第60話 世界の為の先導者


 氷華の両親に深々と頭を下げながら、ゼンは悔しそうに声を震わせ――カイとソラも俯いた表情で押し黙る。重苦しい空気が流れるこの場に、太一とノアの姿はなかった。


 暫くの沈黙が続いた後、凛華はゼンに向かって「ゼンさん、顔を上げてください」と名前の通り凛とした目をしながら口を開く。


「大丈夫よ、あの子なら」

「え……」

「あの子ならきっと――氷華はきっと、生きています」

「ああ、うちの氷華は腹を貫かれたくらいでそう簡単に死なない」


 ゼンは「ですがっ!」と酷くうろたえるが、氷華の両親は穏やかに微笑んでいた。何もかも信じ切っているような、まっすぐな瞳で。その瞳と雰囲気は、氷華にそっくりだ。


「大丈夫、あの子は生きています」

「子を信じる、それが親の役目の一つだ」


 その言葉を心に刻みながら、ゼンは今にも泣き出しそうな悲痛の表情で「絶対に助けます。氷華も、世界も」と宣言すると、カイとソラと共にこの場から煙のように消えてしまった。


 ゼンたちが消えた事を確認し、凛華はその場で力なく泣き崩れる。それを支えるように祥夜は肩を抱き、「大丈夫、氷華なら大丈夫だ」と必死に言い聞かせていた。



 ◇



 太一とノアは一晩中、氷華の姿を求めて陸見町を走り回っていた。空は徐々に明るくなり始め、チュンチュンと鳥の囀りが聞こえる。


 太一たちにとってはこんな最悪の日でも、世界では普段と変わらずに穏やかな朝を迎えていた。世界の片隅で非常事態が起こっているとも知らず、誰も疑いもせず――世界はいつも通り流れている。

 まるで氷華の存在もこのまま流され消えてなくなってしまいそうで、激しい不安感に支配された。太一は陸見公園のベンチで力なく座り込みながら「氷華……」と再度呟く。


 ――どうしてあの時氷華をひとりにしたんだ……馬鹿か、俺は……。


 そのまま「くそっ!」と言いながら乱暴にベンチを殴ると、彼の隣で沈黙を貫いていたノアは冷静に「僕は、死んだなんて認めない。氷華はきっと生きている」と自分の意見を淡々と述べた。


「…………」

「太一は、どう思うんだ?」

「俺は――」


 太一は血が滲んだ拳をぎゅっと強く握り、悔しそうに俯いたままだ。


 ――生きていて欲しい……だけど、あんなに血塗れで、あんな様子じゃ……。


 ハンカチ状態のノアは太一の目線の高さまでふわふわ浮かび上がると、そのままの状態で言い放つ。


「さしずめ、あんな傷では氷華が生きている訳がないと考えていたんだろう」

「…………」

「太一」


 何も言わずに黙っている太一に痺れを切らしたノアは、身体を輝かせながら人型へと変身し、太一の頬を思いっきり――。


 ――――ドガッ!


 殴った。太一の身体は衝撃波でも受けたかのように激しく吹き飛び、バシャリと勢いよく噴水の中へと沈む。一切抵抗する気配すら示さない太一の胸倉を乱暴に掴みながら、ノアは太一に自分の想いをぶつけた。


「よく聞け! 僕の体内にもあの石の欠片があり、瀕死の重傷を負った事がある。だが僕はこうして生きているッ!」

「!」

「お前が――相棒のお前が氷華を信じないでどうするんだッ!」


 ノアはそれだけ言うと、くるりと太一に背を向ける。太一にも聞こえない、消えるような声で「こんなところで死んだら殺すからな……氷華」とレナのように呟いた。


 噴水の水を浴び、ノアの叱咤激励を受け、太一は徐々に冷静さと自分らしさを取り戻す。自分自身に言い聞かせるように、最悪の状況を否定し、信じ込むように「そうか……きっと、そうだよな」と口を開いた。


 ――そうだよ……俺、何してんだよ……氷華を信じてやらなきゃ、俺が氷華を信じないでどうするんだよッ!


