第58話 世界の為の犠牲者①
あの日の作戦会議から特に何も起きないまま、川のせせらぎのように時間だけがゆっくり流れていた。太一はぼんやり窓の外を眺め、氷華はつまらなそうに授業内容を聞き流す。嵐の前の静けさという表現をそのまま表したように、穏やかで平和な毎日が続いていた。
「毎日魔術の修業をしていても、相変わらず自分自身には使えないまま……何でだろう」
「ゼンに訊いてみたらどうだ?」
「うーん、そうだね。後で訊いてみようかなぁ」
特に躊躇いもなく、氷華はノアとそんな会話を繰り広げる。しかし仲間以外から見れば、その行動は氷華が物言わぬハンカチと喋っているという異様な光景にしか映らず――氷華の不思議度数を上げる一方だった。
◇
「はぁー」
「ゼンがそんな風に悩むのは珍しいな」
「何かあった?」
「カイ。ソラ……」
感傷に浸りながら夕焼け空を見上げていると、ゼンの不可解な行動を案じたカイとソラがその場に現れた。どうやらゼンは、自分の半身であるアクの事を考えていたらしい。
「あいつを屈服させてから私寄りの神になるのではなく……どちらも均等に共存できないものかと思ってな」
「確か、分裂する前ってゼン寄りだったんだっけ?」
「ああ」
「って事は、俺が出会った頃ってほぼゼンだった訳か」
カイは自分が精霊となって間もなくの出来事を思い返していると、ゼンは目を細めながら過去を懐かしむように微笑んでいた。
「あの時は私の心の方が打ち勝っていてな。疼く悪の心を抑えるのに必死だった記憶があるよ」
「なんか厨二っぽいな」
「それをお前が言うのか、カイ」
自分も否定できる立場じゃないかもしれないと薄々感じて黙っているカイの隣で、ソラが「またアクを制御するのが嫌なの?」と問いかける。
「嫌って訳じゃないが――」
ゼンは目を丸くさせた後、へらへらふざけた様子で笑いながら、緊張感を壊す発言をした。
「そろそろゼンである私も……やんちゃしてみたいなーと思って」
その言葉に、カイは固まり、ソラは苦笑いを浮かべている。呆れたように「とりあえず、その発言をする時点で充分やんちゃしてると思う」とカイが続けると、ゼンは「冗談だよ」と弁解しながら二人を宥めていた。しかし、ゼンの本心は別にある。
――この世界の神だからこそ、善も悪も兼ね備えたいと思うんだ。
◇
「はぁー」
「どうした?」
同時刻――ゼンと同じように氷華も盛大な溜息を零していた。それを心配するのはふわふわと浮いているハンカチ状態のノア。氷華の手元には一通の手紙が握られていて、可愛らしい丸文字で“水無月氷華様へ”と書かれている。
「私ってさ、実はいろんな手紙をもらうんだよ」
「果たし状か?」
「いや、そこまで物騒じゃないけど……部活とか何か手伝って欲しい系の依頼状とか、自慢じゃないけど好きです見守ってます系の恋文。そして――俗に言うお呼び出し」
氷華は面倒そうに手紙の封を開ける。宛名と同じく女らしい筆跡で「今日の夜七時、陸見公園に一人できてください。大事なお話があります」と書かれていた。長年の勘から、氷華はこれが“同性からのお呼び出し”に分類されるものだと判断する。携帯電話の時計を確認すると、指定の時間まで残り約五分だった。
「陸見公園……早歩きなら間に合うかな。空間転移するまでもないや」
授業終了後も友人と話し込んでいたり部室に寄ったりしていて、帰宅時間がこんな時間になってしまった。折角なので部活中の太一を待っていようかと考え、グラウンドへ向かう為に靴を履き替えた矢先――この一通の手紙。その存在が氷華の頭を悩ませている。
「行くのか?」
「うーん、行かないと後々面倒そうだし。流石にそれはないだろうけど、靴に画鋲とか入れられたら嫌だもんね」
