第59話 世界の為の犠牲者②
太一とハンカチ状態のノアは夜道をぶらぶらと歩いていた。部活用のバックを肩から下げ、太一はぼんやりと夜空を見上げる。空はすっかり夜闇に染まり、その中で街の光がキラキラと輝いていた。しかし、夜空に浮かぶ月は普段よりも一段と大きく――。
「何か、今日の月は赤いな……」
「そうなのか?」
若干赤みを帯びていた。
「ところで、氷華ってどこに呼び出されたんだろ。この辺の定番スポットと言えば、河川敷とか陸見山とか――」
「確か……りくみ、こう、えん……と言っていた気がする」
「マジ? お手柄だなノア」
「おい掴むな!」
「ちょっと走るから、しっかり掴まってろよー」
そして太一はノアをぎゅっと掴んで勢いよく駆け出す。太一とノアを見守るように、背後には赤い月が怪しく輝いていた。
「何か今日はいつもより暗いからな、氷華を連れて早く帰ろう」
◇
ゼンたちは水無月家で夕飯を頂こうという魂胆の元、我が家のようにのびのびと寛いでいた。噂を聞きつけた北村家の面々も集まり出し、ソラは夕飯の準備をする一花と凛華を手伝い、カイはぼんやりしながらテレビを眺めている。ゼンに至っては真一と祥夜を交えて三人で飲み始めていた。
――あー、ゲームの続きやりたい。早く太一帰ってこい。
カイは昨日から太一とプレイしていたゲームを思い出しながらつまらなそうにテレビを見つめる。後は太一と氷華、氷華と共に居るノアが帰ってくるのを待つだけの状況だ。
「氷姉たち遅いなぁ」
「そうね、何かあったのかしら」
「連絡がないのは珍しいわね」
「ったく、さっさと帰ってこいよな」
「おぉ、ゼンさんいい飲みっぷり!」
「はははは、お二人程ではっ!」
「あははは、こうやって神様と飲み明かせる日がくるなんて夢にも思わなかったなぁ!」
酒が入りテンションが上がっているゼンたちを見て、カイは呆れながら溜息を零す。しかし、そんな平穏を崩すように、何の前触れもなく――強烈すぎる殺気に似た魔力が脳内を走った。
――――ドクンッ!
「「「!?」」」
矢で心臓を射抜かれたような殺気の感覚で、ゼンの酔いは一気に吹っ飛ばされ「カイ! ソラ!」と真剣な面持ちで叫ぶ。同じように殺気を感じ取っていたカイとソラも、冷や汗を流しながら出動の準備をしていた。突然の三人の奇行とも見える行動に、何も理解できていない太一と氷華の両親たちは首を傾げて不思議がる。
「行くぞ、二人共!」
「ちょっと行ってきます!」
「俺たちが戻るまで、この家から絶対に出ないでください!」
そしてゼンたちはソラの瞬間移動で、その場から忽然と消えてしまった。
――無事で、無事でいてくれっ……氷華ッ!
◇
氷華は目の前の男を直感的に危険だと断定した。氷華の逆毛が悲鳴を上げるようにピリピリと鋭く立っている。漆黒の服に身を包み、純白のネクタイをぶらんと緩く下げている男は、さらさらした黄色の髪を夜風に靡かせ、じっと氷華だけを見据えていた。
直感的に危険を察知した氷華は呼吸を荒げながら、余裕がない表情で女子生徒たちに叫ぶ。
「逃げて! 早く!」
「えっ……」
「いいから走れッ!」
氷華の激しい剣幕を見た女子生徒たちは、戸惑いながら指示通りに走り出した。女子生徒たちが逃げる様子を見て氷華は一瞬だけ安堵する。
しかし、目の前の男は氷華の視界から消え失せ――。
――――グサァッ!
「……え?」
そして、氷華の腹に――男の腕が貫通していた。
「ディアガルドの予測通り、やはり貴様だったか……パンドラの箱は」
「な、にを――」
氷華は目を見開かせながら自分の腹部を見る。男の手がぐちゃぐちゃと腹をかきまわしている衝撃的な光景が視界に飛び込んだ。氷華は口に込み上げるものを思いっきり吐き出すと、そこは真っ赤な血だまりを広げていく。
――――ビチャァッ!