 ノアの言動によって覚醒した太一は、パシンッと自分自身の頬を思い切り叩いて「そうだな、氷華が死ぬ訳がない。氷華は生きている。氷華はあの程度じゃ死なない」と言いながら立ち上がる。瞳には光が戻り、いつもの太一に戻っていた。


「きっと今も僕と同じように生きている」

「行こう、ノア。氷華は俺たちの助けを待っている筈だ」


 ノアは「その言葉を待っていた」と言わんばかりにふっと微笑むと、太一の後に続いて走り出す。走りながら、太一は何か思い出したように「それに」と得意気に笑っていた。


「氷華は傷を回復できる魔術もある。もしかしたら自力で回復してるかもしれないし。絶対に氷華は生きている。よしッ!」


 ――そうか、氷華は太一を心配させない為に……。


 太一に“氷華は自分自身には魔術を使えなくなっていた事”を教えようとしたが、ノアは言いかけた口を閉じる。今は少しでも、太一の希望を潰したくはなかった。



 ◇



 太一とノアは陸見学園の前にやってきた。いつものように授業を受け、友人たちとの雑談に花を咲かせ、部活に専念する為ではない。昨日道端でぶつかって氷華の助けを求めてきた女子生徒たちに、少しでもあの時の情報を訊き出す為だ。

 そう思いながら陸見学園の敷地内に一歩足を踏み入れた瞬間――足下がぐらぐらと激しく揺れ始め、太一は慌てて声を荒げる。


「な、何だっ――地震!?」


 ――――バキバキィッ!


 突然の大きな地震に、太一はその場に立っている事が困難になった。他の生徒たちも地面に倒れ込んでいる事から、どうやら自分にだけ起こった現象ではないと認識する。校舎からは酷く慌てた声で避難指示の放送が流れ始めていた。


「こ、こんな時に――自然災害!?」

「いや、違う……」


 そこへ、空から舞い降りるようにゼンがふわりと現れた。こんな場所に突如現れた事で太一は周囲の視線を気にするが、生徒たちは足下に必死でそれどころではないらしく、ゼンの存在には誰ひとり気付いていない。大きな地震と共にコンクリートにはバキバキと亀裂が生じ、凄まじい轟音が響き渡る。


 太一は顔を上げ、その音の先――陸見学園の向かいにある運動場を見つめ、声を失った。地面がひび割れた中から、巨大な建造物のような何かがメキメキと現れ始めたのだ。それは次第に大きく伸び、向かいの運動場をあっという間に占領してしまった。

 生徒たちは勿論、太一もそれを見つめて呆然と口を開く。


「何だ、これ……」


 陸見学園の向かいにある運動場には、天にまで届くのではないだろうかと思わせる程の巨大な塔が建っていた。



 ◇



 生徒たちは物珍しそうに運動場方面を見つめながら「何だ、あれ……」とこそこそ話し始める。暫くして教員たちが避難指示を出す中、太一は突如現れた謎の塔を未だに睨み付けていた。


 ――何だ、この塔……凄く不思議な感じがする。


「陸見学園の全生徒に連絡します。突如現れた建築物ですが、絶対に近付かないでください! 繰り返します――」

「な、何あれ……何であんなものが突然……」

「ちょっと怖い雰囲気だね」

「超常現象ッ!?」

「尚、本日の授業ですが一限は臨時集会を行う為、速やかに体育館に――」

「太一、どうする。これでは昨日の女を捜すのは困難だ」


 ノアの呼びかけに、太一がどうしたものかと悩んでいると――そんな悩みすら吹き飛ばす爆音が一帯に響き渡る。


 ――――バリィイイィィン!