ハンカチ状態のノアは呆れたような声で「女って陰険だな……」と呟き、ふわりと氷華の肩に飛び乗った。すると氷華の背後から「おーい」と聞き慣れた声が響き渡る。
「氷華! 今から帰りか?」
「あ、太一。丁度いいところに」
そのまま氷華はハンカチ状態のノアをぎゅっと掴むと、太一の頭にパサッと乗せた。突然の行動にハンカチ状態のノアは「な、何をする!」と慌てるが、一方の氷華はにこりと笑って走り出す。
「太一、ノアと一緒に先に帰ってて!」
「どこか行くのか?」
「ちょっとね!」
問いかけに対してきちんとした返事もしないまま走り去る氷華の後姿を見送りながら、太一が首を傾げていると、ハンカチ状態のノアは「お呼び出し、というものらしい」と呟いた。その言葉を聞いて太一は納得したように「ああ、なるほど」とポンっと手を叩く。
誰からの“お呼び出し”かはわからなかったが、恐らく異性からの告白という訳ではない筈だ。陸見学園では「水無月氷華に告白すると祟りに遭う」なんて物騒な噂が蔓延している為、そのような行動に出る生徒は少ない。
だったら恐らく、“同性の誰かからのお呼び出し”という事になる。そうなると恐らく、氷華に対して何らかの不満があるのか、純粋に氷華を打ち負かしたくての勝負事か――そんなところだろう。
「太一、追わなくていいのか?」
「“お呼び出し”なら行かない方がいいよ。さしずめ、氷華はお前に女の闘いを見せたくなかったんじゃないか?」
「氷華は闘いに行ったのか!? だったら尚更――」
ガシガシと頭を掻きながら太一は説明に困り、言葉を濁らせながら「まぁ、氷華の強さを信じろよ。あいつが負ける訳ないから」と苦笑いを浮かべた。
「だけど万が一――喧嘩にでもなって、勢い余って魔術発動とかになったら心配だからな。俺も制服に着替えてから迎えに行ってみるか」
◇
「ねぇ、あんた聞いてる?」
「…………」
氷華が陸見公園に着くと、陸見学園の制服を着た三人の女子生徒がその場で待ち構えていた。氷華の姿を確認すると同時、三人は氷華をぐるりと囲み、満面の笑みで一言。
「ねぇ、北村くんに近付かないでくれない?」
そして氷華は「あー、今回は太一関係か」と面倒そうな表情で呟いた。その後も氷華に浴びせられる陰湿な言葉の数々。現在も、氷華はそれを右から左へと聞き流すだけの行為をひたすら続けている。
「この前この子は北村くんに告白したの。でも、あんたの所為で振られたらしいわ」
「…………」
――キレちゃ駄目だ。相手は女の子だし。
「だからさぁ、あんた北村くんに近付かないでくれないかな? ずーっとべたべた一緒に居て、ウザいんだよね。ほら、瑠璃も何か言ってやりなって」
――そう言われても困るんだよなぁ。
「お願い……北村くんを取らないで……」
――あ、だけど最初の任務の時に女の人相手にキレちゃったな……あのお姉さん元気かなぁ。
「ちょっと、何とか言いなさいよ!」
「……何とか」
その発言にキレた女子生徒の一人は、氷華の頬を目掛けて平手打ちをしようと手を上げるが――氷華はあっさりとかわし、何食わぬ顔でこれまでの闘いを振り返っていた。女子生徒が「何でかわすのよっ!」と声を荒げると、氷華は素直に「当たったら痛いから」と真っ当な理由を述べる。
「この女っ!」
「いいわ――北村くんに顔向けできない程、酷い顔にしてあげる」
女子生徒が「出てきて皆!」と声を上げると、バットやら木刀を持った柄の悪そうな男や女たちが茂みの中から出てきた。制服から察するに、隣街のちょっと物騒な事で噂の学校の生徒たちだ。一部の者たちは耳だけではなく、鼻や口にまでピアスをしている姿を見て、氷華は「アイス食べる時に大変そうだなぁ」と首を傾げる。
ニヤリと口元を吊り上げて氷華を囲む典型的な不良たちは、けたけたと楽しそうに笑いながら氷華を蔑むように見下していた。
