第62話 己の想いを信じる為に①
「――しくじった、か」
カイは自分をぐるりと取り囲む悪の化身を前にし、はぁっと深い溜息を零した。
――最上階って言ったら百階じゃないのかよ……。
向かってくる悪の化身たちをかわしながら、カイは魔力を集中させて唱える。その声を合図にするように、大気中の水分が一点に向かって集まり出していた。
「一気に片付けるぜ! 『水天よ。我が契約の下、力を示せ。逆巻く渦潮、気高き水勢を持って、彼の者を貫け』!」
――――バシャァアア!
カイが両手を頭上に掲げながら叫ぶと、轟々と音を立てた激しい巨大な渦潮が現れる。カイはそれを思い切り悪の化身たち目掛けてぶつけると、激しい渦がそれらの身体を飲み込んだ。悪の化身たちは砂と化し、濁流となってカイの足元を流れる。
カイが得意とする水天の精霊魔法は、精霊の中でも群を抜いて攻撃力に特化している。悪の化身如きでは、水天を司るカイ相手には太刀打ちもできる筈がなかった。
「さて、と。最上階が百階じゃないって事は二百階とかか? このダンジョン何階建てだよ。リアルにカイの冒険が始まったらどうしよう」
趣味に走った内容でぶつぶつ文句を言いながら、カイが再び魔法陣に近付いた時――何故か自動的に魔法陣が輝き始める。異変に気付いたカイは咄嗟に距離を取った刹那、そこには火の精霊であるアキュラスが現れていた。
「あいつ最上階に居んじゃねえのかよ……って事は、百階が最上階じゃねえのか?」
「…………」
自分と同じ考えをしていたアキュラスを、カイは「俺と全く同じ考えの奴が居るとは」と少し冷や汗を流しながら見つめている。自ら「お前が言う通り、どうやらここは最上階じゃないらしいぜ」と返すと、カイの存在に気付いたアキュラスは静かに目線を向けた。
「てめえは――確か水か」
「そう言うお前は火だろ? 直接こうやって話すのは初めてだな、アキュラス・フェブリル」
彼等は火花が散っているのではないだろうかと錯覚する程に睨み合い――二人はほぼ同時に眼前に手を突き出した。
――――ジュワァアァァ!
二人の手の先からはそれぞれ水と炎が現れ、互いの存在を主張し合うように激しくぶつかり合う。水と火は勢いよく蒸発し、しゅわしゅわという音と水煙だけが残された。互いの力をぶつけ、打ち消し合った事で、二人はそれぞれ実力がほぼ均衡であると本能的に理解する。
「やるじゃねえか」
「そっちこそ」
初めて力をぶつけ合った筈なのに、まるで長年の好敵手を相手にしているような感覚を前に、久々に闘いの緊張感を覚えたアキュラスは楽しそうに心を躍らせていた。一方のカイも、自分と同族の強敵を前に喜びを隠せずにいる。
自分と実力が均衡した、同じ精霊という存在。好敵手には絶好の相手を前に、彼等はニヤリと笑いながら口を開く。
「おい、水。お前の名は?」
「カイ……いや」
アキュラスの実力を認めたカイは、ゼンやソラ以外に初めて自分の本名を告げた。
「カイリ・アクワレル」
◇
「あれー、おっかしいなー。ソラが行った事のある一番高い建物はてっぺんが十階だったのに」
ぱちぱちと大きな目を動かしながら、ぐるりと周りを見回し、ソラは現状を再確認した。自分の周りには無数の悪の化身たちが目を光らせながら蠢いていて、今のソラを例えるならば狼の群れの中に放りこまれてしまった子羊といったところだろう。
「ぎゃぁああ!」
「うーん、ぎゃぁああじゃあ何を言ってるかわからないなぁ」
「ぎゃぁああぁ!」
「……ぎゃー!」
見よう見まねで悪の化身たちと会話を試みようとするものの、当然会話が通じる気配はない。そんな幼子のようなソラを見て痺れを切らしたのか、悪の化身たちは容赦なくソラに向かって襲いかかった。
「ソラ、闘いは得意じゃないんだよね」
「ぎゃぁああぁ!」
「『地祇よ。我が契約の下、力を示せ』」
悪の化身たちの攻撃を、ゼンから授かった能力の瞬間移動を駆使してかわし、ソラは即座に詠唱を始める。
ゼンが神だった頃も含め、一番ゼンと行動を共にした時間が長いのはソラだ。見た目や言動に反して、こういう状況は慣れていない訳ではない。物怖じする事もなく、ソラは歳相応とは思えない程の冷静さを保っていた。小さな両手には次第に橙色の光が収束し、放たれる。
「『とげとげ、にょっきーん』!」
――――バキィイッ!