「きゃぁぁあああ!」

「うわあああぁぁあ!?」

「なっ!?」


 陸見学園の校舎の窓ガラス全てが一気に割れ始め、生徒たちの甲高い悲鳴が響き渡った。咄嗟に校舎を見上げると、一斉に校舎から逃げ惑う生徒たちが視界に飛び込む。続けて教員たちの冷静さを欠いたような避難指示。

 不幸中の幸いにも、校舎の周辺に居た生徒は少なかったようで、軽い切り傷程度――命に関わる重傷者は居ない様子だ。


「何だよ、これっ!」


 ――――シュッ!


「ゼン、危なかった人たち含めて全員体育館に移動させたよ!」

「よくやった、ソラ」

「怪我人は切り傷、擦り傷が居ても数人。他は外傷なし」

「よし」


 カイとソラが即座にゼンに状況を報告すると、ゼンは謎の塔を眉を顰めながら見上げていた。太一は突然すぎる状況に頭が付いて行けず、ゼンに説明を求めようとするのだが――口を開きかけたゼンの代わりに、快晴の青空から声が降り注ぐ。それは、抑え込んでいた憎しみの炎を燃え上がらせるには充分すぎる声だった。


「聞け、我が半身……」

「……アクッ!」


 声と共に空にはスクリーンのような映像が映し出され、鮮やかな黄色の髪が視界に飛び込む。映像から察するに、どうやらその場にはアキュラス、スティール、ディアガルドの姿はないようだった。全く似合わない青空を背景にしながら嘲笑うアクを、太一たちは恨めし気にギリッと睨み付ける。

 陸見学園の一般生徒たちも、超常現象の連続に驚きながら空を見上げていた。


「俺はこの塔に居る。あの女の亡骸もこの塔にある。さっさときたらどうだ?」

「…………」

「もしこないのならば――」

「やばい!?」


 ――――ドガァンッ!


 アクが頭上に掲げた手は徐々に光が収束し、刹那――陸見学園の南側校舎の一部が爆音と共に吹き飛んだ。

 カイは咄嗟に地面に手を付けると、ドーム状に現れた巨大な水鏡が太一たち全員の身を護る。カイが機転を利かせた事によって近くに居た太一たちはどうにか護られたのだが、ハンカチ状態のノアだけは風圧で身体が吹き飛んでしまい、水鏡の内側に激突して目を回していた。


「大変! ノア大丈夫!?」

「どう……に、か……」


 自分たちの学校の一部が突然爆発した現場を見せられた生徒や教員たちは、呆然としながらその場で固まる。中にはショックによって気絶する者や、この世の終わりのような悲鳴を上げながらパニック状態に陥る者も続出していた。


「あいつ……」

「遂にやりやがった」


 太一とカイが怒りを露わにする中、ゼンは二人を制止するように片手を広げた。俯いていて表情は見えなかったが、肩を震わせて押し黙っている事から――必死に怒りを抑え込んでいるのだろう。ゼンはまっすぐ塔へ向かって歩き出しながら、まるで最期と思わせるような指示を出した。


「お前たちは人々の護りに専念してくれ」

「「「「…………」」」」

「私があの塔に行って、あいつとの決着を――」


「こんの……バカ野郎がぁああ!」


 ――――ドガッ!


 ――――バシィン


 ――――ボコッ!


 ――――バキィッ


 背を向けて歩き出すゼンの背中を、カイは渾身の力で蹴り飛ばす。勢いよく吹っ飛ばされた先ではソラがゼンの頭を思いっきり叩き、続けて太一が頬を殴り飛ばし――最後に人型へ戻ったノアが華麗な回し蹴りを決めた。

 四人から突然サンドバックにされたゼンは、頭からだらだらと血を流しながら「な、何をするんだお前たち!」とボロ雑巾のようになった身体を無理矢理起こして反論する。


「何の為に俺たちが居ると思ってんだ! お前を護る……お前を神にする為だろッ!」

「カイ……」

「ねぇ、ゼン。皆に何かされる前に、ソラたちでアクを止めちゃえばいいんだよ!」

「……ソラ」


 カイは左手を、ソラは右手を差し出した。ゼンはその手を握ると、二人はよっと力を込めてゼンを立ち上がらせる。カイの怒声を受け、ソラの提案を聞き、ゼンは心の内で自分の失態を悟った。