どうやら女子生徒の一人が、隣街の不良たちを金で雇ったらしい。
「げへへへ、覚悟しな」
「あたいたちが出てきたからには、あんた終わりだよ!」
「“げへへ”とか“あたい”とか、実際に聞いたのって初めてだ……お兄さん、お姉さん、自分の時代に帰った方がいいよ」
「調子に乗ってんじゃねえぞゴラァ!」
不良の一人が氷華に向け、勢いよくバットを振り下ろした。か弱い女子ならば顔や頭を護るように手を掲げて泣き叫ぶところだろうが――氷華はまたしても当然のようにこれをかわしてみせる。
――今まで闘ってきた中では一番遅いなぁ。
「えっと、何だっけ。太一から離れて欲しいんだっけ?」
「えぇ。大人しく従うなら今の内よ」
「はい、却下」
「なっ――」
氷華はにこっと笑い、後ろで高みの見物を決めている女子生徒に視線を送った。その視線は穏やかなものから一変、氷の如く冷たいものへと変化していき――女子生徒や不良たちは若干怯み始める。
「太一は相棒で、一緒にこの世界を護りたいから。流石にそれをどうにかするまでは離れられないかな」
「はあ? 何ふざけた事言って――」
「んー、つまりは――私には太一が必要で、あなたたちには渡せないって事!」
次の瞬間、氷華は不良の一人に「歯、食いしばれ!」と言って華麗な跳び蹴りを決めた。不良は茂みに向かって一直線に吹き飛び、氷華の手にはその不良が落としてしまった木刀が握られる。それを構え、氷華は月夜を背景に怪しく笑みを浮かべた。
「さて、誰が相手? 言っておくけど……私だって結構強いと思うよ?」
◇
「それで、最後に残ったのはあなたたちだね」
「ひぃっ……!」
「あんた何者よ!?」
昔の氷華ならばここまで圧倒できなかっただろうが、任務で培った経験からか、氷華はひとりにも関わらず不良たちをあっさり倒してしまった。倒された不良たちは氷華に恐れ慄き、悲鳴を上げながら全力で逃げ出してしまう。逃げ出す不良たちに「忘れ物だよ!」と叫び、勝手に使っていた木刀を投げると、不良たちは「あああありがとうございまあぁあす!」と声を震わせながら消えてしまった。
最終的に残ったのは、ずっと腰を抜かしていた最初の女子生徒三人だけだ。
「何者? んー、救世主志望者かな」
「何よそれぇ……」
「世界を救うの。いや、これから救う――のかな?」
氷華は「疲れたなぁ。アイス買って帰ろ……」と呟き、女子生徒たちの前で腕を組みながら、堂々と仁王立ちをする。真剣な瞳で、女子生徒たちへ告げた。
「とりあえず、これに懲りたらもうあんなバカみたいな真似しない事! わかった?」
「…………」
「返事!」
「は、はいぃっ!」
「よし!」
本人たちは脅えているのだが、元気な返事と捉えた氷華は満足した様子で、女子生徒の頭をポンッと撫でながら楽しそうに微笑んだ。
――あ、この人たち先輩だったらどうしよう。
そのまま女子生徒たちの手を取って立ち上がらせると、「もう暗いから」と彼女たちに早く帰るように促す。
「さ、夜道に気を付けて帰らなきゃね!」
「……はい」
「あっ、それと。本気で太一の事が好きなら、私なんか気にしないでもっと本人にアタックしなよ。そうだなぁ、太一はカレーが好きだからカレーパンとか作っ――」
氷華がへらへらと笑いながら提案していた時――突然、背後から突き刺さるような殺気を感じた。
まるで何かに射抜かれたような錯覚に陥り、氷華の身体は氷像のようにその場で固まる。思わず息が止まり、必死に呼吸を整えながら恐る恐る振り返ると、そこには――。
「…………」
何も言わない黄色髪の男が――血のような深紅の目で氷華を黙って見下していた。
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