太一はこの場へ乗り込んできているらしい。その事実がアキュラスの闘争心を更に躍らせる。


「あいつもきてんのか……だったら尚更、てめえを倒して北村に再戦といこうじゃねえか」

「寝言は俺を倒してから言いな」

「てめえみてえなひょろ男なんかに、戦場で生きてきた俺は負けねえ」

「奇遇だな。俺だって常に闘ってきた。俺にとって、生きる事は戦争と同じようなもんだよ」


 にやりと笑い、カイは呟く。始めは冗談かと思ったが、カイの言葉には確かに重みを感じるので、冗談という訳ではないのだろう。アキュラスは心を躍らせながら「てめえとは気が合いそうだ」と笑い、右手に轟々と揺らめく業火を纏わせた。



 ◇



「ソラは逃げないよ」

「逃げてくれ、頼むから」


 スティールは苦痛に顔を歪ませ、だらりと冷や汗を流す。ソラへ向けている切っ先も震える手では定まらず、カタカタと小刻みに揺れていた。対して、ソラの方は大きな瞳を真っ直ぐ向けながらスティールに対してにこりと笑い、真正面から想いの丈をぶつける。


「ソラたちは、氷姉を救って、ゼンたちと一緒にこの世界も救うんだ。だからそれまでは帰らないの!」

「氷華ちゃんなら無事……だと思う。世界はどうなるかわからないけれど、きっと君たちじゃあの人には敵わない。だから仲間と一緒に、なるべく遠くへ逃げるんだ」

「!」


 その言葉によって、ソラの頭には疑問が浮かんだ。どうして敵である氷華を無事と思うのか。どうして自分をここまで逃がそうとするのか。


「氷姉、どうして無事だと思うの?」

「…………」

「やっぱり、氷姉は生きているの?」

「…………」


 スティールは、周りの悪の化身たちがじっと自分を睨んでいる様子を見て、それが自分を怪訝に思っている事だと察した。言葉も発せない只の怪物かと思っていたが――どうやら少しは知性があるらしい。スティールは辛そうに表情を歪めながら、ソラへ向かって歩き出す。


「ねえ、答えて! 答えてよッ!」


 ソラの叫びが木霊する中、スティールは未だに無言を貫いていた。木のように動かない悪の化身たちは、どうやらスティールを監視して敵か味方か見定めている様子だ。


 ――少しでも怪しい動きをしたら……きっと完全に僕を敵と判断するだろうね。


「僕等はやれるだけの事をやった。後は彼女の魔力次第だ」

「氷姉を助けてくれたの!?」

「…………」


 ――――ザシュッ


 スティールは遂に剣を振り下ろした。ソラが咄嗟にかわした方向には悪の化身が居て――スティールの剣が悪の化身たちを貫く。悪の化身たちはスティールの反逆行為と認識し、今にも彼へ襲い掛かろうとするのだが、スティールは平然と笑いながら「君たちが邪魔なのが悪いんだよ。彼女みたいに上手く避けてくれなきゃ」と言い捨てた。

 砂と化した悪の化身の一部を冷たく見下していたが、ソラの悲痛な叫びによってスティールはくるりと振り返る。


「ソラはやっぱりあなたと闘いたくない! だって氷姉を助けてくれたんでしょ!? それに……ソラも、何故かわからないけど……あなたとだけは闘いたくないッ!」

「!」

「あなたは優しい人。ソラを殺したくない、殺す気なんかないんだ」


 ソラの頭の中では今も尚、何かの記憶が渦巻いていた。それは、ソラが失った筈の幼少の記憶だ。正確には、ショックのあまりソラ自身が封じ込んでしまった、失ったと追い込んでいた記憶である。