 ――ああ、そうか……私はまたしてもひとりで抱え込もうとしていたのか……。


「何してんだよ。行くぞ、ゼン」

「ほら、早く行かなきゃ!」

「お前たち……よく言うなぁ」


 カイとソラの切り替えの早さに呆れながらも、どこか嬉しそうに微笑むゼンを見ながら、太一は「俺さ、氷華の事は生きてるって信じるんだ。仲間を、相棒を信じる」と決意したように述べる。


「だから、ゼンも俺たちを信じてくれ。ゼンにとっては人間の俺なんて頼りないかもしれないけど、それでも信じて、背中を任せて欲しい」

「太一……そうだな。私が間違っていた。皆で、氷華を助けて……世界を救いに行こう」


 その横ではノアが氷華からもらったハンカチをぎゅっと頭に巻き直し、じっと睨み付けるように前方に聳え立つ巨塔を見上げていた。視線はそのままで、ゼンに対して静かに口を開く。


「僕は正直、この世界の事はどうでもいいと思っている」

「ノア……」

「だが、氷華の願いは僕の願いだ。僕は氷華の願いと覚悟を護る。そして僕は氷華を救いに行く。だから、あくまでそのついでにお前を助けてやる。それだけだ」


 内なる闘志を秘め、目を閉じて静かに決意するように呟くノアを見て、ゼンは「ああ、ありがとう……」と震える声で礼を述べた。


 他の世界の者が――この世界を救う為に、自分の世界を救う為に協力してくれる。大切な仲間を救う為に動いてくれる。

 その真実が、ゼンにはたまらなく嬉しかった。


 ――愛されたものだ……ワールド・トラベラーも、この世界も。


 最後に、太一だけは塔とは逆方向に向かって歩き出す。心配して体育館から飛び出してきたクラスメイトや教員たちの前で立ち止まると、ドサッと部活用のバックを置き、その場で堂々と宣言した。


「おい、太一!」

「人間とか亡骸とかよくわからないけど、どういう――」

「やっぱり、水無月さんはあの時……」

「えっ、じゃあもしかして氷華が居ないのって!?」


 太一はクラスメイトや他の生徒たちからの問いかけを一切無視し、ポケットから木の塊を取り出すと――それを上空へ投げ、即座に竹刀に変形させた後、皆に背を向ける。クラスメイトたちは太一の人間業とは思えないありえない行動に唖然とし、開いた口が塞がらない様子だった。


「俺、氷華助けに行ってくる。そして闘ってくる」

「え、ちょっ――北村くん!」

「太一、お前……一体」

「前に言ったよな、闘ってるって」


 その言葉に、一部の友人たちは驚いたように目を見開く。部活用のジャージを着ていた太一だったが、勢いよくそれを脱ぎ捨て――そのまま部活用のバックから何かを取り出し、颯爽と上から羽織った。


「救世主になるんだ。ちょっと氷華叩き起こして一緒に世界救ってくる!」


 純白のジャンパーが揺れる太一の背には“World Traveller”とはっきり刻まれている。

 そして、クラスメイトたちが引き留める声も聞かず――太一はゼンたちの元へ向かって行った。


 平和な日常に別れを告げ、非日常の世界へと進み出す。非日常を、日常と受け入れる。

 例え平和な日々が失われようとも、それでも構わなかった。仲間と共に死ぬまで闘い続けると、既に覚悟は決まっている。

 それを改めて思い出すように、太一は“一般人”である者たちの前で覚悟を誇示し、彼等に背を向けて歩み出した。


 取り残されたクラスメイトたちは呆然とし、太一の背中を見つめながら、刻まれた文字を呟く。


「ワールド……トラベラー?」



 太一たちはアクが待ち受ける塔へ向かって走し、竹刀を強く握り締め、叫んだ。


 ――待ってろ、氷華。


「待ってろ、世界!」



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