刹那、床から飛び出るように現れた土の刺が悪の化身たちを貫いた。土の棘と一緒に砂となって崩れ落ちる悪の化身たちを見つめ、しかしその向こうから再び現れる悪の化身たちを見上げ――ソラは「うげー、まだまだ居る……」と嫌そうな表情で呟く。
「カイとか太一とか、誰でもいいから手伝ってくれないかなぁ」
――――シュッ!
「あれ、君は――」
ソラの願いに応えたのはカイでも太一でもなかった。背後にある魔法陣から現れたスティールは、ソラの姿を捉えて「まさか、こんな場所で地祇の君に出会うとはね」と頭部を押さえながら呟く。一方のソラはスティールの存在に気付き、ぱぁっと顔を明るくさせながら「あ、丁度いい! 風さん手伝って!」と呑気な発言をしていた。
敵である自分を前にしても相変わらずなソラの調子を前にし、スティールは呆れたように溜息を零す。
「……手伝っても何も、君は敵だろう?」
「あっ、そういえばそうだった!」
スティールは敵である筈の自分に対しても、まるで仲間に接するような態度のままで――闘っているにも関わらず、まるで鬼ごっこでもしているように飛び回るソラの姿を見ながら、ふわりと“自然に”笑っていた。それはスティールにとっても自分の意思とは反する行動で、自分自身で驚いたように唖然としている。
――え……?
一方のソラも、スティールの笑顔を見て目を丸くさせていた。単純に見惚れてしまったから、という訳ではない。何故かソラの頭の奥では、謎の風景が徐々に浮かび上がっては消えていった。
穏やかに流れる時間。草木を揺らす風。優しく笑う男女。幼き自分と思われる少女。隣で笑っているのは――。
――あれ? ソラは……この人を、知っている?
そして、その行動がソラに隙を生んでしまった。硬直しているソラを絶好の機会と判断した悪の化身は、ソラ目掛けて鋭い切っ先を振り下ろす。
――――シュッ!
「!」
「あ――」
頭の中で「間に合わないかもしれない」と思ってしまった瞬間、ソラはその場から動けなくなってしまった。咄嗟に両手で頭を防ぐようにしていたが、一向に痛みは訪れない。ぱちぱちと瞬きを繰り返して、どこか懐かしいぬくもりを感じながら――ようやく現状を理解した。自分を抱き締めているスティールの姿が視界に映る。どうやらスティールは、ソラを咄嗟に引き寄せて悪の化身の攻撃をかわしたらしい。ソラは「何故敵であるソラを助けてくれたんだろう?」と疑問に思いながら、どこか心の奥では“懐かしい”という感覚に陥っていた。
「あの、ありがとう!」
「ああ……」
スティールはソラの身体をゆっくり解放すると、自分の頭部を手で押さえながら何故か苦しみ出す。スティールは自分自身でも理由がわからない、原因不明の頭痛に見舞われていた。
――何故僕は、この子を……。
混乱する頭を乱暴に押さえたまま、スティールは片手で無理矢理剣を引き抜き、鋭い銀の切っ先をソラへと向ける。“ソラと同じ”青緑色に輝く瞳は、酷く揺れていた。
「僕は君を殺さなくてはいけない……だけど何故か……君だけは殺したくない……だから、早くここから逃げるんだ」
◇
「やっぱり空間転移ってのは何回やっても慣れないな……」
くらくらする視界の中で太一はゆっくり立ち上がり、慎重に周囲を見回した。光が遮断された空間と少し冷える温度から、太一はこの場所が最上階とは真逆の地下なのかもしれないと判断する。
――悪いな、ゼン。
始めから、太一は“最上階”を考えながら移動していなかった。その行動がゼンに離反する態度と見られようが太一にとっては構わない。そして、全く同じ考えをしていた人物がもう一人。
「お前もか、ノア」
「勿論だ」
太一より少しだけ遅れてノアが姿を現した。ノアも太一と同様、最上階を目指してはいなかったのだ。
「何を考えながらここに?」
「お前と同じだろうな」
ノアはそれだけ呟くと、先導して薄暗い通路を歩き出す。ノアの視力ならば薄暗い暗闇でも問題ないらしく、太一は頼もしく思いながらも遅れないように後に続いた。