 ゼンと出会う前の、ソラが精霊と契約する前の――ソラが人間だった頃の記憶だ。


 ソラの辛そうな表情を見て、スティールは顔を真っ蒼にしながら剣を落とす。カタンと剣が落ちる音が空しく響いてすぐ、スティールは苦しそうに頭を抱えながら膝を折った。


 ――何、だ……これ……。


「君は、誰だ……誰なんだッ!」


 スティールが辛そうに自分を見つめている顔によって、ソラの頭の中では今まで霧がかっていた何かの風景が鮮明に浮かんでは消える。

 穏やかに流れる幸せだった頃の時間。草木を揺らす風と、城のような屋敷。優しく笑う両親。幼き自分。隣で笑っているのは――スティール。


「っ……あ、うっ!?」


 ソラは突然、記憶の覚醒に陥り頭を抱えた。今にも泣き出しそうな表情でスティールを見上げながら、全く根拠はないが、強く確信した。


 ――この人と話していると、頭の中で浮かぶ記憶……そっか、この人は、ソラの……。


「やっぱり……あなたとは闘いたく、ないっ!」

「……やめてくれ!」

「本当は、こんな事するの嫌なんでしょ!? 本当は悲しいんでしょ!? あなただってソラと闘いたくないんだ……ッ!」

「君に――僕の何がわかるんだッ!」

「わかるッ! あなたとまた出会えて、全部、全部全部ッ! 思い出せたから……」


 ソラは叫ぶ。自分の記憶を、自分の想いを――自分と目の前の青年との本当の関係を。


 ――この人は、ソラの大事な……


「ソラはもう闘えない」

「え――」

「闘える訳、ないよっ……“ソラシア”は、“ティル兄”と……闘える訳、ないッ!」

「!」


 二人の頭の中には、楽しそうに笑っている幼き日のソラとスティールが映し出されていた。


 ここは真実の塔。真実を映し出す塔。

 ゼンは嘘でも真実と認識し続ければ、それは真実に変わるとも言っていたが――この二人の目には真実しか映し出されていなかった。



 ◇



「……闘いはあまり得意ではないのですが」


 そう言いながらディアガルドは両手を顔前に交差して構えた。その行動を見たノアは「何かくる」と勘付き、いつでも避けられるように警戒するのだが――超人的なノアにとっても意外な場所から攻撃が飛んでくる。


 ――――ふわっ


「!?」

「さぁ、こんな攻撃はどう対処しますか?」


 自分の身体が宙に浮くという不可解な攻撃に、ノアは全く抵抗できなかった。次の瞬間、ノアの身体はボールのように勢いよく地面に叩き付けられ、彼は「うっ!」と鈍い音と共に呻き声を上げる。

 身体の節々で激しい痛みを感じつつも、ノアも負けじと攻撃を繰り出そうとするのだが、何故か身体はそこからピクリとも動かなかった。

 その理由を考える間もなく、ノアの身体はディアガルドの拳によって思い切り殴り飛ばされてしまう。


 ――何が、“闘いが得意じゃない”だ……こいつ、絶対に闘い慣れている!


「一体、何だ……その力は」


 ペッと口内に溜まった血を吐きながら、ノアはディアガルドを睨み付けていた。


 ――氷華が以前言っていたような、雷を干渉させた脳への支配……いや、それは違う。


「それを僕から言わせるのは無粋ですよ、ノアくん」

「――チッ」


 ノアは再び身体を動かそうと試みるのだが、身体は相変わらず石のように固まって動かない。雷による感覚神経の支配なのか、それとも外部からの影響か――だが、僅かながらも身動きを感じ――ノアが目をすっと細めると、薄暗い中から細い糸状の何かが視覚できた。そして、それが自分の身体にぐるぐると無造作に巻き付いている事に気が付く。


「まさか――」


 ――これが、奴のカラクリかッ!


 ――――ブチィッ!


 ノアは隠し持っていたナイフでその細い何かを切断した瞬間――身体は急に自由になった。そのまま切断した物を手に握り、ノアは「ワイヤーか」と声を漏らす。


「この薄暗い中でよく見えましたね。流石は人間を超越したアンドロイドと言ったところですか」


 ディアガルドは自分の攻撃の正体が看破されたにも関わらず、冷静さを欠く事なく余裕の笑みを浮かべていた。そんなディアガルドを見上げながら「仕掛けがわかればこっちのものだ」と言い、ノアは頭に巻いたハンカチを直しながら立ち上がる。


「反撃と行かせてもらう、ドクター」



 ◇



 カイとアキュラスは肩で息をしながら立ち尽くしていた。周りには既に悪の化身は存在せず、精霊二人だけがだらだらと血を流しながら立っている。カイは服を焦がしながら辛そうに眉を顰め、一方のアキュラスも水分を含んだ髪を鬱陶しそうに掻き上げていた。