そして、男は氷華の腹の中にあった“何か”を取り出した。口内に溢れる鉄の味から逃げるように、氷華は再び鮮血を吐き出す。力なくその場にドサリと倒れ込みながら、男が自分の腹から取り出した“何か”に目を疑った。
「……遂に、俺の手に……くくっ」
「な、ん……でっ」
男の手には太一と氷華が必死に集めていた神力石の欠片が握られていたのだ。氷華の血液と魔力が混じり合い、神力石の欠片は煌々と怪しく光り輝く。男は懐からもう一つの神力石の欠片を取り出すと、それは閃光のように激しい光を上げた。
「この石を完成させる為には魔力が必要だ。愚かな半身は、自分の魔力をこの世界の防衛に当てていたのだろう……だからあいつは、貴様の魔力を利用した」
「そん……な……」
「貴様の魔力によって石は完成された……ご苦労だったな、ワールド・トラベラー」
朦朧とする意識の中、歪んだ笑みを浮かべる男の手には神力石が握られて――氷華はやっと確信する。
――ああ、この男が……アク……か。
◇
何か嫌な予感を覚えた女子生徒たちは、一瞬だけ後ろを振り向いてみると、視界には衝撃的すぎる光景が飛び込んだ。これは現実なのかと疑うよりも先に、恐怖によって泣き叫びながら逃げ出してしまう。
そんな彼女たちの向かいから走ってきた太一は、必死に逃げ惑っている女子生徒たちにぶつかってしまい、「悪い!」と声を上げた。ぶつかった相手が太一だと気付いた女子生徒の一人は、混乱しながら「水無月さんが! 水無月さんがぁっ!」と太一に何かを訴えるように叫んだ。
状況がよく掴めない太一は、とりあえず陸見公園の中央部まで走ると、そこには――。
「氷、華……?」
大切な仲間が、血の海の中に倒れていた。
◇
身体に全く力が入らず、太一はよろよろと氷華に近付いた。ノアも咄嗟にハンカチ状態から人型に戻り、すぐさま氷華の元へ駆け寄る。
「嘘だろ、こんな事――」
「氷華! おい、氷華ッ!」
ノアは氷のように冷たくなっていく氷華の頬を触り、必死に彼女の名前を叫んでいた。太一もその場で倒れ込むように膝を付き、血まみれの相棒を呆然と見つめている。
――どうして……氷華が、こんな事にッ!
「た……いち……の、あ」
「氷華! 氷華ッ!」
氷華はかはっと血を吐きながら必死に肩で息をした。いよいよ呼吸も困難になり、意識が朦朧としていく。先程まで感じていた強烈な痛みも感じなくなってきた事に気付き、氷華は瞳を閉じて悟った。
――私は、ここで死ぬのかぁ……。
◇
幼少の記憶、ゼンたちと出会った頃の日々。様々な闘い、現在、未来――氷華の頭の中では、それが走馬灯のように浮かんでは消えていく。
クラスメイトたちが、笑いながら談笑していた。
「最近は任務だったから、もっと沢山話したかった。ゆり、もも……ごめんね」
太陽のように笑うソラが、楽しそうに「氷姉! また皆でアイス食べに行こう!」と腕を引いていた。
「もっとソラと遊びたかったなぁ。本当に妹みたいで、可愛くて……ソラに歳相応らしい事、させてあげたかった」
面倒そうに溜息を零すものの、カイが皆の輪の中で「俺は塩バニラだから」と自己主張していた。
「カイはいつも素直じゃないんだよね。自由に遊びたいっていう本心を、かっこつけて隠してさ」
最愛の両親が自分たちを応援し、信じて待ってくれていた。
「お父さん、お母さん……私は結局、何もできなかった。しかも先に死んじゃうなんて……親不孝な娘で、ごめんなさい……ッ!」
キリヤが穏やかな笑みを浮かべて見守る中、セリと茶屋の店主が忙しそうに働いていた。
「よかった。三人を、ブリュタルを……救えたみたいだ。これからはお兄ちゃんとずっと一緒に居られるね、セリ」
宋と改心したスヴェルがいがみ合っていて、隣で見ているサユリは嬉しそうに笑っていた。
「大丈夫……アルモニューズは、平和の架け橋になる。きっとサユリさんならできるよ。自分を否定する人にも真摯に向き合えるって、とても凄い事だから」
レナとリナ、ミラが人間らしき友人たちと楽しそうに遊んでいた。
「元気そうでよかった。あれだけ苦しい想いをしたんだから、どうかこれからは笑っていて。闘う事が強いられない平穏な世界で、自由に生きて」
フォルスが、彼の相棒と思われる人物と共に未来を語り合っていた。
「今から会えるかもね……でも、救世主になる前に死んでんじゃねえよって怒られそうだなぁ」
アキュラスが自分の事を「アホ毛女はやっぱり頭の中もアホだな」と溜息混じりで罵っていた。