「きっと、ここに氷華が居る。そして言ってやるんだ。早く起きろ、バカ氷華――って」
「ああ。僕も同じだ」
ぎゅっと拳を握り、太一は強く想う。ここは真実の塔。きっとそう強く認識すれば、何もかもそれが真実になる筈だと。
――だから氷華は絶対に生きている。俺は氷華を信じてる。
「やはり、二人はここにきましたか」
「「!」」
その時、しんと静まり返った地下の空間に、太一でもノアでもない落ち着いた声が響き渡る。太一とノアは警戒して即座に飛び退き、声の正体と距離を取ると――壁に佇みながら「はぁ……」と気だるそうに溜息を吐くディアガルドの姿が映り込んだ。
「いいんですか? ゼンさんと共にマスターを止めなくても」
「お前こそ、こんな場所で油を売ってていいのかよ……昴」
「ドクター……アガル」
太一とノアの統一性のない呼び方によって、ディアガルドは「二人にはきちんと自己紹介をしていなかった」と思い出す。どうやらこの状況の原因は自分の説明不足にあったらしい。
「昴もアガルも偽名です。僕はディアガルド・オラージュ……ディアガルドと呼んでください」
「「ディアガルド……」」
太一とノアの二人は敵対心全開でぎろりと睨み付けるが、すぐに何かを探しているように周りをきょろきょろと視線を動かしていた。その視線の動きだけで二人は氷華を探していると見抜いたディアガルドは、ふっと口元で弧を描く。そのまま「世界が滅ぶかもしれないという瀬戸際で、敵を前にしても――そんなに瀕死の仲間が心配ですか?」と問いかけながら、ディアガルドは二人の前に対峙した。
「氷華は生きている。あの時に僕が死ななかったように、氷華も生きている」
「あの時とは状況が違う」
「状況なんて関係ない。どんな状況だったとしても、僕は氷華を信じている」
「人間に対して強い憎しみを抱いていたあなたから、そんな言葉を聞けるなんて……あなたもまた、僕の予測を超えるような変化をしてくれますね」
「僕は変わったからな。変えさせられた、と言った方が妥当かもしれないが」
「ふふっ、やはり早めに潰しておくべきでした。あなたを相手にするには骨が折れそうです」
ノアを見据えながら黙っているディアガルドを見て、太一は彼に対してどこか違和感を覚える。まるで時間を稼ぐような問答だと感じ、太一は「もしかして」と一つの可能性を呟いた。
「お前、氷華がどこにいるのか知ってんのか?」
「――知っていると言ったら?」
「だったら、吐かせるまで!」
その挑発に易々と乗った太一は竹刀を構え、ディアガルドに向かって駆け出そうとするが――その瞬間、太一の背後から手が伸びる。ノアが勢いよく太一の首根っこを掴み、身体を回転させて遠心力を付けながら、前方へ投げ飛ばしたのだ。
「ぐああぁぁあっ!?」
太一はズザザザッと音を立て、転がるように着地した。流石にディアガルドも驚いているようで、レンズ越しの目を点にさせている。起き上がった太一は慌てて「ノア、何す――」と言いかけるが、それを遮るようにノアが口を開いた。
「ここは僕が引き受けてやる」
そう言いながらノアは前へ一歩踏み出ると、指をバキバキと鳴らしながら「ドクターの性格ならば知っていたところで敵に情報を吐きはしない。一刻も早く氷華を見つけるのが最善だ。ここは僕が引き受けてやるから、お前はさっさと行け」と意見する。
「……いいのか?」
「僕を信じろ」
ふっと微笑み、ノアは応戦体制を取り始めると――相対しているディアガルドも「しょうがないですね」と静かに身構えた。その場で対峙する形となった二人に一瞥し、太一はノアに感謝しながらふら付く足を全力で動かす。
「氷華連れて、絶対に戻ってくるから!」
「ああ、早くあのバカを起こしてこい」
こうして残されたノアとディアガルドは――挑戦的に笑いながら互いに睨み合っていた。
「僕も甘く見られたものですね。アンドロイドが精霊に敵うとでも?」
「アンドロイドを舐めるなよ、精霊」
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