「だいぶ、息が……上がってるじゃねえか」

「人の事、言えたもんじゃないぜ……お前も!」


 二人は互いの実力を認め合い、そのまま声を上げて盛大に笑い出す。アキュラスは闘いの緊張感に歓喜し、カイも不謹慎ながら久々に闘いが楽しいと感じていた。そんな中、カイは「なあ、お前は何の為に闘うんだ?」と目の前の好敵手へと問いかける。


「俺は闘う理由なんてねえよ。強いて言うなら、闘う事に喜びを感じる。満たされる。だから闘う……それだけだ」

「アクみたいに“世界に復讐する為”とか言うのかと思ったが――ちょっと意外だな。守護精霊と契約して人間辞めるくらいだ。お前も“それなりの過去”を持ってんだろ?」

「――てめえもな」


 再び相対し、改めて実感した。これは生きるか死ぬかの闘い。こんなにも自分と似た、強い好敵手と再戦できないであろう事を――カイもアキュラスも互いに残念と感じている。しかし、残念だからと言って、互いに引く気は一歩もなかった。


「お前がアクより先にゼンに会っていたら……味方、だったのかもしれないな」

「さあ、どうだか。だが、今更になって“もしも”の話をしても無意味だぜ。今の俺は、こうしててめえの敵として生きてる」


 真剣な表情でアキュラスは「次で決めるぜ――」と呟き、力任せに右手を前へ突き出すと、激しい炎の熱によってカイの視界がぼやけ始める。地獄の業火を彷彿とさせるような灼熱の炎がアキュラスの右手一点に集中し、巨大な炎の鳥へと変形していったのだ。

 カイも応戦するように左手を突き出して詠唱を始めると、大気中の水がみるみる内に収束し始め、次第に巨大な龍へと姿を変えていく。


 体力的にも魔力的にも、互いに「これが最後の一撃になるだろう」と悟っていた。


「『火炎よ。我が契約の下、力を示せ』」

「『水天よ。我が契約の下、力を示せ』」

「『出てこい、不死鳥。この場の全てを焼き払え』!」

「『水神龍よ、水煙纏いて姿を現わせ。全てに示せ、水天の力を』!」

「「行けぇええぇぇ!」」


 龍と鳳凰は目にも止まらぬ激しい攻防を繰り返し、術者を象徴するように互いに引く事はない。


 そして――アキュラスを水の龍が、カイを炎の鳳凰が襲った。



 ◇



 ソラは幼少の頃、暮らしていた家は街でも一、二を争う程の大きな屋敷で――そこで父と母、そして兄と幸せな暮らしを送っていた。

 しかし、とある事件をきっかけに、仲がよかった家庭は無残に壊され――ソラは母の元で、兄は父の元で暮らす事になってしまう。


 そこからは裕福だった生活とは真逆の、貧相な生活を余儀なくされた。母はソラを養う為に身を砕きながら働き続け、ソラも幼いながら必死に自分ができる範囲で働く。

 風の噂で父と兄も何故か同じような生活を送っていると聞き、ソラはもう一度、家族四人で幸せに暮らす事を懇願しながら必死に生きていた。


 しかし、その願いは一生叶う事なく――悲劇は起こってしまう。


 最愛の母が病に臥せってしまったのだ。ソラは必死に看病したのだが、その努力は報われず――ソラの母は静かに息を引き取った。母の死。父や兄も居ない上、生きているのかもわからない。

 孤独という現状に絶望したソラは、そのショックから幼少の記憶を閉ざしてしまった。


 その後、生きる意味もわからずに死んでしまう寸前だったところを地祇の守護精霊に助けられ――彼女は“あるもの”を代償に、地祇の守護精霊と契約を交わした。



「ティル兄……ねぇ、ティル兄でしょ!?」

「……ソラ……ソラ、シア?」


 そして、奇しくもスティールもソラと同様に記憶をなくして風光の精霊となっていた。スティールは守護精霊と契約する際の代償として“記憶”を捧げたのだが――それは本当に“全ての記憶”だったのだ。他人や自分の存在は勿論、一般常識や言葉の発し方まで。