「うるさいのはその派手な頭だけにしてよ、片目男」
スティールがにこにこ笑いながら「まぁまぁ、喧嘩は止めなよ二人共」と呆れ顔で宥めていた。
「結局、スティールに借りを返せてないっけ……借りっぱなしは嫌なのに」
ディアガルドが自分に向かって「あなたの優しさは……強さです」と微笑みかけていた。
「ああ、そっか……昴さんの時の、言葉の意味……今ならわかる気がする」
ノアが不機嫌そうにむすっとしながら、腕を組んで仁王立ちしていた。
「ノアも素直じゃなくて、あまり名前呼んでくれなくて……だけど、さっきは沢山呼んでくれたね」
ゼンが優しい笑みを浮かべながら、世界を見つめていた。
「私は、ゼンも……救いたかった。だけど、もう……」
世界一かっこいい最愛の実兄が、海外でピアノの公演をしていた。
「また、会いたかったよ……凍夜、お兄、ちゃ……ん」
かけがえのない、大切な相棒である太一が――自分に手を差し伸べていた。
「私は、まだ……太一……ごめ、ん……」
太一やノアが必死になって自分の名前を呼ぶ声を聞くが、その声も次第に遠退いていく。
そして、その声が完全に聞こえなくなった時――氷華の意識は深い闇に沈んだ。
◇
氷華が意識を失った事を確認すると、太一は何も言わず立ち上がった。アクはその光景を見てニヤリと顔を歪め、自分の手に付いた氷華の血をぺろりと舐める。太一は瞳孔を開かせながらアクを睨み付けると「俺ルール、第零条――」と怒りを爆発させた。
太一はポケットから木の塊を取り出し、すぐさま竹刀へ変形させる。そして太一の手にも付着した氷華の血液を利用し、太一は竹刀を鋭い刀へと一瞬で変形させた。自分の手が傷付くのも気にしないように刀身を強く握りしめなると――氷華の血と太一の血が混じり、真っ赤に染まった刀身は鋭さと長さを増している。
「『零の型・滅殺長刀』……第零条……氷華を傷付けた奴は……」
「神である俺と殺るのか? ワールド・トラベラー」
――氷華をこんな目に遭わせた奴は……。
太一は即座に自分の身体に風の力を纏わせ、瞬時にアクへと距離を詰める。
「俺がぶっ殺すッ!」
――――ガキィイン!
太一がアクに攻撃を繰り出す直前――突然現れたゼンが二人の間に割って入った。太一の手をゼンが強く掴み、暴れようとする身体はカイが無理矢理押さえ付ける。ソラは急いで氷華に駆け寄って手を翳し、地祇の活性化の力を利用した精霊魔法を必死に唱えていた。太一は血が出るくらいに強く奥歯を噛み締め、怒りの感情だけに支配される中、ゼンに向かって心の底から叫ぶ。
「離せッ! どうして止めるッ!?」
「今のお前には、こいつは倒せない……死ぬだけだ……ッ!」
ゼンは俯いたまま太一の手を静かに下ろし、振り向き際に悔しそうにアクを睨み付けた。
「賢明な判断だ。流石、俺の半身……と言ったところだ」
「…………」
「だが、貴様はやはり愚かだ。俺からこの世界を護る為に使っていた力を神力石の完成に使っていれば、この人間は死なずに済んだかもしれないものを」
「ッ!」
「これが貴様と俺の差だ……世界なんてくだらないものを護った、き貴様とのな!」
アクは見下すように嘲笑いながらパチンと指を鳴らした。氷のように冷たくなった氷華の身体がふわりと浮き、瞬く間にアクの前まで移動してしまう。ソラは「氷姉!」と悲痛な叫びを上げるが、アクは冷酷な表情のまま笑っていた。
「この人間の亡骸は預かる」
「――氷華ッ!」
ノアも瞳の色を鮮血のような真っ赤な色に染め、アクへと立ち向かおうとするが、それをカイが全力でどうにか止め――太一の腕もゼンがぎゅっと掴んだままだった。
「離せッ!」
「くッ……!」
――――シュッ
そして、アクと氷華は忽然と姿を消してしまった。彼の冷たい声だけが満天の星空から降り注ぐ。
「この人間を返して欲しければ俺の元へこい、愚かな半身。最も、この人間は既に死んでいるがな。ふふっ……はははははっ!」
太一は「くそぉぉおおおぉぉ!」っと慟哭し、ノアは力なく膝を付いて氷華からもらったハンカチを強く握り締めていた。カイも悔しそうに地面を殴り、ソラはボロボロと大粒の涙を流して両手で顔を覆う。ゼンは、今までに見せた事のないような激しい怒りを露わにした表情で、アクが立っていた場所をずっと睨み続けていた。
パンドラの箱は、開かれる。
彼等に残されたものは、血だまりと――仲間を失った絶望だけだった。
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