 契約した途端にスティールは赤子同然となってしまい、周囲から不思議な力を持った人語が通じない悪魔と不気味がられながら殺される寸前だった時――精霊となった事が買われ、アクに拾われた。


 仲間であるアキュラスやディアガルドのスパルタ教育で、次第に言葉や常識は鍛えられ――そちらの記憶は取り戻しつつある――というか、再び覚える事ができたのだ。


「君が、あの夢の……あの記憶の中の女の子……でも、どうしてあの時と変わらず……」


 精霊となったスティールは、毎日必死に生きている傍ら、何度か同じ内容の夢を見ていた。優しく微笑む男性、王妃のように綺麗な女性、とても幸せそうに笑う少女、そして幼い自分の姿。その面影を持つ少女を捜す為、今まで片っ端から女性に対して声をかけていたのだが――その中の少女が、今――目の前のソラと重なった。


 年齢とは釣り合わない気がしたが、それでも目の前の少女が、記憶の少女に間違いないと本能で悟る。魂が覚えていた、のかもしれない。


「ソラシア……アントラン……」

「うん! ソラシア! 妹のソラシアだよッ! 子供の頃、一緒にお庭を走り回ったり、こっそり裏山の花畑を見つけたりしたよね! お父さんやお母さんだって、一緒に――」

「ごめんね、僕は何も……思い出せない……でも君の面影は、きっと……君が、僕の過去を証明してくれるなら、僕は……」

「だったら記憶なんてなくたっていい! これから作っていけばいい! 生きて、生きてさえいてくれれば……それでいいんだよ……ッ! もう、家族と離れ離れは、嫌だよぉ……」


 実兄と再び出会えた事で涙を流し、必死に訴えるソラの背後に、悪の化身が襲い掛かろうとしている事にスティールは気付く。ソラは自分の命を刈り取ろうとしている鋭い鎌は見えない様子で、スティールはその瞬間、風光の力によって目にも止まらぬ速さで駆け出し――。


 ――――ザシュッ!


 鮮血が舞った。



 ◇



 ――――ブチィッ!


 ノアは身体に鬱陶しく纏わり付くワイヤーを切り裂くと、ニヤリと笑いながら目にも止まらぬ速さで駆け出した。右手を掲げ、ディアガルドに思い切り殴り掛かる。


「うおりゃぁああぁ!」

「…………」


 しかしディアガルドは全く臆する事なく――再び手を構えた。その行動を見たノアは「その能力のカラクリは見切っている!」と叫ぶのだが、ディアガルドはずっと俯いたままだ。そして、ノアの重い拳がディアガルドに辿り着く寸前――。


「なっ――」


 そのままディアガルドは静かにノアの肩を掴む。ノアは「ヤバい!」と思い、身体を動かそうとするも、何故か身体は再び動かなくなってしまったのだ。咄嗟に「自分に絡み付くワイヤーはもう断ち切った筈なのに、どうして」と考える傍ら、ディアガルドは悲しそう目を伏せて口を開く。


「『雷電よ。我が契約の下、力を示せ。轟かせてください。天雷共鳴』」

「!?」


 ――――バリバリィ!


「だから言ったでしょう? アンドロイドが精霊に敵う訳がないと」


 ディアガルドが精霊魔法を唱えた瞬間、ノアの身体には高度な電圧がかかった。脳と視界がぐらぐら揺れる感覚に陥り、手足は痺れ、一瞬で感覚がなくなる。バタリと力なく倒れたノアを見下しながらディアガルドは瞳を閉じ、くるりと背を向けた。


「行かなければ――」


 ディアガルドが自分から離れて行く足音が聞こえ、ノアは苦し紛れ「待て……ッ!」と呟く。


「…………」


 ノアの声に、ディアガルドはピタリと足を止めた。顔だけを振り返り、目を見開かせながら「おや、まだ生きていましたか」と続ける。


「誰がこんな、雷如きで……死んでたまるかッ!」


 よろよろと身体を起こし、ノアはぎりっとディアガルドを睨み付けた。受け身を取れず、倒れた時に打った額から流れる血が、氷華からもらったハンカチを真っ赤に染め上げていく。ノアは「また汚してしまった」と小さく呟き、ディアガルドに対して真剣な瞳で語りかけた。


「お前――僕を殺すつもりがないだろう?」




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